あの日あの場所


ずれかかったテニスカバンを肩に背負い直す。
空はどっしりとした厚い雲で覆われていて、それだけで気分が滅入った。
わざわざ車じゃなくて徒歩にしたのにこんな天気じゃ意味ないじゃないか。初めは晴れてたのに。
自然に漏れ出たため息が溶け消える。
プロも楽じゃない。
ヨーロッパの文化は嫌いではなくむしろ好きだ。けれど帯住するとなれば話は別。
文化の差はどうしたって戸惑うし、母国語以外は話せても神経を使う。
食事はカロリーを計算して減らしても、濃くて鬱陶しい。日本食が恋しい。
体力はむしろ上がったのに昔より疲れやすくなっている。いや、疲れているのは精神的にだろう。
昔はいくら騒いでもそんなことはほとんどなかったのに。俺も年を取ったということなのだろうか。
舗装された石畳。賑わう街の人々の中を紛れるように。溶け込むように。進んでいく。
人は一人でいるより、街にいるほうが孤独を感じるなんてよく言ったものだ。
壁にそって、俯きがちに歩いていく。街も、もう端のほうに来ていて曲がり角にあたった。
と思ったら、明るい花が地面に並べてあるのが目につく。
視線を上げていくと暖色系のあたたかい花々が所狭しと並べてある。
それでも花どうしが喧嘩していないから、配置に拘ってあると察せられた。
花屋だ。そうすぐさま判断して、足を止めた。花。ガーデニング。昔はよくやっていた。
今は世界中あっちこっち飛んでいるせいで、腰をすえてできない。
植物は相変わらずに好きだけど、見るしかできないでいて。
しかもそれすらも日々の忙しさでゆっくり見ている暇なんてない。

「Was suchst du?(何をお探しですか?)」
「Nein, ich sehe nur aus……(いえ、見ているだけですから……)」

横から声をかけられて、反射的に返事を返しながらも横を向く。

「日本、人?」

黒髪、黒目の、小柄な女性。黄色の肌は少なくても西洋の人間ではない。

「あ、もしかして、お客様も日本人ですか?」

俺の呟きに彼女はどこか嬉しそうに言った。
同じ東洋人でも朝鮮の人と見分けがつかない。違くてもおかしくない。いや、その確率の方が高い。
なのに本当に日本人だという事に素で驚いた。

「日本語で話すの久しぶりですよ、私」
「あ、俺も……かな」
「お客様もこっちの生活は長いのですか?お若いし……留学ですか?」
「いえ、違います。俺はテニスプレイヤーで」
「プロなんですか?凄いです!」

すごく気さくなのに少し戸惑ったけれど、不思議と嫌悪感はない。
外国で同胞を見つけた安堵感?いや、彼女の飾り気のない素朴な笑顔のせいかもしれない。
そのまま何故か話を話こんでいるうちに、名前を名乗り合って。それから年もほどんと近いこと。
彼女がフラワーデザインを学びに留学している傍ら、ここで働いている事。色々な事を知った。

「へぇ、幸村さん、ガーデニングやってたんですか」
「学生時代の話ですよ」
「今は?」

きかれて、何故かドキリとした。

「えっと……、今は忙しくてちょっと。それにあちこち飛び回ってガーデニングとか、できなくて」
「そうなんですか?」

少しだけ視線を反らして言うときょとんと首をかしげる。

「たしかにあちこち飛んでいると、花壇でとかは無理ですよね。
 それでもきっと一輪だけでも飾ると気分が華やぎますよ」

すっと差し出される花。ダリアだ。ぱっと見て花の種類がわかるほど昔は熱中してた。
ガーデニングでなくても、花を飾る事ぐらいできる。
そんな単純な事も失念してたのか。つい、ガーデニングをする事ばかりに拘って。
いや。本当はわかってた。けれど忙しさにかまけて、知らないふりをしていた。
昔はどんなに忙しくても時間を作ってガーデニングに勤しんでいて。
そうやってまでする気力を、したいと思う気持ちを俺はいつの間に失っていたのだろう。
テニスは今は、仕事だけど、それでも……好きだ。そう思えるようになった。もう一回。
けれど、それ以外にも、好きはたくさんある。

「そう、ですね」

ダリアを受け取る。
俺に必要なのは、きっとこういうこと。
一つに拘らないでのんびり、気まま間に自分の思うがままする事なのだ。

「助言にしたがって頂きますね」
「ありがとうございます」

お金を払って、たった一つのダリアの花を受け取る。

「あの……。また、来ていいですか?」
「おまちしています」

にっこりと笑った長倉さんの笑顔。
癒されるなぁ、とどこか気持ちがほっくりしながら、店を出た。
さて。帰ったら花瓶を探さないと。


――――――――――
途中に出てくる外国語はドイツ語です。
翻訳サイト様にお願いしました。
また、画像ですが琉生様がこの短編に合わせた画像を作って下さいました。
小説ページに画像を入れるのは初めてでです。
しかもその画像をベースに作ったりと色々やらせて頂けたりと。
一人勝手に楽しんでしまいました……。
幸村さんは好きなのに、ついついそれを忘れたり
好きで拘って逆につかれちゃう人なのではないでしょうか。

琉生様、改めてありがとうございました!



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