101:最初の言葉は「死にたくない」

唯一息があった禰豆子を背負い、医者の嵯峨山爺さんの元へと急ぐ途中。禰豆子は鬼へと変貌した。鬼になった禰豆子に抑え込まれながらも必死に呼びかけている時、冨岡義勇という鬼狩りと出会う。禰豆子は人を襲わないから殺さないでくれ、必ず人間に戻すからと縋るよう懇願し、叱咤後の決死の行動が功を奏したのか、人喰い鬼の存在を明かした冨岡義勇は、狭霧山の麓に住む鱗滝左近次と言う名の老人の元へ向かへと告げた後、消えるように去って行った。












雪がしんしんと降る中、土を掘り家族を丁寧に埋葬していく横で、禰豆子はただぼうっと、その工程を見ていた。

「………禰豆子、寒いだろ?家の中で待ってるか?」

問いかけても反応はない。作られていく墓と目覚める事のない家族と桜さんを表情なく、じっと、ぼうっと見ているだけ。動く意思がないのか、動こうとしないのか分からないが、真冬の空気にさらされた真っ白な手が冷たそうに見えた。

「禰豆子、これ持てるか?」

禰豆子の帯の中に入っていた、桜さんの温度調節の出来るハンカチをそっと手に持たせる。

「………」

すると、今まで動作の無かった禰豆子が初めて自らの意志で動いた。ハンカチをゆっくりと握ったのだ。表情は変わらずそのままだったけれど、禰豆子の意志を確認出来て、少し安堵する。

「禰豆子、待ってるならもう少し家側に居ろ。風が凌げる」

禰豆子の手を引いて家側に移動させ、改めて墓作りに戻った。霜焼けで赤くなった手がかじかんで、動きが鈍くなる度に息を吹きかけ、一人一人埋葬していく。その度に枯れきったはずの涙が止まらなくて、心臓どころか呼吸さえ苦しくなった。











「桜さん……」

最後に桜さんを優しく地面に寝かす。血塗れの痛ましく悲惨な姿は、きっと鬼に必死に抵抗した証なのだろう。その証拠に、母さんにも竹雄にも花子にも茂にも、桜さんの血が上から重なるように染みついていた。桜さんは家族を庇い、そしてまた家族も桜さんを庇ったのだろう。容易に想像できた光景に胸が詰まる。

どんなに痛かったろう、どんなに苦しかったろう、助けてあげれなくてごめんなさい、今までありがとう、どうか安らかに。土をかぶせ早く桜さんをやすませてあげなければ。……そう思うのに。

「……っ」

どうしても土をかぶせる事が出来なくて、溢れて止まらない想いを吐き出すように哭きながら、桜さんの上半身を抱きしめた。



桜さんが未来に帰える方法を探したいと言って家族で大きな騒動になった時。泣きながら家族に会いたいと言った桜さんを見て、守りたい助けたい幸せになってほしいと思った。桜さんも家族も幸せになれる方法を必ず探すと約束した、のに。……なのに。…守ることも、助ける事も、未来に返してあげる事も、ここに居たいと選んでもらう事も………出来なかった。

「こんなはずじゃなかったんだ……!」

もう二度と動く事のない桜さんを、更に強く抱き締めた。

今頃は、桜さんの首元には薔薇が輝いて、家族皆でご飯を囲んで笑い合っていたはずだった。当たり前の毎日の延長線上にいるはずだった。
なのに、桜さんも家族も今、土の中にいる。父さんと同じ所に逝ってしまった。

「桜さん……」

助けたかった、守りたかった、泣かせたくなかった、すべての悲しみや憂いから一番遠い所にいてほしかった、幸せになってほしかった、いつも笑っていてほしかった、一緒にいたかった。

「………っ」

ごめんなさい。1年前、季節外れに咲く藤の花の下で貴女が最初に口にした言葉が《死にたくない》だったのに。それに、俺は答えたはずだった。《必ず助けます》と。

「ごめっ…!…っ」

果たす事の出来なかった中途半端な約束と誓いが、現実をより残酷で惨めにした。












長い時間抱き締めていた桜さんをゆっくりと地面に下ろして、懐から薔薇の首飾りを取り出し、想う。
桜さんが自分を家族の誰よりも特別に贔屓にしてくれているのは分かっていた。それが嬉しくて、心が満たされた。名前を呼ばれるだけで心が温かくなって、桜さんが持つと野花でさえ特別な物に見えて、愛おしく思えた。裏庭で隠れるように二人で食べた饅頭はいつもの何倍も美味しかった。怪我をしたり男に襲われたと聞いた時は、心配と怒りがごちゃ混ぜになった初めての激情に自分自身が一番戸惑った。桜さんが花を抱え笑う姿が、どんな物より価値のあるものに輝いて見えた。

「……」

薔薇の首飾りを少し迷ってから、左手の一本の指と手首に巻き付けた。
薔薇の指輪をつけた桜さんが嬉しそうに微笑む幻想を見て、桜さんへの想いに名前をつけるなら、母さんと父さんが互いに抱いた特別な感情と同じだったのかもしれない。………そう思ったが、もう二度と確かめる事は出来ない。









いい加減、桜さんをやすませてやらないと。
それなのに、この手は動く事を拒否して、桜さんから離れない。長いこと苦渋していると、すぐ隣に禰豆子がいる事に気付いた。

「…禰豆子?どうしたんだ?ここに居ると寒いだろう?」

立ち上がり禰豆子の手を取ろうとすると、逆に禰豆子が手を握ってきた。

「禰豆子……」

今もまだぼうっと焦点の無い瞳をしていたが、真っ直ぐに俺に視線を合わせ、繋がれた手を強く握りしめてくる。

まるで、「お兄ちゃんを一人にしないよ」と言うかのように。それに強く気付かされた。

「そうだな…。ここで立ち止まるわけにはいかないよな」

禰豆子を必ず人間に戻し、家族と桜さんを殺した鬼を地獄の果てまで追いかけ、仇をうつ。そして人間の禰豆子と共に、また家(ここ)に帰ってくるんだ。
必ずやり遂げるその日までは、どんなに苦しくても悔しくても前に向かい進まなければならない。どんなにうちのめされても、守るもののために。進め。


禰豆子の手を強く握り返した。
















何度も途中で家族と桜さんの墓を振り返りながら、「行こう、禰豆子」と、右手で禰豆子の手を握り雪道を駆けだす。左手には未練がましくも、桜さんが命のようなものだと言った唯一の私物ケータイと桜さんが描いた家族の絵を握り、狭霧山がある西の道へと向かった。



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