エピローグ


変な感覚ではあった。
あれだけ毎日のようにテニスに打ち込んでいたのに引退した後にそれがなくなった事が。

中学生生活最後の大会は準優勝。

準優勝でも凄いと言う者もいるし俺達の優勝への執念を慮って高校もあるよ、なんて言う者もいた。
後輩も大号泣しながら絶対高校でも全国行って今度こそ三連覇を成し遂げましょう。
そんな約束を幸村達と交わしていた。
俺にも無理矢理に指切りをして純粋な真っ直ぐな瞳で約束ですよ、と言った。
引退の後。
仲間達はなんだかんだ言いながら可愛いがっていた後輩の様子を見に行く中で自分だけは行こうとしなかった。
寧ろその仲間達にさえ近づかなかった。
燃え尽きたのだろうか。
いや、違う。
物への執着心は薄くはあるけれど一度執着した物はなかなか手放さない。
今もテニスは好きだ。
ひっそりとだけれども練習はしている。やっぱり以前ほどの時間はしていなかったけれど。

夏も終わりを告げようとしていて、蜩の物悲しい声が妙に胸に染みる。
だんだん雲も高くなって空気が冴え渡ってきた。鰯雲が所狭しと空を覆い尽くす。

「所詮は道化師だったと言う事か」

真田の声が離れない。
俺は負けたのだ。その声が自分の中で幾重にも反響している。

ふわふわと浮ついた中で曖昧に過ぎる日常は水で薄めすぎたカルピスのように味気ないものであった。

 「仁王君」

呼び止めた声は聞き慣れた相方の物。
相方の方には向かずに何んじゃ、と聞き返す。

「これから切原君の様子を見に行くのですが、仁王君も行きませんか」
「すまんが用事があるんでの。また他の機会に誘ってくんしゃい」
「それは絶対に外せない用事なのですか?」
「あぁ」
「なら仕方がありませんね。また他の機会に誘います。今度は絶対に来てくださいね」

絶対、という単語を強めて言う相方。
それにこいつの気持ちが痛い程伝わってきた。

「考えとく」

短く答えて止めた足を再び動かす。
後ろから再び仁王君!!と声がしたが今度は立ち止まらなかった。
俺の返事に不安を持ったのだろう。
こいつは根っからのお人好しだから。
それに長くコンビを組んでいたのだ。

柳生の気持ちを汲み取るなんて赤子の手を捻るよりも容易い。
解っている。
柳生が俺を心配している事なんて。
俺があいつらに全く寄りつかなくなった事は鈍い真田さえ気づいたのだ。
俺の事をよく理解している柳生はとっくの昔に気づいていたのだろう。

悪い、柳生。

でも今の心のままであいつらと会う事はできない。
これは俺の問題だから。
それでも思う事はあるみたいで無意識の内に屋上に足を運んでいた。
乾いた少し肌寒い風が頬をなでる。

この屋上には幸村が作った屋上庭園がある。
いつも幸村の手が行き届いた四季折々の花々が咲き誇っている。
委員会におけての緑化計画だと幸村は言っていたが完全に趣味が入っていて半ば私物化しているのが現状だ。
幸村はたいていここで昼をとる事が多くそこに真田、柳が加わる。
すると必然的に他の部員もここに来て昼を取る事もあった。
だからか昼のミーティングは晴れていたらたいていここで行っていた。

学校の中にはあちこちにあいつらとの思い出があり過ぎて息が詰まる。

幸村がここを占領したのは丁度ここからテニスコートが見えるからだそうだ。
もう一つの校舎からだとそうはいかない。
ここでガーデニングをしながらテニスコートを通したこの景色を見るのがあいつのお気に入り。

フェンスにもたれかかってそのお気に入りの風景を視界に映す。
夕日に照らされたテニスコートは橙に染まっている。
木霊する部員の掛け声。
校舎からする金管の高らかな旋律。
どれも1ヶ月も前にはあの中で聞いていたのに。
こう思うのも傷心のせいか、と思うと笑えてくる。

「あれ、まだ人がいた」

ひどく軽やかな声が静寂な屋上の雰囲気を破る。

「そこの君って、なんだ仁王君じゃん」

そこでようやく俺は振り向いた。名指しで呼ばれれば仕方ない。
屋上に入って来たのは予想どうり女。どっかで見た事があるような気がする。
そう、確か。

「芦屋、千尋さん」

クラスメートだ。
数人の友達といつもつるんでいる地味でも目立ちもしないような子。

「覚えててくれたんだ。私もきちんと覚えてるよ、仁王君。仁王、雅治君」

楽しげに言葉を紡ぐ芦屋さん。
歌うようになめらかな声はすんなりと耳に入り一人の時間を邪魔された事への不快感はしなかった。

「芦屋さんはここになんの用じゃ」
「見回り。風紀委員なんだよね。
 屋上の鍵は閉めないけど下校最終時刻のアナウンスが聞こえにくいから時々
 校内に閉じ込められる人がいるんだって」

確かにここは校内放送は聞こえない。
でもそれで閉じ込められるとは間抜けな奴だ。

「仁王君は何を見てたの?」

ひょいと隣に並んで少し先にあったテニスコートを見つけたのかあぁ、と頷いた。

「大会が終わったからもう引退したんだよね。寂しい?」
「そんな事なか」
「仁王君。手、出して」

素直に手をだすとコロン、と何か渡された。
飴だ。

「お疲れ様」

褒め称えるでもなく、慰めるのでもなく、単純ないたわりの言葉。
ただそれだけなのに今までで一番心に響いた。

「……随分前の事なんじゃけど」
「ひねくれてるなあ、もう。素直に受け取りなさい」
「風紀委員がいいんか、菓子なんて持ってきて」
「委員長には秘密にしておいてね。仁王君だって受け取ってる時点で共犯だよ」

委員長。
あぁ、真田の事だ。

「しょぼい脅しじゃの」
「気にしないで。じゃあ私は戻るけどあと十分もしたら部活も終わって下駄箱混んじゃうから早く帰りなよ」
「あぁ」
「じゃあね。また明日」

また明日か。
お疲れ様、また明日。
今まで何度も聞いたし、言った言葉が随分久しぶりに聞いた事に気づいた。
どんなに悔しくても辛くても明日は来る。戻りはしない。
あの大会の結果は変わらない。

「また明日芦屋さん」

彼女が去ってたっぷり三分がたってから屋上を後にした。みんなと出くわすのはまずい。
屋上の扉を潜る前に振り返ると夕焼けに染められた混じり気のない赤の世界が広がっていた。
それを美しいとただただ純粋に思えた。

口に含んだ飴はレモン味なのに甘かった。


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