練習終了時刻から20分経過、ということは夕飯まであと40分か。そろそろ合宿所へ帰ってもいいかもしれないね。
僕は読んでいた本をとじて元の場所に返すと、図書館の入り口を目指した。そんな時だった。


「おや?」

視界の端に見慣れたジャージが映った。僕がそちらを確認すると、図書館の隅に設置されたオーディオコーナーに入っていく苗字さんの後ろ姿が見えた。
気になって後をつけると、彼女はクラシックのコーナーを物色して、お目当てのものを見つけたのだろう。少しだけ表情を弾ませてCDを取るとプレイヤーに向かって行った。

僕はそんな彼女の後ろ姿をちらりと見たあと、先程まで彼女がいたクラシックコーナーに歩み寄った。
…彼女が見ていた場所はピアノ曲が置いてあるコーナーだね。

苗字さんは瞬木くんや野咲さんと同じように毎日練習に出ている。練習が終わったあとにここまでやってきたのだろうか。
僕は苗字さんに近寄りその肩をぽんっと叩いた。すると苗字さんは大げさに肩を震わせたあと、こちらを振り返った。


「え、み、皆帆くん!?」
「やあ苗字さん、こんなところで奇遇だね」
「ああ…驚いた」

苗字さんが困ったように笑ってヘッドフォンを外したその隙に、彼女の傍に置いてあったCDケースを見た。今再生されているのは、2番目の曲。ということは、アルカンの海辺の狂女の唄…。うーん、わからないな。

僕は音楽に興味があるわけではないから、一般的に知られているような曲しか分からない。でも、タイトルからして暗い曲なんだろうことが予測される。


「クラシック、好きなんだね」
「うん、まあ…」
「僕も聞いてみたいな、いいかな」
「あ、どうぞ」

彼女からヘッドフォンを受け取り装着すると、悲愴な旋律が流れ始めた。…これは想像していたよりずっと暗い曲だ。
苗字さんは普段明るくて、ひたむきだ。それに優しい。でも、こんな曲を好んで聞いているのだとしたら…本当の彼女は…。
僕はヘッドフォンを外すと、彼女に問いかけた。


「暗い曲が好きなのかい?」
「そうだね、明るい曲よりもよく聞くかもしれないな」
「そうなんだ。…聞く専門なのかい?」
「…うん、そうだね」
「……」


なるほど、ね。
彼女はきっと、音楽をやっていた。そう、多分過去形。今僕が聞く専門なのか、と聞いた時に少しの間があった。…きっと、何らかの理由でやめてしまったのだろう。それに、練習の時に彼女が時折見せる手を庇う仕草。これは音楽をやっていた時の癖だろう。音楽家が手を痛めてしまっては大変だからね。

なぜ、音楽をやめたのだろう。



「いつも、練習が終わったら此処に来てピアノ曲を聞くのが日課なんだ」
「!…そうなんだ」

それは知らなかった。僕もこの時間は毎日図書館にいるけど、彼女も来ていたなんて。僕の観察眼もまだまだだな。
…彼女は夜も練習しているはずだ、わざわざ少ない時間を割いてまで此処にくるほど、音楽が好きなのだろう。…そういえば彼女は夕食の時間ギリギリに席についている気がする。なるほど、こういう理由があったのか。


「あ、皆帆くん。そろそろ夕食の時間だし、宿舎に帰ろうよ」
「…あ、うん。そうだね」
「そういえば皆帆くん練習サボってるよね?…来なきゃダメだよ?」
「……考えておくよ」




20130603



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