金風


秋の空気はどの季節よりも美しいと思う。
澄んでいるから、だけではない。
消え去る物に、刹那な物に美しさを見出すのは日本人らしい感覚なのではないだろうか。
燃えるような緑に、煌めく生命。
それらが息をひそめて色を失ってしまう冬のその直前。
秋と言う短い期間の中でありったけの静かな色彩を作り上げる。
だから秋は、秋の空気はどの季節よりも美しい。
それ故に秋の風を冷たいとだけ感じるのは凄くもったいない気がする。

風を切りながら一定の速度で駆ける。
部活は引退したと言え高校生に上がった時にブランクを作るのが嫌で毎日欠かさず続けていたランニング。
特に学校がない日は長距離を走る。
時に知らない道を通ると新たな発見があってこれが結構楽しい。
いつもは右に曲がる所を今日は左に曲がる。
そのまま真っ直ぐに走り続けていたら微かに聞いた事がある音に誘われるように足を進めた。

「仁王君……?」

玉を返すインパクト音がしたから近くにテニスコートがあるのかとそう思っていたのだけど。
そこにいたのは壁うちに専念する仁王君の姿。
仁王君がテニスをしている姿を見るのは始めてだ。
いや、時々下校する時にみかける事はあったけれどあれは景色みたいな物で見た内に入らない。

真っ直ぐに鋭い瞳がボールを捉えている。
仁王君の瞳は時によって、色を変える。
硝子玉のように透き通った瞳なのだけれど普段は金に近い琥珀。まるで、輝く太陽のような。
今はその色がいつもより、深い。
もっと金に近い色している。
綺麗だ、と思う。
流す汗も、光を反射した雪みたいな銀も。その眼差しも。
物に一心に打ち込む姿は何であっても尊い。
そう思える光景だった。
集中している仁王君の邪魔をしてしうまうのも忍びなく思う。
だが彼に背を向けようとしたら、彼と目が合ってしまった。

「芦屋さん……?なんでここにおるんじゃ?」
「えっと、ランニング?」
「なんで疑問系なんじゃ」

ククッと喉で笑う仁王君は先程までの緊張感はなく日だまりのような雰囲気を持っている。
邪魔してしまった事を不快に思っていないらしく、胸をなで下ろす。
彼の前まで歩み寄って微笑みかけた。

「こんにちは、仁王君」
「ん、こんにちは。芦屋はランニングってダイエットかの。
 そんなに太ってるようには見えないが」

ジロジロとお腹を見るので思わず腕で隠す。
部活で鍛えているとはいえ、お腹を見られるのは恥ずかしい。

「芦屋さんって着痩せするタイプ?」
「どうだろ。そんなにはしないと思うけど」
「ほんなら、ダイエットする必要はなか。それに無理なダイエットは体を壊すぜよ」
「ダイエットじゃないよ」
「じゃあ、なん?」

部活の、と言いかけて、躊躇する。
これを仁王君に言っていいのだろうか。
でもあえて言わないのも気にしています、と言ってるみたいな物。
日課、と言おうかと思った。
けれどこの一瞬のせいで嘘みたいになってしまう。
しまった。完全にタイミングを失ってしまった。

「……部活か」

鋭い彼はあっさりと当ててしまってさらに気まずく思う。
あぁ、本当に私の馬鹿。
おろおろと次の言葉を探すから更に深みにはまってしまい。

「芦屋さん、こっち」

何も心配はいらない、と言うようにクスリと笑って私の手を取る仁王君。
こうやって仁王君は欲しい時に欲しい言葉を的確にくれる。
仁王君に連れられるまま、近くのベンチへ。
数日前に一緒にエスケープした時となんだか似ている。
そう思うとなんだか面白い。
笑い声を零すと仁王君は不思議そうな顔をした。

「ふふふ、何でもないよ。私、陸上部でね。部長だったんだよ。
 高校でも入るからブランクを作らないようにね」
「陸上。ほぉ……しかも部長か。でも、わかる気がするぜよ」
「わかる?」
「走り方が綺麗だったなり。日頃意識してないとあんなふうにならん。
 それに、俺に引っ張られてたけどちゃんとついて来てたしな」

自然に話せている。
他の子なら気まずいままか、そのまま他の話題に移るかだ。
これも仁王君だからなせる技なのだろう。
なら、これは素敵なペテンだと思う。

「走ってる間は他の事を忘れるから、好きなんだ。私は陸上、好きだよ。
 仁王君は?」

仁王君はテニス、好き?

言葉には出さないけれど仁王君は私の言わんとする事を絶対に正確に読み取る。
彼の顔を覗き込むようにして、返事を待つ。
仁王君は困ったような、泣いてしまいそうな、そんな顔をしていた。
私から視線を外した彼は自分の、素人目でもよく使い込まれたラケットを見てそれから空を見上げた。
まるで、涙を零さないようにする為に。

「好きじゃよ、テニス。嫌いになんてなれん。
 テニスも、それにまつわる他のものも、嫌いにはなれん」

泣いているのかと、思った。
けれど仁王君は泣いていない。
いや、違う。
泣けないんだ。
色々な感情が入り交じって、どんな表情をしていいのかすら。
わからない。

仁王君はテニス部員のみんなが好き。
それは確か。
でも、理由がわからない。
由希ちゃんみたいに、プライドだけとはどうしても思えなくて。
こんな時、とても悔しい。
どうして私はもっと早く仁王君と仲良くなれなかったのか。
どうして私は仁王君の力になれないのか。
私は仁王君を傷つけないように話を聞き出すような高等な事はできないから。
私には何も出来ない事が、辛い。

「そっか……。良かった。好きな事ってそうそう嫌いになれないよね」
「好きだからこそどうしたら良いのか解らん時もあるなり」

ゆっくりと頭を振りながらそう言った仁王君はどこか頼りなかいように映った。
今にも手折れてしまいそうな、花のような。
テニス部のみんなも、仁王君もお互いの事が大事なんだ。
なのにどうしてすれ違ってしまうのだろう。
大事だから、臆病になってしまう。
それは経験があるからわかるけれど側からみればこんなにも歯がゆく見える物のか。

「仁王君」
「大丈夫じゃよ。俺には芦屋さんがおるからな」
「それだけで、良いの?私だけで本当に仁王君はいいと思ってるの?
 仁王君はそれで満足できるの?」
「……」
「それは寂しい。とっても寂しいよ、仁王君」

これで満足しては駄目だ。
仁王君の本当の居場所は私ではないのだから。
これからどうするか。
それは仁王君自身で考えなければいけない。

「……私、ランニングに戻るね」

仁王君の返事を待たないで私は立ち上がった。
何かいいたそうな視線を背中に走り出す。
風がよりいっそう寂しく感じた。


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