28
自分の部屋に帰って来てから、2度目の朝を向かえた。
一昨日も昨日もずっとふさぎ込んでいたけど、今日は月曜だからそういうわけにも行かない。学校、行かなきゃ。
「おはよー、伊織。」
「おはよう。」
もう数ヶ月くらい歩いていないような気がする通学路を歩いていると、後ろから小走りで駆け寄ってきた友達に声をかけられた。この友達と会うのも数ヶ月ぶりだけど、友達からしたら昨日も会ってるんだよね、私と。
不思議な感覚で少しぼーっとする。
「…あれ?」
校門を過ぎたところで、私はふと違和感を感じて立ち止まった。
「ん、伊織、どうしたの?」
「学校の裏って、あんな木植えられてたっけ?」
「ん?どーだっけ?」
私が数ヶ月前に通っていた時にはなかったはずの木が十数本、学校の裏に植えられていた。
確かになかったはずなのに、と眉をしかめながら考えていると、友達に、眉しわよってるよー、と眉間をつつかれた。
「あんまり学校の裏とか気にしないからね。別に今まで気づかなくても不思議じゃないって。前からあったよ、たぶん。」
そんなに気になるなら見に行く?と聞かれ、友達と二人で木の下まで来た。変哲もないただの木が十数本。
「ほら、木のネームプレート古いし、前からあったんだよ。」
もう疑問が消えたらしい友達は、へー、けやきっていうんだーと木のネームプレートを楽しげに見ていた。…私の考え過ぎだったかな。最近不思議なことがたくさん起こったから、何がいつも通りで何が不思議なのか、ちょっとわからなくなってるのかも。
「そうだね、そういえば前からあったかも。教室戻ろっか。」
*
昼休み、昨日まで日常だった白石君とのおにぎりタイムを思うと教室でお弁当を食べる気になれなくて、友達に断って一人で校舎の外に出た。なんとなく今朝友達と見た校舎裏の木に足が向いた。
やっぱり何の変哲もないただの木。今朝感じた違和感はやっぱり気のせいだったんだ。
「…あれ?」
もう校舎に戻ろうかと、俯いていた顔をあげると、周りは果物のなる木で一杯だった。
おかしい。さっき友達と見た時は、植えられている木は十数本くらいでこんな見渡す限り木が続いたりなんてしてなかったし、そもそも果物がなってる木なんて、一本もなかったのに。
ドクドクと脈打つ心臓を感じながら、足を速めた。
木の根に引っ掛かって転びそうになっても速度を緩めずに進んで行くと、いきなり少しひらけた場所に出た。真ん中にあったのは、懐かしい、あの小屋。
また、…来られたんだ!
ノックもせずに扉を勢いよく開くと、私に小屋の留守番を頼んだわんちゃんが丸まって寝ていた。
「わんちゃん!」
「んー、あれ?僕、ちゃんと帰したよね?おかしいなー。まあとにかく、こないだは留守番ありがとうね。ちょうどお土産渡し損ねたなーって思ってたんだ。今持って来るね…って、わっ、なんで泣いてるの?」
「わんちゃん、お願い、白石君に会わせて。」
「白石君?だーれ?」
「ここで留守番してる時に、訪ねて来てくれてた男の子。もう会えないなんて嫌なの。お願い。」
不思議そうに、学校帰ったら会えるんじゃないの、と首をかしげて言うわんちゃんに、白石君と私の世界はずれてるみたいだから、学校に帰っても会えないの、と泣きそうになりながらうったえると、わんちゃんは、へ、っと固まってから、いきなり大きな声を出した。
「えー!別の世界の人と話しちゃったの?うそー!あー、そういえば、君を帰した後に、君の世界とは違うとこから男の子が来てたっけ。あー、もう、結界がっちがっちにしてたはずなのにー!」
いきなり慌てだしたわんちゃんに戸惑っていると、わんちゃんは諦めたようにため息を一つついてから話しはじめた。
「別の世界の人同士が話したり関わりを持っちゃうとね、その二つの世界がゆっくり繋がっちゃうんだよ。僕はそんなことにならないように、いろーんな世界の距離を保つのが仕事なの。」
わんちゃんは他にも続けて何か難しいことを言っていたけど、私は、「二つの世界がゆっくり繋がっちゃう」以降の言葉は頭に入って来なかった。
「じゃあっ、白石君に、また会えるの?」
私が詰め寄るように聞くと、わんちゃんは難しそうな説明を一旦止めて、うん、頷いた。
「一気に一つの世界になるわけじゃないから、しばらくはこの小屋の周りでしか会えないけどね。」
まあ、そのうち来るんじゃない?とわんちゃんが言い終わるや否や、ガタッと勢いよく小屋の扉が開いた。
「伊織! 」
ほら、来た、というどこか笑いを含んだようなわんちゃんの声は遠くで響いて、私の全神経は、小屋に入ってきた人物にさらわれてしまった。
「しっ、白石君!」
「伊織!」
懐かしい白石君の顔を見たら、涙が込み上げてきた。
「白石君っ、あの、別の世界だけど、話したから、世界、二つが一つに、」
ああ、もう。たくさん話したいことはあるのに、泣いてしまって、うまく話せない。
白石君は、そんな私を泣きそうな笑顔で見下ろしてから、力強く抱きしめた。
「とにかくっ、また会えて、よかった…!」
一言一言噛み締めるように言う白石君を見て、会いたかったのは、私だけじゃなかったんだと実感して、また涙が止まらなくなってしまった。
*
ひとしきり泣いた後、白石君が、わんちゃんに向き直った。
「で、これってどういうことなん?もう伊織と離れるとか絶対嫌やねんけど、これからどうなるん?」
わんちゃんは、さっきも伊織ちゃんに説明してたんだけどね、と前置きしてから話しはじめた。
