竹の花


彼女が隣にいることが最早当たり前になっていた。
日常になっていてそれが日常でなかった頃のことをもう思い出せない。
けれども足を止めて振り返る。
その時を思い返す。
彼女と出会った夕日が綺麗だったあの日。
彼女とエスケープした秋の日和に包まれたあの日。
そして雨の中で、幸村達と会っているはずだろう彼女を待ったあの日。
彼女がそばにいるのはそのせいなのに彼女が傍にいる事を拒絶できなかった。
出来なくて日常になったのだ。
隣にいる彼女の姿を見て思う。
彼女の隣は何故だか心地よいのだ。

「もうすぐ冬が来るね」

空気が透き通っている。
そう言うのが一番、秋の大気にはふさわしい。
なら冬は鋭利な氷の刃のよう。
秋の間に研がれた空気はいっそ痛いぐらいだ。

「秋は……短いから少し残念な気がする」

秋の空気よりも一層澄んだ声。
芦屋さんの声はいつだって子守歌を紡ぐかのように穏やかで水のように澄んでいる。
さらりと風がふいて髪先を攫っていく。
葉の間から零れる光の白さに目を細めた。
学校にある竹林広場。
そこで二人で何をするでなく話しをするのはもはや日常であった。

「……そう言えば気づいてる?」
「何を?」
「この奥に竹の花が咲いてるんだよ」
「竹の花……知らんぜよ」

初耳である。竹に花なんか咲くのだろうか。
そうすると芦屋さんはこっちだよ、と歩きだした。

「竹の花はね、本当に珍しいんだよ。だから見つけた時は嬉しくなっちゃって」

そう言う彼女の素直さを自分は好いていた。
素直と言うのは愚直とほぼ同意義だと思っていたけれど、どうやら違うみたいだと彼女を見ていて感じた。
彼女の竹の花の講釈を聞きながらそう考える。
考えて、ああこんなのも当たり前になったのかと気づかされる。

これが日常になった。
当たり前に隣にいて下らない話をする。
忘れそうになるけれどそれはつい最近まで当たり前ではなかったのだ。
以前の当たり前はテニス一色だったから。
当たり前って何だろう。
こうやって何かを徐々に取りこぼしていくのだろうか。
何だか急に、怖くなってきた。

「どうしたの?」

俺の返事が返ってこないのを不信に思ったのか振り返って不思議そうに首を傾げた。
普段、ほわほわしているのにこういう所は鋭くてたまにドキリとさせられる。

「……忘れるのがなんだか恐ろしくなってきたぜよ」

何を、と更に不思議そうにする芦屋さんに当たり前って怖い、とそう呟いた。

「昔の自分を否定しているようで」

そう、最近ずっとそれを恐れていた。
今まで言葉にした言葉はないけれど。
俯いた俺にそっと近づいてきた芦屋さんは大丈夫だよ、とそう言って。

「まだそう思う内は忘れてないし……それに時は刻まれて行くものだから無くなった事にはならないよ」

なだめるように言う彼女に頷いた。
彼女の言葉は安心する。
芦屋さんは何かを思い出すように空を見上げた。

「当たり前じゃないこともたくさんある。ううん、その方が多いと思う」

ほら、と芦屋さんが指差したその先。
そこには花が咲いていた。
稲穂みたいな、そんな花が。

「竹はね、花を咲かせると直ぐに枯死しちゃうんだって。
 それはとても寂しい事だけれどもこうやって仁王君と一緒に見れた事は忘れないから。
 だから、それを寂しいだけで終わらせる事はできないよ」

こんなにも花は綺麗なんだからと、笑う。
無邪気で、透明な。
知らない。
こんなにも、無邪気な笑みは知らない。
無邪気。
いや、違う。
無垢。
そう、無垢なのだ。
こんなにも無垢な微笑みは見たことがない。
ぎゅう、と心臓を鷲掴みにされたような錯覚。

ああ、結局はそうなのだ。
話し方とか、素直さとかそういうのではなく。
芦屋さんの飾らないその気質なのだ。
心地よさの正体は。
気を張らない相手に対してこちらも気なんて張り用がないのだから。
そしてそんな事ができる芦屋さんはきっと揺らいだりしないのだろう。
他人の言葉に惑わされたりしない確固たる「自分」を持っているのだから。
だから彼女は飾る事なんてしないのだ。
揺らぎない強さが欲しい、そう思った。

芦屋さんの言葉を何度も心の中で繰り返す。

「俺も、忘れん。
 芦屋さんとこうして一緒に竹の花を見た事」

こうやって共に居る事が当たり前になった。
今、芦屋さんの一挙一動に眠っていた神経が揺り動かせられる自分も。
これすらもそのうち当たり前になるのだろうか。
とてもそうは思えないのに、きっとそれは、真実だろう。
そうしてそれは。
何て幸せなことなのだろうと。
あまりのことに泣きたくなる気持ちを抑えて、ただそこに、立ち尽くしてしまいそうになる。

「忘れんよ、絶対」

こんなに自分は言葉選びが拙かっただろうか。
ただ、それでもこの彼女といる時間はきらきらと輝いている。
それを忘れない為にも。
自分は言葉を繰り返した。

彼女が共にいるようになって近づけば、近づく分、恐ろしくなってくる。
それは、友情といえるのだろうか。
もっと側にいたい。
でも。
これ以上、欲張ったら失ってしまいそうで。
彼女の無垢な微笑みも、歌うような声も。
消えてしまわないように伸ばしかけた手をぎゅっと握りしめた。
手を伸ばすのが怖い。
この時間を壊したくないから。
だからそっと、苦しさを呑んでいる。

心の鍵はまだ閉じたままでいい。

ああ、けれど何時まで持つのだろうか。
息苦しさに、ほうと息を吐いた。


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