寒晴


空がすっきり、晴れ渡っている。

「仁王。帰ろうぜ!」

丸井が隣に幸村がいる。
珍しい事もある、と思いながら、首を横に振った。

「俺は芦屋さんと帰る約束してるん。残念じゃったの」
「うわ、うざ。惚れ気かよ」
「詐欺師も恋には溺れるって事かな」
「悔しかったらさっさと彼女、作りんしゃい」
「あはは、丸井は恋よりご飯でしょ?」

うるせー!と叫ぶ声を無視。
幸村に軽く手を振ってから昇降口へ。
芦屋さんは外で空をぼーと見つめていた。

「芦屋さん」

声をかけると仁王君、と視線を戻してふわりと笑った。
その時、芦屋さんの息が白くなって出て、それで溶けた。

「寒いんじゃから、中に入ればよかったのに」
「うん、そうしようと思ったんだけどね」

よく晴れてたから、と続ける。
冬の晴れた日は、寒いが透き通るように冴える空が見られる。
寒いのは嫌いだが、冬の空は好きだった。
だから、ああ彼女も冬空を見上げたいのだろうかと思った。

「今日はよう晴れてとるな」

そう言うと、芦屋さんは嬉しそうに笑った。
やはり彼女もそう思っていたらしい。
こういう時の芦屋さんはわかりやすい。
行動と気持ちが直結しやすいからだ。
けれど普段は素直すぎて時折、何を考えているのかわからなくなる。
そのことが、少し、苛立つ時もある。
うまく伝える言葉を選びかねていることも、焦燥を煽る。
意志の疎通。
それがことのほか難しいことだと、今になって思う。

「帰ろう」
「あぁ」

並んで歩き出す。
下校だけが芦屋さんと二人っきりになれる唯一の時間だ。
朝にわざわざ少ない道のりを待ち合わせるのは悪い。
それ以外は会えても、周りに人がいる。
友人関係を疎かにさせるわけにはいかない。
そもそも、年がら年中、側にいるわけにもいかない。
縛られるのが嫌いだから、縛る行為もしない。
それでも時折、縛りたくなる衝動があるから、独占欲というのはなかなかに恐ろしい。
何かに気とられて、足をはたと止める芦屋さん。
ほら、こんな時とか。
芦屋さんは歩くのが遅いと言っていたがこんな事をいつもしているのだろう。
そんな風だから歩くのが遅いのだ。

「芦屋さん。足、止まってるぜよ」

その言葉にはっとしたように、芦屋さんは瞬きをした。
慌ててああ、だかうん、だか言って慌てて歩き出す。
時間は全然、余裕はあったが何故だがそんな責めるような物言いになった。
それを何となくそれを感じたのか黙々と歩き続けている。
顔にこそ出さなかったが、少し、後悔し、繕う言葉を探していた。
こうして、言葉を選び損ね、そうしてそれを挽回する言葉を探すことが、多いように思う。
どうしてかわからない。
自分はこんなに言葉を扱うことが下手であったかと、疑わしく思う。
芦屋さんは隣にいる。
確かにいる。
前よりも確実に近くにいるのに、こんなにももどかしく、焦燥感に襲われるのは何故なのだろう。
言葉を探して視線を空に彷徨わせる。
ぽつりぽつりと薄い雲が流れている。
一つ、変な形の雲がある。
かなり強引だが、ラケットのように思える。

「あ。あの雲、テニスラケットみたい」

不意にそう言ったので、はっと身じろぎした。
そうだな、と言おうとした。
しかしぴくりと動いた手が思いがけずすぐ側にあった芦屋さんの指に触れて、動揺する。
舌はそのまま固まってしまった。
芦屋さんがうつむいた。
普通にしていても見下ろす位置にある芦屋さんの顔は、そうしてうつむかれると少しも見えなくなる。

顔を覗き込みたい衝動に駆られたがかろうじて堪えた。
ただうつむいたそのうなじをじっと見つめる。
そこから彼女の心は見えない。
そう思っていた。
けれど黒髪の間から覗くそのうなじの内側が、耳たぶが、さっと桜色に移り変わっていくのが見える。
ああ、と息を洩らしそうになった。

何気なく触れた指先に動揺していたのは芦屋さんも同じであった。

そのことに不思議と焦燥が静まっていくのを感じる。
強張っていた手を動かしてみる。
指先が彼女の滑らかな手の甲に触れた。
ぴりぴりとした感覚が指先から喉元まで這い上がる。
一度、指を離す。
そうして今度は、手のひらをそっと、芦屋さんの手に重ねた。
あたたかい。
軽く握り締めると、嘘みたいに柔らかな感触が手のひらを押し返す。
この柔らかさは最早感動の域であるように思う。

何故だろう。
こんなにもあっけなく胸にあった焦燥と苛立ちが、ほどけていくように思うのは。
言葉は無力である。
それを痛感して。
だから、言葉だけでわかろうとするのは当然無理なのだと、そのことに安堵する。

わからなくていいのか。
それだからこうして人は触れ合って、何かを確かめ合うのだろうか。
原始的で他愛無い。
しかし。
この温かみはどうだろう。

温度を確かめるように再び手に力を込める。
芦屋さんはようやく赤い顔を上げて、かすかな握力でそっと、俺の手を握り返す。

その全てに愛おしいと思う。

「千尋」

意識もしなく出てきた言葉に、芦屋さんは完全に足を止めてしまった。
それにつられて足を止めたが、今度はそれを言う気にはならなかった。
ほんのり桜色だったのが、さらに鮮やかに色づいていく。
嫌ではなかったかと本当は不安だったが、反応を見て、安堵する。

詐欺師も恋の前では、と幸村に笑われた事を思い出す。

確かに、詐欺師と呼ばれてる身として。
振り回される事は嫌いである。
むしろ振り回す方だ。
でも、大きく、幸村は思い違いをしている。
それは詮なき事なのだ。
望んで側にいるのだ。
不安もあるけれど、だからといってそれは決して嫌いにはなれない。
それはその分、芦屋さんを思っている分だから。

「千尋」

もう一度。
今度ははっきりとした意志で紡いだ言葉に芦屋さんは。
千尋は、うん、と頷いた。
了承の証に、頬が緩む。

誰かを好きになる、それは午睡のような幸福感と、揺り起こされた不安感に、満ちている。


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