「もう気づいてると思うけど、この世には、世界は一つじゃなくて、たくさんあるんだ。」
わんちゃんが、たとえて言うならこんな感じ、と言うと、私たちの周りに綺麗なシャボン玉が現れた。
「わあ、綺麗。」
「こんなふうに、各々一つの世界として存在してるんだけど、実は結構くっつきやすいんだ。」
わんちゃんは言いながら、一つのシャボン玉を頭でコンと突いた。シャボン玉は割れることなくふわふわと漂って、近くのシャボン玉にくっついて止まった。
くっついたシャボン玉は初めは互いの境界線がはっきりと残っていたけど、だんだんとそれが薄くなっていって、一つの大きなシャボン玉になった。
「で、このシャボン玉、つまり世界がくっつかないように間で見張るのが、僕の仕事なの。食器棚動いてたし、たぶん隠し扉見つけたでしょ。あの中にね、世界の距離を保つ為の装置が入ってるんだ。」
隠し扉の部屋って言ったら、毒草とかモフモフとか、開けた人が好きなものが出てきたあの部屋だよね、と考えていると、白石君が、なるほどな、と呟いた。
「開けた人の好きなもので一杯になるんは、その装置隠すカモフラージュやったんか。」
「そうそう。自分の好きなものが出てきたら、それに気をとられるでしょ。まあ、普段は結界はってるから、この小屋自体に入ってくる人なんていないんだけどさ、留守番頼んだ子がこの装置を見つけていろいろいじっちゃうとちょっと面倒なことになるから、二重にして隠したんだ。」
そんな大事な装置だったら、触られたら大変だもんね、と納得する私とは反対に、白石君はまだ何か納得していなさそうな声で尋ねた。
「ほな、そもそもなんで留守番なんて置いたん?結界はれんねやったら、留守番なんて置かんと結界はっときゃえーやん。」
まあ、おかげで伊織と会えたことには、感謝しとるけど、とサラッと続けた白石君の言葉に一人で照れていると、わんちゃんは、前はそうしてたんだけどね、とため息をついた。
「この小屋のある空間に僕か誰かがいないと、結界をはれないんだ。昔は中が無人でも結界はれたから、もっと自由に旅できたんだけどねー。でもそうしたら、結界はったまんま僕が旅に出て長い間帰って来なかったものだから、こんな制限つけられちゃったんだ。人に留守番頼んでる身じゃ、そんなに長旅できないもんね。」
「制限つけられた?誰に。」
「んー?上にー。」
「上、ね。(上ってことは、こんな不思議な存在がまだおるっちゅーことか。いや、やめた。これ以上聞いたらびっくりの許容量こえてまうわ。)」
白石君は何か言いたげだったけど、しばらくの沈黙の後、なるほどな、と一応納得したような声を出した。
「自分の仕事が、世界がくっつかんよーにする事やっちゅーのはわかったわ。んで、伊織と俺の世界はどないなるん?」
「さっきシャボン玉見せたでしょ?あれと一緒。一旦くっつくと、だんだん境界が薄くなって、最後は一つになるの。まあ、あれはわかりやすいように時間すーっごく速めてるから、実際はあんなに一気に境界が消えたりなんてしないけどね。ゆっくり、ゆっくり、境界が薄くなるんだ。」
黙って聴いている白石君と私を見て、わんちゃんは続けた。
「境界が消えるまでのしばらくの間は、境界があいまいなこの小屋の周りでしか会えないけど、時間が経って境界が消えたら普通に会えるようになるよ。」
白石君はなおも何かが気になるみたいで、心配そうに眉を寄せた。
「世界が一つになるって、混乱とかせーへんの?」
「何て言えばいいかな。例えば、いつも歩いている路地に、一本道が増えても、なんとなく違和感を感じるかもしれないけど、そういえばこんな道あったっけって納得するでしょ?そんな感じに、ゆっくりとした変化だから大丈夫だよ。」
わんちゃんの言葉で、校舎裏に増えていた木の存在を思い出した。
「あ、そういえば、今日いきなり木が十数本増えたんだけど、誰も気にしてなかったかも。」
「そうそうそんな感じ。まあ、世界が繋がって大きくなると、管理するの大変だから本当はヤなんだけどねー。当分は旅に行けないやー。」
「せやけど、」
白石君がなおも何か言おうとすると、わんちゃんは疲れたように、だるーんと床に伏せた。
「もう、まだ何かあるのー?説明できることは全部したのにー。」
白石君は苦笑しながら、あと一個やから、とわんちゃんの頭を撫でると、わんちゃんは気持ち良さそうに目を細めながら、なーに?と聞いた。
「伊織を小屋ん中に置いて結界はってたんやろ?なんで俺だけ中に入れたん?」
確かに、そうだ。留守番を置いて結界をはったら、人は入って来られないはずなのに。現に、日記を見る限り、前の留守番の人もずっと一人だったみたいだし、白石君以外の人は訪ねて来なかったし。
わんちゃんは、うーん、と考えながらうなった。
「それについては僕にもうまく説明できないんだけど、…ありきたりな言葉を借りるのなら、君たちが会うのが運命だったから、かなー、なんてさ。」
それじゃーだめー?と首を傾げたわんちゃんの首をわしゃわしゃとかきながら、白石君は笑った。
運命なんて、よくわからないけど、会えるはずがなかった白石君と会えたこの事が運命だと言うのなら、それもいいかもしれない。
やっと笑顔になった白石君を見て、私も安心して笑った。
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