58:白黒の生地と布紐
今日は10月21日。前回お留守番組だった葵枝さん、竹雄くん、茂くんの三人と私で東の町に訪れている。ちなみに六太くんはまだ小さいので炭治郎君と禰豆子ちゃん、花子ちゃんと一緒にお留守番中だ。
東町の中央広場の隅で、地図を回転させたり、斜めにしたり逆さにしたり、遠くから覗いてみたりを一通した後、唸り声一つ。
「うーん。やっぱり離れてる??気がする??」
「地図音痴の見方そのものだな」
あきれたような声につられ顔を上げる。正面に籠を背負い立つ竹雄くんが、私から地図を奪って、「北がこっち。向きはこう」と正しい位置に変えてくれた。お礼を伝えれば、桜ねえちゃんどんくさすぎ、と文句を言いつつも頬を赤らめ、少し先のお店を覗く葵枝さんと茂くんの元へ駆けていった。
竹雄君が正してくれた地図にもう一度視線を落とす。
ここは東京府。未来でいう東京都だ。300年先の未来と今(大正時代)は地名も境界線も変わっているものが多いけれど、自分が生まれ育った北区は何となく地形の形と位置で把握は出来た。
自分の出身地であろう場所にひとさし指を置き、東の町の位置へと指を動かす。
「遠い…遠すぎる」
スーッと動かした指は、竈門家の住む雲取山から東の町の距離間より、余裕で十倍以上はある。
歴史博物館は私が通っていた高校や自宅からそんなに遠い距離ではなかったので、おそらく、この東の町に歴史博物館が後にできる可能性は低いように思えた。
「こうなるとまた振り出しに戻る……」
東の町が後の歴史博物館でないのなら、なぜここに落ちたのか。そもそも、なぜ私は過去に遡ったのだろうか。どうして遡れたのだろうか。なぜ歴史博物館で大正時代のコーナを見ているあの瞬間だったのか。もしかして遡ったのはあの、彼岸花の場所が関係している?いや、移動した後だから、関係ないか…。まさかタイムマシンが実は完成していて、政府の実験に巻き込まれた…な訳ないか。SFじゃあるまいし。それに歴史博物館からどうしてすぐにあの路地裏の場所に落ちなかったのか。あの彼岸花の空間が謎すぎる。赤じゃなくて黒に白、青色の彼岸花もあったし……、そんな色の彼岸花って実際にあったっけ?あの世みたいな雰囲気だったし、もしかして私実は死んでるとか…?……いやいや大丈夫、ちゃんと息もしてるし、心臓も動いている。
「う〜ん……。どんどんわからなくってきた。頭痛い〜…!」
「あらあら、せっかくの可愛らしい髪が崩れてしまいますよ」
思考の渦に囚われ髪の毛をわしゃわしゃしていると、母性溢れる穏やかな声と共に髪の毛を梳かすように撫でつけてくる柔らかい手。
「髪…、伸びたわね」
顔を上げた先には葵枝さん。買い物を終えたのか、撫でつける反対の手には真新しい紙袋。視界の隅には竹雄くんと茂くんの二人はまだお店で楽しそうにはしゃいでいる姿が見えた。
「そうですね、葵枝さんに比べたらまだまだ短いですが」
竈門家にきた直後はアレンジできる程の長さはなかったけど、今は十センチ程伸びて、禰豆子ちゃんや花子ちゃんと共にアレンジし合えるまでになっていた。
「もうすぐ一年になるのね」
私の髪の毛を梳かしながら向けられた瞳には、家族に向ける穏やかな愛情が見て取れて、嬉しいようなくすぐったいような気持ちになりながら、微笑みを返す。
「もうすぐって言ってもあと二カ月ありますよ?」
「あっという間よ。すぐに年越しの季節になるわ」
「年越しか…。もしまだ…私が居たら、お正月贅沢しましょうね」
梳かし終わった手がゆっくりと離れていき、葵枝さんは私の色々な感情がこもった言葉に、ただ「そうね、贅沢しちゃいましょう」と微笑んだ。
四人で目的地に向かって歩きながら、隣りの葵枝さんに話けかける。
「癸枝さん、黒い彼岸花って見たことあります?」
「赤色ではなくて?」
こくりと頷くと、葵枝さんはしばらく考えてから答えた。
「そうね……。黒色は聞いたことも見たこともないわ」
「じゃあ、彼岸花だらけの場所とか知ってます?見渡す限り一面の彼岸花で、それ以外何もないんです」
