十六夜


時計が時を刻む音だけがする。
人のいない教室はそれだけで、虚しい。
……それを仁王君が否定してくれたのはいつだただろう。
完璧な静寂じゃなく、遠くで微かに音がする不思議な感覚が心地よい。

終礼は大分前に終えている。

けれど私がこの場を動かないのは名残惜しいからで。
この場所を離れると仁王君の繋がりがなくなる気がしたから。
仁王君との繋がりは薄れる一方で。

だから、一人ここにいる。

由希ちゃんの用事が終わるまで。
そう自分自身に言い聞かせるた。
窓に近づき触れる。
すでに落ちかかった陽が金色に空の端を照らし始めたていた。
緩やかに空の彩りが移っていく様は成る程、確かに地球は動いていると感じさせた。
珊瑚色が薄く建物の側面を染め、雲は朱に、天頂は薄藍、遠い空が藤色の影を濃くする。
空全体が輝いている。

微かな足音が響いて、振り向いた。
振り向いた拍子にはらりと髪が揺れる。
廊下に目を移すと仁王君がドアの側に立っていた。
あまりに静かに佇んでいたので、驚くより見蕩れる。

「どうしたの?」

彼が何も言わないので首を少し傾けた。

「これから帰り?」

思いがけず。
少しだけそれを望んでいたけれど。
仁王君の登場に嬉しくなって頬が緩むを感じた。
無言で教室に入ってくる。
その身のこなしには乱雑なところが微塵もない。
無造作にズボンのポケットに手を突っ込んでいてもだらしなく見えない。
それは何故だろうかと、不思議で仕方無い。
ぼけっと、仁王君の事を見ているとどんどん近づいてくる。
あと少しでも動けば体がぶつかってしまう所で立ち止まる。
私の横に手をつく。
まるで逃がさないとでも言うかのように。
それで。

「好きじゃ」

切羽詰まったような声音。
理解が、一歩遅れる。

「好きじゃ、芦屋さんの事が。だから付き合ってくれんかの」

え、嘘。
何、これ。
追いつけ私の頭。

「に、おう君?ちょっと、いきなり」
「いきなりでもない」

そう言う仁王君はどこか苦しそうだった。
なんで、こんな苦しそうなの?
好きという事を言うのは苦しい事なのだろうか。

仁王君の瞳を見る。

違う。
漠然とそう感じた。
違う、こんなの。

「仁王君、どうしたの?どこか、苦しい事でも、あったの?」
「……告白するのは、けっこう勇気がいるもんじゃけど?」
「違うよ、仁王君。だって仁王君。私の事ちゃんと見てない」

なんで告白という手段を選んだのか、わからない。
けれど私が好きで私に告白したという雰囲気ではなかった。

「話、聞くから」

一瞬、泣きそうな顔をした彼は顔をみられないように私の肩に顔を埋めた。
辛い、と仁王君は呟く。
それは始めて聞いた弱音だった。
辛くても彼は、そう言わなかったから。
心配しなくてもいいように笑っていた。

「最悪じゃぁ……。
 色々な事が重なりすぎて、いやになる。
 幸村達が俺を追いかける理由なんてわからん。
 周りは勝手に俺に期待するし。
 裏切りとうなくても全然上手く、いかん」

全国大会の敗北の事、なのだろう。
三連覇という期待は重かったのだろうか。

「詐欺師はしょせんピエロなんぜよ……」

私は返す言葉が見つからなくてきゅっと仁王君を抱きしめた。
少しでも安心して欲しくて。
私はいったい何ができるのだろうか。
仁王君に。

「辛かったら、逃げてもいいんだよ」

言葉を選びながら、そう言った。
僅かに反応を示したけれど仁王君は何も返してくれなかった。
紅に染まっている銀を見つめた。

「それでも私は決して仁王君を軽蔑したりしない」

立ち向かう事だけれが道じゃない。
テニスをしていても仁王君は仁王君だ。
人は一人一人違うのだから。
自分の意志をそれぞれ持った違う生き物だ。
だから、それを選んだ所で誰が何を言おうと私は何も言わない。

「だから仁王君が、後悔しない選択をすればいいんだよ。
 間違った事したら叱咤する。
 悲しかったら一緒に泣いてあげる。
 だから、思うとうりに、生きて」

生きるのはとても難しい。
たくさん悩むし苦しむ。
けれど、それだけではないでしょう?

「……そうじゃな」

すまん、そう言って仁王君は顔をあげた。
今度は真っ直ぐに仁王君は私を見てくれた。
吸い込まれそうなぐらい、澄んだ瞳をしている。

「ありがと、さん」

優しく、微笑んで。
私が回していた腕を放すと陽気な声で帰るか、と言った。
最終下校時刻までもうあと僅かだ。
空はもうすっかり真っ黒になっていてた。
街灯の明かりだけがぽつりぽつりとさみしい光を振りまいている。

「一緒に帰ろうか?」
「由希ちゃんを待ってるから」
「そか。気をつけて帰れよ」
「うん。じゃあね。また明日」
「また明日な」

手を振って仁王君を送り出して姿が見えなくなった所で手を降ろした。
何か、弱音を吐きそうになって押しとどめる。
好きな人に、こんな告白を、されたくなかった。
ずるずると壁を伝って座り込み、膝を抱え込む。
仁王君だって、苦しんでるんだ。
こんな我が侭を言えるわけがない。

この気持ちは今はまだ、気づかれないままで。

深い、深海の中。
静かに思いを沈ませる。
仁王君とほぼ入れ替わるように教室に入ってきた由希ちゃん。
私が座り込んでいたからなんでもないと笑った。

上手く笑えたと思う。

「帰ろう」
「そうだね」

教室から出て、振り返らなかった。


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