マリーゴールド


芦屋 千尋。
彼女は他の同級生とはどこか一線をかくした浮き世離れした雰囲気の持ち主であった。
かといって悪目立ちもしていない。
自然に教室に溶け込んでいて穏やかな笑みをたたえながら友人と楽しそうに会話をしている。
先生や同年代の間でも信用も厚い。
難点を挙げるならば芦屋さんは自分のそういった所に対してあまりにも無自覚な所だろうか。

黒板を見ている芦屋さんの横顔はいたって真面目。
対して自分は屋上でさぼり中である。
屋上でのさぼりが気持ちいい季節になった。
夏の間はあまりにも暑いと屋上ではなく空き教室にいたりしたものだ。

天色の高い空を見上げながら床に寝そべる。
お昼時の空気ほど静かで穏やかな物はないのに。
その時間は教室に閉じ込められるのはなんとも惜しいと以前から常々思ってる事だ。
日の光を黒板が反射して文字が見えないからカーテンを閉めているので教室からだと外は見えない。
だいいち、切り取られた空はやっぱり教室の狭さを表しているだけだ。

そもそも、俺は縛られるのが嫌いな性格だ。
決められた時間に決められた事をやらされる。
それは個人と言うものを完全にないがしろにされていて窮屈にしか感じられない。
そしてそれを我慢できるほど俺は大人ではないのだ。
加えて、他人と違う行動をして周囲から阻害されるとセーブをかけるような弱さは持っていないのだ。

俺は俺の思うままに生きる。

それは何年たっても変わらない俺の信条だ。
何にも縛られずに自分の思うままに生きる。
そう、ふらっと一人旅をしてふらっと帰ってくる。
そんな大人に俺はなりたい。

昼を告げるチャイムの音にそっと目を閉じた。


名を呼ばれる声で沈んでいた意識が浮上した。
ゆっくりと瞼を持ち上げて霞んだ視界の入ったのは芦屋さんであった。
覗き込むようにして俺の顔をみている。
俺が起きたのがわかったのか黒檀の瞳が優しげに細められて。

「お早う、仁王君。
 心地いい陽気で寝ちゃったのはわかるけれどこんな所で寝てたら風邪引いちゃうよ」
「んー……」

間の抜けた返事を返したら芦屋さんはクスクス笑いながら俺の視界から消えた。
俺は腹筋の要領で上半身だけ体を起こす。
それから一つアクビを零し腕を前に出し手を組んで大きく伸びをする。
隣に座った芦屋さんは俺の一挙一動を見守りながら口を開く。

「仁王君、本当によく寝てたね。いつもこうやって屋上で寝てるの?」
「日によってまちまちじゃな。それよか芦屋さんは何でここにいるんじゃ」
「校内散策」
「友達はええんか?いつも隣にいる、ちょっとキツい感じの奴」
「由希ちゃんの事?由希ちゃんは人気者だからねー。色々忙しいの。
 それに私もついつい一人でふらふら歩いちゃう癖があるからさ。今日もその一貫かな」
「女子っていつも同じ奴とつるんでいてかまびすしいと思っとったが」
「グループは作っちゃうけどね。それだけじゃないよ。
 お互いの距離保つためにある程度は離れたりくっついたりしてるし。
 そういえば仁王君は授業、さぼるけど何で?」
「授業は窮屈じゃ。おまけに退屈で死にそうになるんよ」
「イギー・ポップっていう人がね言っていたらしいよ。
 死が人を殺すというがそれは違う。退屈と無関心が人を殺すのだって」

仁王君は彼とは仲良くできそうだね、と芦屋さん透明な笑顔を浮かべて言った。
退屈も、無関心もどちらも俺にはよくある事だ。
なら、俺はいつか人を殺してしまうような人間になるのだろうか。
だとすると人生という物はどう転ぶのかわからない。

「実際の所、人は何で人を殺すんだろうね」
「恨みとか欲、自己保身とかそんなもんじゃろ。
 そこに悲惨なドラマが繰り広げられてる事なんて小説ぐらいなもんよ」
「現実は小説より奇なりともいうよ。うん、でもこれは永遠の課題だよね。
 あと何で人を殺してはいけないか、っていうのもね」
「人間だけじゃからの、そんな事を言うのはな。
 確かに不自然なり。なら芦屋さんはその問にどう答えるん?」
「私なら、そうだね。人の良心がそれを言わせてるんじゃないかなって思うよ。
 悲しむ人を側で見てると、自分も悲しくなってくる。
 絶対に独りな人っていないから死んだらそれで悲しむ人がいる。
 だから殺しちゃあいけないんだと思うよ」
「芦屋さんは優しいの。俺ならシンプルにこう答えるぜよ。
 『法律が殺すなと言っているから』
 みんなで決めたルールを破ったら駄目じゃろ」

ソクラテスじゃないけれどルールを破ったら社会というのは成り立たなくなる。
そう答えたら、何故か芦屋さんは悲しそうな顔をした。
何故そんな顔を芦屋さんがするのかわからない。
わからないけれどなんだか俺もその顔を見て同じ気持ちに引きずられていきそうになって。

「……なんてな。母親が腹を痛めて産んだ子供を簡単に殺したら立つ瀬がないなり」
「本当に?」
「本当に」
「そっか」

安心したように笑うものだから後ろめたくなってプリ、と呟く。
何それ、と言う芦屋さんが普段どうりに笑ったから俺は安堵を覚えた。
何故か、なんてこれもわからなかったけれど。

ふいに、立ち上がった芦屋さんは俺に前に立って真っ直ぐと向き合う。

「仁王君」

静かで、でも確かな覚悟が込めた声音で俺の名前を紡ぐ。

「私と、お友達になってくれませんか?」

「……ピヨ?」

想像していた内容と遥かにかけはなれていた言葉に驚きを隠せず、それで誤摩化すように鳴く。
それでも芦屋さんは臆する事なくしかし今度は柔らかく同じ言葉を言う。
友達になろうなんてわざわざ口に出して言うものではない。
友達というのは気づいたらなっている。
そんな物だ。
でもわざわざそうやって言うなんて面白い人だ。
差し出された手を拒むのは惜しい。
しかし素直にその手を掴むのもなんだかくすぐったい。

「わざわざ言わんでももう友達だと思っとったがの」

肩をすくめて言うと虚をつかれて目を丸くした芦屋さん。
それからゆっくりと俺の言葉を咀嚼してそれで花が咲いたような笑顔を浮かべた。

「ありがとう。ね、友情の証に握手しよう」

行き場を失った差し出された手を誤摩化す為だろう照れたように言うのでここでようやく手を差し出した。
触れた彼女の手は柔らかく、滑らかでやはり女だなと思う。

「戻ろう」
「ああ」

そっと反対側の校舎にある、幸村の屋上庭園に目をやると太陽に似た黄金の色をしたマリーゴールドの花が咲いていた。


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