歩いても歩いても彼岸花だらけで、こーんなに広いんですと、両手をいっぱいに広げてあの空間を表現する。
「この周辺も、田んぼのあぜ道やお墓の近くには咲いてはいるけど、一面は……ないわね〜」
「ですよね〜…」
「そこがどうかしたのかしら?」
「あっ……いえ、なんでもないです。変な事聞いてごめんなさい」
ごまかすように苦笑いすると、葵枝さんはそれ以上追及はしてこなかった。
だって言いづらかったのだ。あの空間で気が狂って、死ねば家に帰れると思い込み、……彼岸花を食べて死のうとしただなんて…。その過去が情けなくて後ろめたくて目を背けた。明るくて優しくて裏表のない竈門家の皆に知られたら、心配させちゃうだろうし、なにより一番の理由は自分の弱さや過ちを晒すようで……恥ずかしくて……言えなかった。
「えーーーー!!売り切れなの?!」
茂くんの悲鳴のような叫び声に肩が揺れる程にびくりとした。数メートル先の目的のお店で、茂くんが悲壮な表情でお店の女性に詰め寄っている。
「ごめんなさいね、坊や。ついさっき常連の子が来て、残りの桜餅全部買ってちゃったのよ…」
「だってさっき違う店のおじちゃんが、30分前に見たときは200以上あったって言ってた!」
「残り144個全部買ってたのよ」
「ちょっとは残しといてくれなかったの?!」
「許して頂戴ね。昔からの常連の子でね。この町に移転してからも、遠いのに定期的に買いに来てくれてたのよ。その子が新しい仕事を始めるとかで、ずっと来れなくてね。今日四カ月ぶりに来てくれたものだから、こっちも嬉しくなっちゃってねぇ」
「僕も2週間ぶりに食べたかったのに………!」
涙目で必死に訴える姿に、お店の方もかわいそうに思ったのか、内緒だよと声量を下げて茂くんに提案する。
「ごめんねぇ坊や。明日来てくれたら桜餅一つおまけするから、それで許してくれるかい?」
「え、くれるの?わーい!許してあげる!ありがとうおばちゃん!」
「どういたしまして」
葵枝さんがあらあらと言いながらお店の方にお礼を伝えて、竹雄くんは、喜ぶ茂くんに良かったなと呆れを含みながらも笑いかけていた。
今日、東の町にきた目的は三つある。一つは嵯峨山さんのお知り合いの薬屋さんに薬草の元となるお花を売ること。もう一つは、いつも通りにお花を売ること。そして、最後の一つは、会えるかわからないけど、会えたならあの蝶々の髪飾りの子にかわいいお花をプレゼントすること。
そのうちの一つ、嵯峨山さんの知り合いの薬屋さんに訪れていた。葵枝さん達は買いたい物があるとの事で、別行動中。終わり次第、宿で落ち合う予定だ。
中央広場、東出入り口から出てすぐ左側にある、フジの花の家紋が戸に描かれた薬屋さん。
少し突っ掛かりのある古い戸を静かに引き、中の様子を伺いながら挨拶をする。
「こんにちわ〜…」
返事はなく、シーンとしていて、古びた時計の秒針音だけが響いていた。
「こんにちは〜…嵯峨山さんの紹介できました、桜と申します…」
やはり返事はない。すいません入りますと、小さな声と共にお店の中へ足をそろりと踏入れ、部屋を見渡す。
薄暗い室内は簡素な作りになっており、広さは6畳程だろうか。正面奥にはカウンターらしき台があり、帳簿や図鑑等が乱雑に置かれている。その横辺りのガラスケースに薬品が数種類見本としてあり、症状に合わせ調合します。と記載された年季の入った紙が貼り付けられている。
壁全体が木製の小さな引出しになっていて、幾つか開きっぱなしの所からは、液体や粉、薬草等が見えた。おそらく部屋全体に漂う薬品臭はここからきているのだろう。
カウンター奥は住まいになっているのか、垂れ下がる暖簾の下から、生活空間が覗き見えた。
「すみません〜…、どなたかいらっしゃいませんか〜」
「この店の方でしたら、今出掛けていますよ」
暖簾の奥から女の人の声が聞こえた後、暖簾がまくられた。
「あ…」
目を丸め此方を見つめる人物は、二週間前に出会った、蝶の髪飾りをした女の子だった。