焦り


空気が抜けるような音とがして電車の扉が開かれた。
包まれたキンキンに冷やされた空気に体が緊張する。
反射的に手をポケットに突っ込んだ。
左にあるカイロがぬくい。
以前、芦屋さんに貰った種類と同じもの。しょせんは消耗品。
こだわりはないのに購入する時はついついそれを選んでしまう。
左手のぬくもりを感じながら昨日の事を思いだす。

彼女に差し出した手。

そこにはいつもと違う何かがあった気がした。
何か、が解る前に後輩によって邪魔され。
そしてあろう事か芦屋さんを連れて行ていった。
その時にわけのわからない焦燥感に駆られて。けれど、追いかけられなかった。
あの時、追いかけられずに何もない左手を持て余してしまった。

今、その左手をポケットの中で開いたり閉じたりを繰り返す。

「仁王先輩!!」

後ろから突如飛びつくものだから崩れたバランスを足を前に出して踏ん張る。

「お早うございます!」
「……お早う」

昨日からやたらめったらつきまとってくる後輩。
昨日、芦屋さんが何を言ったのだろうか。
本当なら突き放して逃げてしまいたい。
けれどそれは。
きっとこの後輩は自分が想像するより傷つく。
馬鹿なのに考え過ぎる所があるから。心配しすぎるのだ。
それに拒絶したらもう二度と前を向けなくなってしまいそうで。
芦屋さんにせっかく貰ったこの覚悟を無碍にする事はしたくない。
だから構いもしない、拒絶もしない、中途半端。
なのに無邪気に嬉しそうに笑うから、重いと苦情を漏らしてみた。

「朝から先輩に会えるなんてラッキーすね。先輩って朝が遅いから、時間帯が重なるんですよ」
「遅刻魔の奴に言われたくなか」
「今はしてませんよ!これでも部長なんスからね。ほら、今も部活終わったばっかりで」

テニスバックをこれでもかとばかりに見せつけてくる。
変わらず餓鬼というか子供らしさがぬけない。
こんなので部長をやっていけてるのかと思うが口には出さなかった。

口出しするような所ではないのだから。

ようやく俺から離れた赤也はなおも嬉しそうで。
それはいっそ羨ましくなる……いや、ならないか。
素直に感情を表に出せるような性格なんて持ち合わせていない。

「芦屋先輩っていい人ですね。なんつーか、落ち着く雰囲気を持ってて」

おもむろにそう切り出したその話題は芦屋さんの事。
芦屋さんと対面した第一印象はたいていそれであろう。
それはいい。けれど、赤也の口から彼女の名前が出てきたのに釈然としない。
心のどこかで焦りを覚える。

「芦屋先輩とはちょっことしか話してないんですけれど。
 なんかお母さんって感じ?包み込むみたいな……」

うんうんと言葉を探し出すのを横目に歩く早さを早めた。
文句を言いながらついてくる。赤也の口から彼女の事を聞くのが不快だ。
それは、子供じみた独占欲だと気づき苦笑する。
大切な宝物を隠していたのにみんなに気づかれたような。

芦屋さんの隣はひどく安らぐ。

彼女は確かに自分の居場所だった。
だから、それを奪われたくなくて。

「……仁王先輩?」
「ん?どうしたん」
「あ……いえ、何でもないっす」

テニス部と彼女が関わる事によってそれが浸食されていくかのような。
自分が彼女に近づいてそれを利用する幸村達。
そこまでして、俺を求めるのだろうか。
何の為に?

さっさと赤也とわかれ教室に入っていった。
変わらずに無秩序な音の波が支配する。
人の多い教室には実態がない透明な膜が覆ているように感じる。
深海にいるような。
それは第三者の視点だからこそ気づく事なのだけれど。
あたりを見回すと友人と楽しげに話す芦屋さんの姿をとらえる。
挨拶しようかと思うその前に丸井の手によって遮られた。

「はよ、仁王」
「おう、おはようさん」

丸井を一番最初に選んだのは同じクラスだから。
そして丸井は何も言わずにあわせられる奴だから。

「聞けよ、仁王!今朝のコンビニでな……」

話し始めるのに適当な相槌を打つ。
こうやって芦屋さんと話す機会が減る。
丸井にこの事に対して恨む事はないけれど。
だんだん芦屋さんから足が遠のくのが恐ろしい。

これは、俺が進めば進む程そうなる。

それは確信。
丸井一人でこうなのだ。
完全に俺がテニス部に戻った時。
戻れた時。
その時、芦屋さんとは赤の他人になるのだろうか。

それは嫌だ。

何故とかそんなのか考える前に。
自分の頭はどうやって彼女をつなぎ止めるのか。
そればっかりを考えていた。
頼るだけ頼って。
あいつらも彼女を頼って。
なのに彼女の事を置いてきてしまうのだろうか。
鮮やかな紅を視界の端に追いやって彼女を見る。
ちょうどその時、彼女の友人と目が合った。
その目がなんだか俺を責めているかのようで。
そう思うのは、俺にそういう心があるから?

「ブンちゃん」
「んだよ」
「俺な、竹の花、見たんよ」
「竹の花ぁ?そんなんあるのかよ」
「見たん。……芦屋さんと一緒に」
「ふぅん」

興味がなさそうな返事。
実際、そうなのだろうけれど。

竹の花。

まだ記憶に残っている。
鮮やかに。
彼女の微笑みと共に。
それが薄れないうちに。

早く、早く。

そうせき立てる心の声を無視できない。

カイロはだんだん熱を失いかけていて。
熱を感じるために強く握り閉めた。


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