07


しっとりとした空気が充満している。
午前中からずっと降っている雨は相も変わらずに零れ落ちていた。
雨は嫌いではないけれど。しかしテニスができないのが不満だ。
テニスは天候に左右されすぎる。部活となれば特にそうだ。
室内で基礎トレをする場所も普段、外でやっている分、確保しにくい。
少しでも練習したい。帰りにやはり室内コートに行こうか。骨があるやつがいればいいのだけれど。

ならばと足を速める。がすぐにハタと止まってしまった。
テニスコートを眺めている人の姿。傘のせいで表情はあまり伺い知れない。
しかし誰かは判断できた。最近転校してきて、テニス部と馴染んだ先輩。
じっとテニスコートを見つめ続けている。

先輩達に用があるなら、クラスで話かけるはず。見学は雨続きなのだから可笑しい。
一体、何の用事があるのか。しかし俺には関係ないと内心で頭を降ってまた足を進めた。
多少の距離を持って通りすぎようと思ったがその前に九条先輩がふとこちらの視線をやった。
元から周りに人はいなく、雨で足音は嫌でも立つ。たまたま通りかかった人の気配に反応しただけだろうけど。

「あ、れ……?日吉君?」
「どうも」

間抜けな声に、素っ気ない態度で返す。さして気にしていないようだけれども。

「テニス部の?雨でもやる事あるんだ?」
「それは、貴方にも言えると思いますけれどね」
「あぁ、そう、だね。だだ、誰もいないテニスコートって寂しいなって思ってただけ」
「やかまし過ぎるんですよ、普段が」

目立ちたがりの跡部さんのせいだ。俺はそんなの好かないのに、部長になってからも変わらない。
だたでさえ多い部員を抱えているテニス部は、部活がないと驚く程に閑散として感じる。
そう思う事はわからなくはない。

「用がないならさっさと帰ったらどうですか?コートの近くに不審人物がいつまでもいられたら迷惑ですし」

話かけられたから渋々、立ち止まったけれど早々に帰りたいといのが本音だ。
不審人物というのに苦笑をされてしまったが、女子がコートの近くにいるといのはそれだけでも怪しい。
純粋に応援してくれている人もいるのは理解している。けれど過激派もいる。見分けはつかない。
怪しまれるのには十分なのだ。それだけで。

「そうだね。雨は、嫌いだし」

じゃあなんで突っ立て居たのだという言葉を飲み込んだ。ふっと伏せられた瞳に呑まれて。
落ちた影の深さ。冬の、全てを隠してしまうかのような夜の漆黒。それを連想させた。
時折、楽し気にしているこの人のこの色を見る度に気に触れる。
何が、儚気だ。
そんなの全然、違う。単純な先輩らしい勘違いだ。
この人は、ただここにいないだけだ。身体はある。けれど心の一部は遠くに置いて来ている。
謙虚で奥ゆかしく、清楚。けれど悪戯っぽい一面もあるから誰とでも仲良くできる。
そう、そんな性格だ。だから儚いなんて思えてしまうのだろう。

「なんで、ですか?」
「……転機が訪れた時は、いつも、雨がふってたから」

雨のかすかな音にでさえ掻き消えてしまうかのような声量。
口に出してしまったものの応えてくれるとは思っていなかったから驚く。
それらしい理由でいくらでも誤摩化せる。なのに、正直に応えたのは、やっぱり雨のせいだからだろうか。
ふいに太陽が恋しくなってしまった。普段はギラギラ、鬱陶しいことこの上ないと思っているのに。
雨は気分を落ち込ませる。雨が続くと自殺率も高くなるそうだ、と余計な事も思った。

「けどね。本当は、違う。転機が、っていうのも嘘じゃないけど。雨が降ると、テニスができなくなるから」

視線をコートにやる。フェンスに触れるとそこから雫が手を伝って、袖を濡らす。

「テニスをしている時の強い眼差しが好きだった。普段から真っ直ぐな目をした人だったけど。
 それでも一番、テニスをしている時が楽しそうで、強い眼差しをしてたから」

宍戸先輩あたりが九条先輩の転校前の事を探しているのを知っている。
内容も断片ながら知っている。
立海。
「げんくん」それはきっと、九条先輩が今の語っている人物と同じ。
真田、弦一郎の事だ。一瞬でわかった。

「手。冷えますよ。明日は晴れるそうですから、風邪引いて……」

求めている人物がこの氷帝のテニスコートはいないのはわかっている。
けれど、それを見ながらその影と重ねているのではないのだろうか。

「練習、見てるんでしょう?」
「平気。感じないから」
「え?」
「ちょっと、違うかな。感じなくは、ないんだけど、慣れちゃったから。痛みとか」

はっとして、大股で近づいてその手を取る。
先輩の手は、驚くほど冷たかった。氷のようだ。ここまできたら痛いのではないのだろうか。
この人の心は、立海にある。そして、真田弦一郎に。

「なんで、ここにいるんですか」

そんなに思っているなら、何故ここに来た。逃げたのか?こんなに焦がれているのに?

「待つために」

それは、強い意志を伴って空気を振るわせた。普段は見えない思いに呑まれる。
待つ。それは真田弦一郎の迎えをか。待つ理由。それは聞かなかった。否。聞いてはいけない気がした。
だから他の事を聞く。

「なぜそれを話すんですか。そんな事。知られたくないことなんじゃないですか」
「私からは何もしないって決めたから。日吉君なら、余計な詮索なしで止めてくれるでしょ?」
「俺はあんたの手駒じゃない」
「うん、だから」

お願い。と。そう笑った。包み込むような微笑だった。お願いというよりそう信じているという面持ち。
俺は何も言わずに握ったままの手を強く握った。

「日吉君は、こういう所、跡部君と似てるね。後継者、だかかな?」
「全然似てませんし、似たくもありません」
「似てるよ。日吉君のほうが不器用だけど、こうしてくれる事とか。最終的にほっとけない性格なんだね」
「は?」
「……あったかいね、日吉君の手」

そんなに体温は高くない。けれど先輩の無防備な表情に口を閉ざす。
そういえば跡部先輩が先輩に何かと気をかけていた。それは先輩のこの状況を知っているからか。
傷付ききった、精神状態を。

宍戸先輩達にこの情報を漏らすかどうか、まだ考えあぐねている。
けど、純粋で芯の強いこの人の顔を歪むは見たくないと。
柄にもなく思ってしまった。



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