119:誰かを笑顔にできる自分
女の子の名前は桜ちゃんと言った。
桜ちゃんは疲れ果てた顔で宿を探していると言ったので、すぐ近くの宿に案内すれば、またあの苦しい音を出して宿へ引きこもってしまった。
音を紛らわせる事が出来ても、苦しい音の根源を消してあげる事は出来ない。俺がしている事は焼け石に水でしかない。それでも、ほっとけないし、助けてあげたいって思ったんだ。
それから一週間以上が経過した。その間に呉服屋の店主に見つかって連れ戻されたりもしたけど、桜ちゃんに美味しい物を食べてもらって元気になって欲しいからそのために俺は働くんだと考える事で、奴隷のような日々を耐え凌いだ。
それにこの頃になると、桜ちゃんからも少しづつ話かけてくれる事が増えたし、桜ちゃんからあの苦しい音が消える事はなかったけれど、謝罪と戸惑いの音に紛れて聞こえる感謝の音に、俺は満たされる程嬉しかった。桜ちゃん自身も少しづつ元気になってくれて、もしかしたら近い内に笑顔を見れるかもしれない。きっと笑ったらすごく可愛いんだろうなと想像するだけで、目尻が下がった。………うん。元気になったら、絶対に結婚しよう。
その日は呉服屋も休みで、宿で提供されたご飯を持って、桜ちゃんの部屋を訪れていた。二人で席につけば、なんだかまるで新婚さんみたいで、顔をにやつかせればあっさりとスルーされる。でも、いいんだ。桜ちゃんが美味しくご飯を食べて元気になってくれればさ。
だけど桜ちゃんは湯呑を覗き込んだ後、《あの苦しい音》に囚われてしまっていた。何がきっかけだったのかはわからないけど、出会った頃と同じくらいの大きな音をたてて。
俺は、慌てて言葉を投げかけた。
だけどやっぱり気の利いた言葉なんて出てこなくて、誤魔化すしかできない俺は必死に騒ぎ続けた。どんどん強くなる苦しい音に焦りすぎて身振り手振りが過剰になってしまった結果、お盆をひっくり返してしまい頭から熱い煮物を被ってしまう。
けれど、偶然の事故が功をそうしたのか、桜ちゃんの苦しい音はピタリと止まって、心配と呆れの音へと変化した。
床を片付けながら話していると、桜ちゃんがかがんだ時に、胸元の薔薇の首飾りが見えたので、今後のためにも結婚式の指輪の事と絡めて話を振ると、桜ちゃんは突然泣き出してしまった。
慌てて何か欲しい物はないか、出来る事はないかと聞けば、彼女は泣きながら「幸せで咲く花が欲しい」と言った。
その時の顔と音が、胸が裂ける程の切なさをはらんでいて、二度と手にする事は出来ないのに求めてしまうその姿が、望めないものを望むの自身と重なり、咄嗟に「取ってくる」と、宣言してしまう。
任せろ!という雰囲気で宿を飛び出したはいいものの、幸せで咲く花に心当たりがあるわけもなく。とりあえず知る限りの花屋をかけ巡って聞き込みを続けた。けど、結果は予想通りで見つける事は出来なかった。
まさか野花か?!と森に入ったけれど、「幸せで咲く花」以外の情報が全くない事に気付き、探しようがないことに頭を抱えた。
時刻はすでに夕方。もうすぐ夜になってしまう。そろそろ戻らなければマズイのに、「何の成果も得られませんでした!」と帰ることなんてできない。
どうしようかと困り果てていると、視界に2つの花が写り込む。
一つは、女の子にもてるために覚えた花言葉の内の1つ、「キスしてください」の宿り木と、昔好きだった女の子にあげた「元気を出して」の甘野老。
もう、これしかない!と2つの花を摘み、急ぎ宿へと戻った。
「二人で幸せの花を咲かそう」と自信たっぷり気に桜ちゃんに手渡すんだ!
桜ちゃんに宿り木と甘野老を渡せば、少しの誤解はあったものの、花をもらって見つめた桜ちゃんはポツリと言葉を零す。
「泣いて、逃げてばかり…」
「別に、泣いて逃げてもいいんじゃない?」
それは、咄嗟に出た言葉だった。
誰よりも泣いて逃げているのは、自分だ。そんな自分を変えたいとおもっているのに、好きじゃないと思っているのに、なんて矛盾した答えなのだろう。それはもしかたら、自分を正当化しようとした甘えた言葉だったのかもしれない。けど、桜ちゃんは期待の眼差しでじっと俺を見てくる。なれない期待に焦りながらも幾つか言葉を選べば、桜ちゃんは「嫌だ、絶対に諦めたくない」と言った。
そして、俺はものすごく驚いた。
あのずっと聞こえていた《苦しい音》が反転したからだ。
俺が欲しいと向けられたいと思っていた、あの反転する音。それが俺の目の前で起こった。俺以外、ここに、誰も、いないのに。
「お、音が……」
聞き間違いじゃない。確かに音は変わって、苦しい音から、太陽ように輝き燃える、強い決意の音になった。それと…。
「善逸くん」
桜ちゃんが俺の名前を呼ぶその声には、はっきりと感謝や好意が感じられた。
そして衝撃の事件発生。
桜ちゃんが抱きしめてきたのだ!俺を!抱きしめてきた!俺を!桜ちゃんの方から!俺を!!!
桜ちゃんは優しい音を俺に向けながら、続けて口を開く。
「ありがとう。善逸くんのおかげで、私、また頑張れそう」
それは、嘘のない言葉。見たものと、信じたいものと、聞こえてくる音が寸分違わず一致していた。こんな俺でも、誰かを笑顔に出来た、誰かの音を変えれた。それが嬉しくて、思わず泣きそうになってしまった。
そして花をかいで笑う桜ちゃんは、やっぱりすっごく可愛かった。