99:86の答えであり、問いかけでもある。
日の出と同時に、三郎爺さんの家を発った。積もった雪に足を取られながら、そういえばあの日もこんな雪の日だったなと、父さんが亡くなった日の事を思い出す。
正月を幾日か過ぎた冬。父さんは、九尺はあろうという巨躯の人喰い熊を退治した十日後、突然吐血し、そのまま帰らぬ人となった。
亡き父を偲び悲しむだけの感情は時間と共に徐々に薄まりつつはあったけれど、十カ月以上経過しても、ふとした時耐え難い苦しみに襲われ、涙が溢れてしまう時があった。それは家族も同じで、父さんがいつも寝ていた場所を見つめては、悲しみの匂いを濃くしていた。
それが、同じ年の冬、確か12月13日に桜さんと出会い、一緒に暮らすようになってから、あっという間に前の様な明るい生活へと戻った。いや…。悲しみを抑え込み耐え忍ぶ日々が、より一層賑やかで幸せな日々に反転した。
最初は未来からきたという事実と、未来の奇想天外な話、想像もつかない価値観や常識に、物思いに耽る暇を与えない、起爆剤の様な刺激的理由から。
そして日々を共に過ごす内に、ゆっくりと春の花が開花するように、桜さんの優しさや明るさに触れ、また俺達家族が大好きだと、必要だと、一緒に過ごせて幸せだと笑う桜さんに癒されていった。そうしていく内に自然と、父さんとの思い出が悲しいだけではないと、向き合うことが出来ていた。
もし桜さんが居なかったとしても、至る時間に違いはあれど、いつかは父さんの事は思い出として昇華出来ていただろう。けれど、桜さんが居なかった今など想像できないくらいに、俺達家族にとって大きな存在になっていた。
「年の近い我が子かしら。それに、よく働いてくれるし助かるわ」
俺と母さんは、桜さんに「働き過ぎです!!家事代わるので休んでて下さい!はい、これ!」と、お茶菓子を半ば強引に押し付けられたので、共に縁側に座り休憩を取っていた。
雑談で桜さんの話になった時、母さんはそう言って笑っていた。家族とはまた違った会話の出来る親しい友人のような、年の近い娘のような存在に、物理的にも精神的にも頼りにしているのだろう。
「桜おねえちゃんは、かぞくだよ。おにいちゃんが拾ったわんわんなの」
母さんの膝に抱かれるように座った六太も、母さんの真似をするように笑って言った。六太は桜さんが来てから、俺や母さんが居ないと大泣きして探し回る事がなくなった。桜さんをあちこち連れまわしたり、描いた絵を褒めてもらい楽しそうにしていた。新しい家族に一番喜び楽しんでいたのは、六太なのかもしれない。
「唯一の対戦相手!美味しいものいっぱいくれるから大好き!」
茶菓子の匂いに吊られてやって来た茂は、母さんと俺の間に座って、茶菓子を口に含みながら御満悦顔。茂は桜さんに教えてもらった遊戯を町の子供達にも教えていく内に友達が出来たようで、隣町に行っては、今日こんな事があったよと明るく報告してくれたり、桜さんが花売りを始めてからは美味しい物も沢山食べれるようになったので、毎日満足気にお腹を膨らませていた。
「花子が一番桜おねえちゃんのこと大好きなんだからねっ!」
茂と共に茶菓子につられて来た花子は俺の隣に座り、手を上げて元気に主張する。花子は、大好きを全面に押し出し、桜さんに毎日引っ付いて回っていた。桜さんをもう一人の姉のように慕う花子が、この間こっそり教えてくれた、将来の夢。それは、桜さんがくれたものだと明るく笑っていた。
「まあ、頑張ってるんじゃないか?てか、もっと…わがまま言えばいーのにな!」
薪割りをしていた竹雄が、皆で集まって何をしているのだと、様子を見に来て、そのまま母さんの隣に座る。額に滲む汗を拭い、平然を装ってお茶を飲んで言うが、気遣う本心が透いて見えた。たまに、桜さんにイタズラをしては困らせていたが、花子や茂の様に素直になれなかった故の行動だったのだろう。桜さんには気付かれないように影で支えていたのは、竹雄なのかもしれない。
「あったかいよね、桜さんって」
家族の休憩に気付いた禰豆子は、母さんと竹雄の後側に座り、お盆にある8つのお茶を配りながら言った。
禰豆子にはいつも我慢させてばかりだった。特に父さんが死んでからは甘えさせてやる事も年頃の楽しみも満足にさせてやれなかった。それが、桜さんと一緒に髪形を変えて町に出かけ、甘えた顔で身体を寄せて笑うのだ。
「あ…。ふふ。ねぇ皆、桜さんが仲間になりたそうにこっちをみてるわよ」
皆で桜さんの話で笑いながら盛り上がっていると、禰豆子がある一点を指した。
見ると、外の壁伝いに身を半分程隠して、羨ましそうにこちらを見る桜さん。
「……お仕事終わったよ?…………い〜れて?」
「い〜い〜よ!」
「桜おねえちゃんは花子の隣ね!」
「桜さんのお茶もありますよ」
皆で手招きをすると、桜さんは目を輝かせて走ってきた。
「わーい!ありがとう!」
家族に混ざり、共に笑い合う桜さんを見て改めて思った。
《あぁ幸せだな》と。
家族や桜さんの事を思い出していたら、自然と頬が緩んでいることに気付いた。温かい気持ちのまま懐の上から薔薇の首飾りを手で確認し、桜さんを想う。
(………よし)
今度は自覚した微笑みのまま、早く帰ろうと速度を上げた。
(あ、そういえば桜さんはあの時何を話そうとしていたんだろうか)
東の町に急に付いていくと言い出した理由。桜さんは、町に行きながら話すと言っていたが、聞けずじまいのままだった。帰ったら後で聞こう。そう考えていた瞬間。それは、上からどろりと流れるように、漂ってきた。
あるはずのない、あってはならない匂いを確かめるように、鼻をくんとならす。
「……、」
その匂いの名前が口から漏れでた時、寒さとは別の寒気が全身を刺した。
「血の匂い」
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