空蝉


別れの挨拶が行き交う教室。
それを横目に箒の柄の先端に顎をのせてほうと溜め息をついた。
教室の窓から差し込む夕日が教室ほのかを照らす。
電気を消してしまえばもっと明るく思えるどろうけれど。
日に日に早く沈む夕日はそれに伴って高さも低くなる。
そうすると、室内によく光を届ける。
寒さでついつい籠りがちになるのに忘れないでと伝えているようだ。

明るく元気な夏よりかえって室内は明るい。
夏の室内は暗く、寂しい。
遮断されているのだ。
ゆらりとゆれる蜃気楼がそこはかとなく、空間のそれを伝えているかのよう。
そういえば、今年の夏に蝉の抜け殻を見つけた事があった。
全国大会の後だった。
空蝉、というだそうだ。
季語でもあるそれは恐らく柳君の方が……。
いけないと頭をふって箒を動かす。

「千尋」

机に座って足をぶらつかせる由希ちゃん。
一言注意したらぽんと机からたった。

「何考えてるの?」
「夏の事かな」
「今年の夏?」
「そう。全国の事とか」
「あぁ。みんな号泣して大変だったわよね」

思い出したようにクスリと笑う由希ちゃん。
そういう由希ちゃんだって泣いていたのだけれど。
過ぎ去ったものは取り戻せない。
終わった後の空虚さは言葉ではいい表せない。
けれど終わったものへの記憶はなくならないのではないか。
努力の分。
思いの分。
それは無くならずに自分の中で輝いているのではないか。
そう最近、思うようになった。
蝉の抜け殻は中身は空っぽだけど、その後は飴色の透き通った殻は、綺麗に形を保っていた。
抜け殻というのは、独特の美しさがある。
脆く儚いのに、侵しがたい、強さがあるのだ。
そう、それは。
今年の夏と同じ。
こんな夏はもう訪れない。
一瞬、一瞬。
違うのだ。
中学三年生。
青春と呼ぶべきこの時はもう二度と。
そしてそれを受け入れて成長していくのだろう。
仁王君への気持ちでさえ。

「空蝉の、葉に置く露の木隠れて……」

ほろり、呟くと静かな声が降ってきた。

「忍び忍びに濡るる袖かな、ですね。源氏の空蝉の」

この声は柳生君だ。
そう思い姿勢を正して、彼を見る。
どうしたの、と尋ねる。
今日は委員会ではない。
由希ちゃんも怪訝そうな顔で柳生君を見ている。

「放課後、空いているでしょうか?」
「特に用事はないけど、どうして?」
「私もよくわからないのですが連れて来て欲しいと、そう人に頼まれたのです」

よく解らないけれど頷くとでは待っていますねと教室の壁に体を預けた。
このまま待っているつもりか。
なら長引かせると悪いととっと掃除を終わらせた。
由希ちゃんは何を思ったのか先に帰ってしまった。

「それで、私はどこに行けばいいのかな?」
「ついて来て下さい」

掃除が終わり、人気もまばらになった教室を後にする。
行き先がテニスコートだと解った瞬間に戻ろうかと躊躇った。
けれどワァ、と歓声の声がその思考を遮った。

「仁王、君」

彼がコートの中で試合をしている。
相手は真田君。
こちらです、と言う柳生君に連れられて一番見やすい所へ。
ちょうど他のレギュラー陣もいたので軽く頭を下げた。

「仁王君!」

柳生君が仁王君に呼びかける。
彼がこちらを見る。
視線が交わったと思うとニヤリと笑った。
すると変に夏のような身が焦がれるのを感じた。
これを受け入れられる日なんてあるのか。

「よく、見ていて下さい。
 これから、仁王君のショータイムが始まるのですから」

空蝉は、儚い。
そう思っていたけれど、新しい姿に変わるための衣なのだ。
琥珀色の空蝉は、そんな力強い生命のみなもと。
空蝉、現せ身。
ここに在る身は、血のたぎる生命のかたまり。
儚くは、ない。
儚くなんて、なれない。
フェンスにしがみつく。
そんなの解ってたのに。
本当は恐かったのだ。
この思いが。

「……に、おう君!」

かすれた声を聞いた仁王君はあの、悪戯をした時のような笑みを浮かべた。
ゆらりと彼の周りが歪む。
それは蜃気楼のような。
この技を私は知っている。
他でもない彼から教えてもらった。
彼のイリュージョンは全てを魅了する。
人知れず、息を飲んだ。


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