秋夕
赤にもたくさんある。
赤、紅、朱……。
同じ色なのにたくさんの種類がある。
それと同じように空もたくさんの表情があって、刻々と姿を変えてしまう。
夕日だって、違う。
今日の夕日はゆらゆらと太陽の輪郭がぼやけていてまるで炎にとけていくかのよう。
夕日を見ているとなんだか悲しくなってくる。
以前はそんな事は思った事はなかったのに。
この不思議な感情の源を探していた。
いったい胸が締め付けられるようなこの思いは何だろうか。
「部長?どうしたんですか?」
「何でもないよ。それから、もう部長じゃないからね」
物思いに耽っていたのを声で我に返った。
慣れないんですよー、と唇を尖らす彼女はボーイッシュと言う言葉がよく似合う。
そして現部長でもある。
陸上部は全国常連ではあるけれどベスト四止まりであまり目立った功績を残してはしない。
今日は元部長として同じ陸上部の由希ちゃんと顔出しをしていた。
もう一度、地平線に吸い込まれてゆくそれに目をやって、はっとした。
仁王君だ。
そう認識した瞬間にひとつ、大きく鼓動が跳ね上がった。
夕日に照らされた彼の白い肌が夕日に照らされて瑞々しい果実を思わせた。
真っ直ぐに見る見透かすような瞳はどこか揺れている。
何か悲しいの?
痛い所でもあるの?
今直ぐ彼の側に駆け寄ってそう問いかけたい衝動に駆られるものの私の足は影に縫い付けられて動けない。
ゆっくりと仁王君の口が動く。
『ま・た・あ・し・た』
たぶん、そう言ったと思う。
私が反応を返す前に彼は横を向いて歩いていってしまった。
「芦屋先輩?」
不思議そうな表情をした後輩に何でも無いよ、ともう一度繰り返す。
もう部活も終わる時間だ。
そう思った所で由希ちゃんの張りのある声が空気を振るわせた。
「はい、今日は終わり!道具を片付けて、クールダウンしたらさっさと帰りなよ!」
まだ物足りなさそうな顔をした後輩にまた今度競争しようねと言うと瞬くまに笑顔に変わった。
「本当ですか!?絶対ですよ!」
「うん、絶対だよ」
「よっし今度こそ先輩に勝ちますからね!」
「楽しみにしてるよ」
「お楽しみの所悪いけれど、千尋、お客さん」
私の所にやってきた由希ちゃんが指した先には夕日とはまた違う鮮やかな赤い髪をした丸井君の笑顔があった。
丸井君の背中にはテニスバックを背負っている。きっと丸井君も部活の後なのだろう。
「今日、一緒に帰らねぇか?」
「……え?」
丸井君がわざわざ私を誘う理由がわからない。
真田君達の事を思い出して思わず身構えるとそれを察したのか苦笑いを浮かべた。
「他の奴らは先に帰った。今日は、芦屋の悩みを聞きに来たんだぜ。
俺が天才的に悩みを解決してやるよぃ」
真田君達の相談事。
それを指しているのだろう。
受けようかどうか、すごく揺れている。
頼まれたからだけではなく私自身の意志でも仁王君の悩みの少しでも助けになれたら、と思うようにもなった。
けれど、まだ躊躇う気持ちもあって。
「ごめん、由希ちゃん」
「はいはい。千尋の好きにしていいよ」
「ありがとう」
普段は隣に由希ちゃんがいるはずの下校道。
代わりにいる丸井君を横目で見る。口に含んでいる飴の棒が上下にプラプラ揺れている。
「フォローするとな、一応。幸村君達も焦ってんだよ。
けど仁王が本気で避けてたら俺達は何もできないしよぃ。
だから芦屋に頼ったんだ。だから幸村君達を嫌いになってやらないでくれねーか?」
「嫌いにはなってないけど」
「けど、戸惑ってる。違うか?」
「……違わない」
悪く思わないかと思ったけれど、だろうなと笑う丸井君。
丸井君はクラスの中心にいるような人だ。
明るくて気さくなのも理由にあげられると思うけれど一番の理由はきっと今みたいな所があるからだと思う。
よく人を見ている。
それにお人好しなんだとも。
私の悩みを聞きに来た、なんて丸井君ぐらいじゃないだろうか。
「実際、仁王の気持ちも解らなくはない。俺も負けてるからってだけじゃないけどさ。
本当の所はやっぱ本人しかわからないけどよ。
それよか芦屋は何で悩んでいるんだ?」
「私が口出ししていいのか、わからなくて。余計事が抉じれるかもしれないし」
私は彼らの懸けてきた思いを正確にはわからない。
だから仁王君の気持ちを読み違えるかもしれないから。
「仁王はテニス部じゃないから芦屋と親しくなったんだぜ?
ある事が必ずしもない事より優れる事は限らないだろぃ。
それに芦屋は適任だと俺も思ってる」
「適任って言われても、どうしたらいいのかわからないのに?」
私に出来る事なんて本当に一握りなのに。
何を見て、何を私に求めているのだろう。
「特別な何かを求めているわけじゃねんだよ。
芦屋が芦屋だからこそ何かがどうかなるんじゃないかって思ってるだけだ」
「私が私だから?」
「そ」
真っ直ぐに私を見る丸井君。
真剣な瞳をしていたのを一転、悪戯っぽく笑った。
「そんなに固く考えなくっていいって。
芦屋はただ、仁王と一緒にいてやればいいんだよ。
それに今時点では、芦屋にしか頼れないし引き受けてくれねぇかな?」
「一緒にいればいいの?」
「ああ」
「……わかった」
「サンキュ」
嬉しそうにする丸井君。お礼なんて、いらないのに。
私も何か力になれればと思っていても踏みとどまっていたから、むしろお礼を言うのは私のほうだ。
丸井君の面倒見の良さには頭が下がるばかり。
一人だけだったらきっといつまでも結果がでなかっただろう。
「丸井君は仲間思いだね」
「やめろって、そういうの。一番仲間思いなのは幸村君じゃね?
俺はただ、あれだ。うん。あいつがいないと落ち着かないっつーか、つまんないだろ、俺が!」
くすぐったそうにするのにクスリと笑った。
素直じゃないな。
こうやってこっそり動き回ってくれる仲間がいる仁王君はとても素敵な仲間を持っていると思う。
空を見上げると落ち損ねていた夕陽が、ようやく沈んでいった。
群青色が覆いかぶさるように濃さを増し、ぽつんと一つ、金星が光っていた。
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