融解


たゆたう空気は底抜けに平和ボケしてマヌケである。耳を澄ませば似たような話題が飽きる事なく繰り返しされ。
しかしそんな怠惰な喧騒もここまでは届かない。ここはまるで空間から切り取られたみたいに、静かだ。
はっとするぐらい冷たいドアノブを回す。
すると一番に飛び込むのは蒼。碧。青。抱え込めないぐらいの、空。
学校の屋上は言いようもない開放感がある。そして私は密かに大きく息を吸うのだ。
学校にいると時々、息が詰まる。学校が嫌いとかそんな理由はなく、楽しくもあるのだが。
とにかく、過呼吸になってしまったような。食べ過ぎてしまったような。
そんな様々なものがしっちゃかめっちゃかに詰め込まれたような感覚。
そうなると逃げるように屋上に足を向ける。
屋上にはたいてい、いやほとんど。今のところ九割ぐらいの遭遇率で先客がいる。
胡座をかき白銀の髪を風が揺らすのを心地良さげに目を細めながら空を見上げる。
仁王雅治は空気のような男だ。
掴めないのに側にいると恐ろしいほど自然にその場に溶け込む。
だからだろうか。逃げ出したはずなのにその存在に気分を害した事はない。

「よっ」

軽く手を上げながら近づく。
雅治は顔だけこちらに向けた。

「よお」

返事も短いものだが少しだけくぐもっていて。

「……何か食べてる?」

側に座るとふわりと微かに甘い香り。
雅治は甘いものをそこまで好まない。
無類の甘いもの好きな赤いブタの餌の匂いがついていても嫌そうな顔をするのに。

「飴」
「ふーん、なに味?」
「イチゴミルクぜよ」

それはまた甘いものを。甘いものを食べたい気分なのだろうか。それとも案外甘さ控えめとか?

「頂戴」

興味が湧いて尋ねる。するとズボンのポケットを漁るが直ぐに肩をすくめられた。
たしかに雅治がいくつも持っているとは思えない。だがすると欲しくなる人間の性。

「じゃ、それでいい」

は、と反応する前に雅治のネクタイを引っ張った。
口付けただけでも甘い。
雅治が驚きで口を開けたのをいい事に飴玉をかっさらう。
広がるイチゴミルク味。

「あっまぁ」

めちゃくちゃ甘い。想像以上で眉間に皺が寄る。
かく言う私も実は甘いのはそこまで好きではない。ただの好奇心。
何でこんなの舐めているのだろう。

「おまっ……!」

驚きと戸惑いが隠せない声音。
珍しい雅治の顔に少しだけ愉快な気分になる。
目を見開いてる雅治に悪戯心に舌を出して飴玉を見せつけた。
恐らく薄いピンク色の飴は私の舌を甘さで鈍くしている。
どちらかというと、毒々しいぐらい真っ赤な色をしている舌の上にのる飴を見て雅治はどう思う?
じっと見つめるとみるみるうちに耳が真っ赤に染まっていくのがとわかった。

「わ、照れてる?」
「見るんじゃなか!」

目を覆うように手を伸ばされたから変な声が出る。

「照れてる?照れてるよね?詐欺師が手照るの??ねぇねぇどうしたの〜」

ニヨニヨと音が付き添うな程に笑みを作りながら手をどかそうとする。
力で適うわけないが見ようとする行為が重要。よけいに羞恥心が増すから。
もっとも横からの力の方が強いので、直ぐに真っ赤な雅治を見れたが。
片手で顔を隠し横を向いていても耳が赤いから無駄だ。

「いやぁ、真っ赤になって可愛いね!」
「人をからかって何が楽しいんじゃ」
「……ん、いや。別に」

なんだか急に気が抜けて頭を雅治の肩に乗っけた。
いきなり脱力した私に雅治は特に嫌がる様子もなくそのままにさせてくれる。
そんなんだから私は雅治を拒めなくなるのだ。

「どうしたん」
「疲れた」
「人をからかっておきながら酷い奴ぜよ」

そんな事いいながらゆっくりと頭を撫でる。呆れたような声音はあくまでも形だけだ。
取り乱していた事なんて既に消えているから狡い。だから詐欺師なんて呼ばれるのだ。
そう思いながらも目を閉じる。
口の中でコロリと飴玉が転がる。
甘い。
雅治はこの飴玉みたいに甘い。
でもこの甘さに溶けてしまえばいいのに。

「どうやら甘いのが必要だったのはおまんの方みたいじゃな」

偽ってるわけでも、ぶってるわけでもない。
なのに時々、とても疲れることがある。
醜い部分が腹の中に溜まっているかのような。毒に犯されているかのように私を苛む。
だから逃げたのだ。私は。
醜い私なんて要らない。
認めたくもない。
でも。
雅治の前では。
何故かそれらを感じずにすむ。
きっと許してくれるような気がするから、見せずにすむ。
矛盾していてもそうなのだ。
だから私のそれらも消えていく。
と。ふいにカサリと音がすした。見上げるとちょうど白色の飴玉を口に放り込む所で。

「……飴。持ってるじゃない」
「プリ」
「持ってるじゃない」
「ミントなり。甘いのは本当にないぜよ」

雅治ならこんなに甘いのを食べるぐらいならミントを選ぶだろう。
なのに選ばなかった理由を思いついて否定する。いやいやまさか。

「まさか、私が来るのわかってた?」
「……ご馳走さん」

ニヤリ、と口角を上げたから全てを悟る。そういや飴もまだ大きい。
この野郎、全部演技か!

「私が甘いの欲しがらなかったらどうしたのよ!」
「欲しがったじゃろ」
「この詐欺師!!」
「ピヨ」

慰められてるので本気では怒れない。けどこのままではプライドが許さない。
思いっきり雅治を押し倒して再び口付ける。
流石に口を開けはしなかったが離れた時に僅かに赤味を帯びていた。
今回は嘘じゃないだろう。それに酷く満足した。

口の中の飴玉が溶ける。
溶ける。
私の中に雅治という存在が溶ける。
それはあまりにも自然で穏やかな気分だった。



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