27
伊織がいなくなったと気づき、小屋の中でへたりこんで、呆然とした。どのくらい経ったのかもわからない程の時間そうやっていると、ふいに外から扉が開いた。
勢いよく顔をあげて扉を見たが、扉を開けたのは願っていた伊織ではなく、知らない犬だった。
犬か…、そういえば、住人、犬にもなったって、伊織言っとったっけ。
犬は口にくわえていた果物を入れたカゴを足元に置いて、不思議そうに首を傾げた。
「あれー?誰かいるー。ここって入ってきにくいはずなんだけど、どうやって入ってきたの?」
「普通に学校の裏から、」
「学校?ちょっと結界弱かったかなー?」
「…幻の小屋の住人って、犬やったんやな、」
ぼんやりとしたままの頭でそんなどうでもいいことを呟くと、犬は首を横に振った。
「違うよー、別になんでもいいんだけど、この間まで留守番頼んでた女の子が犬好きだったからずっと犬でいたら、なんか気に入っちゃって。」
犬好きな女の子、と聞いて、一気に頭が覚醒した。きっと伊織のことやっ!
「なあ、その女の子はっ?」
「この間まで留守番頼んでた子?もうお家に帰したよ。」
伊織に会わせてや、まだまだ言いたいことたくさんあんねん、と言いつのろうとするのより早く、住人は、ふぁあとあくびをしながら言った。
「旅疲れで、もうクタクタ。しばらく寝るから、もう帰ってね。おやすみー。」
急に視界が歪んで、気づいたら森の外に飛ばされていた。
それから、何度小屋へ行こうと森へ入っても、小屋へは辿りつけなかった。
*
伊織がいなくなってから、一週間経った。
伊織がいないからといって、生活の基盤が大きく変わったなんてことはなく、変わったことといえば、毎朝二人分のおにぎりを作らなくなったことと、昼休みや放課後、校舎裏の森に行かなくなったことくらいだった。こんなにも心は痛いのに、何事もなかったかのように過ぎて行く日常が、なんだかひどくやるせなかった。
伊織のことを説明して、小屋について何かわかったら教えてな、と頼んでいた部活の皆には、もう小屋について調べる必要ないから、伊織は帰ったから、と簡単に伝えた。小屋から出られたんなら会わせてや、と言ってくる奴は、意外にも一人もいなくて、何かあったんやって気づかれるくらい、酷い顔しとったんやな、と気づかされた。そして、それと同時に、そんな優しさに感謝した。
伊織に会ったことがあるのも、あの幻の小屋を見たのも、俺一人だけ。俺さえあの出来事を夢だと思ってしまえば、一瞬にしてあれは夢になってしまうのだと思う。もう会えないのならば、いっそあれは夢だったのだと思ってしまう方が楽なのかもしれないけれど、伊織にまた会う為ならば、俺は喜んで苦しい方を選ぶ。
伊織を忘れたりなんて、絶対にせーへん。
ふと思い出して、鞄の中から前留守番しとった人の日記を取り出した。
小屋を見たの俺一人って思っとったけど、そういえばこの人も小屋に行ったことがある人なんよな。
ページをめくりながら、伊織と一緒にこの日記を読んだ時を思い出した。俺は、伊織が小屋から出さえすれば、一緒にいろんなところへ行けるって信じとった。俺が、外に出たらいろんなとこ一緒行こうなって言う度、伊織はどんな気持ちやったんやろう。そういえば、ケーキ屋に行こうなって行った時、少し辛そうな顔、してたっけ。その後すぐに笑顔になったから気にしてもなかったけど、小さなサインにもちゃんと気づけばよかった。
「…あれ?」
ぼーっと考え事をしながら、ページが空白になってもそのままめくっていると、数10ページくらいの空白のページを空けて、最後のページに何かが書いてあることに気づいた。
『5月6日 今日、自分の部屋に帰って来た。携帯のカレンダーを見て、驚いた。あれだけ長いこと小屋にいたはずが、まさか初めて小屋に行った日のままの日付だとは。
あまりに不思議な体験で、夢だったんじゃないかと少し思う。でも夢じゃない。土産に貰った金細工の金閣の栞も、手元にちゃんとあるし。
俺みたいにあの小屋で留守番して、戻って来た奴が「あれは夢だったのかー」と思わないように、この日記帳を中学の図書室に置いておこうと思う。
結構暇だったし、ちょっと腹立つこともあったけど、今になって思うと、貴重な経験だったのかもなって思う。一人きりで過ごしたあの時間は、いろんな事を考える、いい時間になったし。とにかくさ、あれは夢なんかじゃねーよ。』
「はは、」
なんだか思わず笑いが込み上げてきた。
まさか見ず知らずの人の日記に励まされるなんてな。
せやけど、うん、そうやな、夢やないんや。伊織に会ったことも、小屋に行ったことも。
笑いながら、気力がわいてくるのを感じた。
もう一回、小屋を探してみよう。見つからなくても、何度でも。
ほんで、住人とっちめて伊織に会わせてもらうんや。
伊織と会ったことを、夢になんて、絶対させへん。
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