園芸委員の休日
朝目が覚めて、体がぶるっと震えた。今日は学校お休みだし、本当はもっと寝てたいんだけど、委員会の用事があるから、そういうわけにはいかない。お休みの日は、花壇の水やりがクラス単位で割り当てられてるんだ。
終わったらちょうどお昼ご飯の時間だし、お弁当持って行こう。
朝ごはんとほとんど同じメニューをお弁当箱につめていると、後ろからお母さんが覗き込んできた。
「なーに、そんなウキウキしてお弁当作って。今日って委員会じゃなかったの?まるで今からデートみたいね。」
ふふ、と笑いながら言われて、思わずお弁当箱に卵焼きを詰めていた手がびくっとなった。
「うん、委員会だよ。育ててた花がそろそろ咲くかなって思ったら嬉しくて。」
「え、まだまだ咲くのは先そうだって、この間言ってなかった?」
「えっと、そうだったかな、うん、…お弁当詰めたし、行ってきます!」
恥ずかしさで焦って変なことを口走る前にと、お弁当を急いで詰めて、家を出た。
まだ家を出る時間じゃなかったから、学校に着くの予定より30分くらい早くなりそう。まあ、遅れて待たせるよりはいっか。
でもお母さん、なんで私が浮かれてるってわかったんだろう。委員会の水やり、銀さんと二人だなんて言ってないのに。そう思いながら歩いていると、近所のおばちゃんに、あら伊織ちゃん、何かいいことあったの?楽しそうね、と話しかけられた。…私、そんなに浮かれてるのわかりやすいんだ。
銀さんに浮かれすぎってひかれたくないし、もっと気をひきしめよう。まあ、銀さんは優しいから、こんなことくらいじゃ引かないと思うけどね。あ、いけない、また顔が緩んでいる。
学校の園芸用具倉庫に入ると、中にはすでに銀さんがいた。倉庫の中の整理をしていたらしい銀さんは、ドアの開く音に気づいて振り返った。
「おはよう、伊織はん。」
「おはよう、石田君!早いね、まだ時間30分前だよね。」
「伊織はんこそ、30分前に来てるやんか。一緒や一緒。それより、」
少しためてから、銀さんはゆっくり、名前、と言った。
「名前?…あっ、」
そうだ、私また石田君って呼んじゃった。心の中ではばんばん銀さんって呼んでるのに、なんで本人目の前にすると「石田君」に戻っちゃうんだろう。私が気づいてわたわたするのを見て銀さんは優しく笑った。
「はは、伊織はんは慣れへんな。」
銀さんの笑い方、私、すごく好きだ。明るいとかキラキラとか、そういうんじゃなくて、心の奥底からあったかいものがふわっとわきあがってくるような、そんな笑い方。やっぱり私、銀さん大好きだな。
しみじみそう考えていると、銀さんに頭を撫でられた。髪をとくように、ゆっくり、優しく。
どうしたの、と目で問い掛けると、銀さんはふわっと笑いながら口を開いた。
「伊織はんと一緒におれて幸せやなー、って思って。」
銀さんの言ってくれたことが嬉しくて、恥ずかしくて、何も言わずに銀さんの胸に額を、たんっと押し付けた。
驚いたのか、私の髪をといていた銀さんの手は中途半端なとこで固まってしまった。いつも余裕たっぷりなのに、珍しい。
「っ、え、伊織はん?」
「なーにー?」
「えっとな、潰しそうで怖いんやけど。」
銀さんはそう言いながら、後ろに後ずさりしたから、距離があいた分だけ私もじりじりと距離をつめた。
「大丈夫だよ。人って結構頑丈にできてるんだから。」
「いや、せやけど対戦相手が骨折したりするくらいの力やで。」
言われて、銀さんの試合風景を思い出した。あれは、確かにすごかった。
「…うん、大丈夫、今お互いラケット持ってないし。」
一瞬フォローの言葉が出てこなかったけど、仕方ないよね、うん。
「ラケット持ってないから大丈夫って、…くっ、伊織はんはおもろいなぁ。ほなラケット持っとるわしには近寄ったらアカンで。」
楽しそうに、からかうように言われて、ちょっとむくれる。
「う、別に本気で言ったわけじゃないもん。それにね、試合は、なんていうか凄くてちょっとびっくりしたけど、熱い銀さんが見られて嬉しかったんだよ。」
額を押し付けたまま言うと、なんや照れるなぁ笑ってから、銀さんはゆっくりと腕を動かして、私を抱きしめた。腕の力なんてまったく入ってないんじゃないかってくらいそっとしてたけど、試しに片腕を軽く押してみたらびくともしなくて、この腕の中から逃げられないんだなって思って、なんだか嬉しくなった。
「伊織はん、今日はおとなしいな。」
「今ね、幸せに浸ってるの。だからうまく言葉が出てこないんだよ。」
「さよか。そら、よかったわ。」
「銀さんは、今日はよく喋るね。」
ちょっと恥ずかしくなって、そう切り返すと、銀さんはまたふわっと笑った。
「幸せすぎて、浮かれてんねん。ひかんとってな。」
「ふっ、あはは、」
「あーもう、せやからひかんとってなって言うたのに。」
私が笑ったのを見て、銀さんは恥ずかしそうに笑った。
そうじゃなくて、私も今朝おんなじこと考えてたから、一緒だなって嬉しくなったんだ。そう告げるのは、もうちょっと後でもいいや。
今は銀さんの腕の中に閉じ込められながら、いつもとは違って余裕のない銀さんを見ていよう。