03


風に僅かに冷たさを感じるようになった。秋の訪れを一歩一歩感じる。
持ち抱えたプリントを持ち直す。全く跡部は相変わらず人使いの荒い奴やと呆れと諦めにた愚痴を内心零した。
部活のプリントとはいえ多いのだ。マンモス校なめんな。

近道をしようと裏道を通る途中、木の葉の先がほんのり色付いているのに気がつく。
紅葉が見頃になったら跡部に声をかけようか。跡部ならいい場所を探しあてるだろう。
こういう提案をするのは大抵は自分である。
お子ちゃま組は論外で、宍戸は興味外、長太郎は自ら意見はあまりしない。
日吉は行きたいと言える素直さに欠ける。

イベント好きな跡部はヨーロッパ育ちなせいか美というと絵画や音楽などがどうも先に立つ。
日本の自然を愛でる感性を理解しないわけではない。だが自らの発想に出てこないのが難点であった。
そしてそのまま突っ走るのが良くも悪くも跡部という男なのだと思う。自信ゆえか、誇りゆえか。
それまた別の何かか。
ついて行ってもいいと思うのは、けれどそこが理由なのだと常々、感じさせられていた。

それに完璧だと余裕ぶっこいていたら俺は絶対に跡部には屈していなかった。
正直、跡部は始め大嫌いだった。
入学当初に騒ぎをおこした跡部につっかかるような台詞をはいたのも、そこが理由の一つだと記憶している。
努力家で、それを見せずただひたすら走る。脇道反れず。
その先に何を見るか。つい気になってしまう。
こんな思い大阪にいた頃は想像もしなかっただろう。そしてそれも悪くないと、思う自分にも。

……まったく、季節の変わり目に入ると昔の事を考えてしまっていけない。
足を思わず止めて思う。いや、全く、本当に。
体を抱きしめるように体育座りをしながら、校舎に背を預けている女。手には携帯が。
普段だったら、気がついていたのにミスをしたと己の失敗を恨む。ミーハーだったら厄介だ。
今からでも回れ右しても遅くないだろうか。

そう思って向きを変えようとして女の顔に見覚えがあると気がつく。
学園を牛耳る奴のそばにいると自然に情報というものは入ってくる。
早くからその事を知っていたとはいえ興味は持つことはなかった。
転校生。何故こんな所に。
氷帝は特殊な所が多いし跡部が整えた豪華絢爛な設備に戸惑う事も多いだろう。
けれど馴染もうともせずこんな所にいるなんて。
前の思い出でも引きずっているのか馬鹿馬鹿しい。

『ねぇ……、ほら、早く!』

急に言葉がして肩が跳ね上がった。転校生が何か話したのかと思ったけど、違った。携帯からだ。

『いきなり録音しても何を話したらいいかわからんだろう!』

低い男の声。

『えー。ほら、なんでもいいよ』
『よけい困るって』

苦笑しているけれど落ち着いた印象を持たせる女の声。最初にした女の声とはまた別だ。
これは聞かない方がいいだろう。体の向きを変えようとして顔を上げた転校生と視線が合ってしまった。
思わず舌打ちをせず笑顔を作った事を誰か褒めて欲しい。

「聞く気はなかったんですけど、すいません」

向こうも人がいると思わなかったのだろう。ぱちくりと目を丸くする。
それからゆっくり頭をふった。

「不用意にこんな所で流してる私も私ですし、気にしなくていいですよ」

凪いだ声。この声はさっき苦笑していた声と同じだ。
わいわいとまだ流れる声。本当は動転しているのだろう。
止める気配はなかった。
そしてそれを指摘する気にもなれなく。
このまま去ろうか。でも何とも言えない空気にどうしようかとぐるぐると思考が空回る。
ミーハーだと嫌悪したら何も言わずさってしまうのに。
それは、転校生が深い海の底のように穏やかで静かな瞳をしているから。

『ね、ずっと一緒だよね。何十年たっても、きっと。私と、結衣と、げん』

ここで慌てて彼女が音を切った。そういえば、名前。九条結衣だったと思い出す。

「その声、前の学校の友人なん?」
「え?」
「あぁ、転校生なんやろ?知っとるわ。俺、同学年の忍足侑士って言うんや」
「あ、そう、なんだ。九条結衣です。初めまして」
「初めまして。仲凄く良さげに聞こえるわ。羨ましいな」
「……うん。仲は良かった、な」

どこか寂し気な表情。何か痛みに耐えるかのような。転校したからという理由だけのように思えない。
あぁ、けれど聞いちゃいけない。これはきっと厄介事だ。関わるといい事がない。

「どうしてこんな所におるん?」
「ちょっと疲れて。氷帝も大きいから覚えるの大変でね。
 友達もできたけどまだ馴染めなくて。少し休憩してたんだ。
 忍足君は気にしなくても平気。すぐ慣れると思うし。それより用事があるんじゃないの?」
「あ……」

指差されたプリント。まずい完全に思考の外に外れていた。

「俺、行かなきゃあか……」

そう、行かないと。でも、今、離れると消えてしまうのではないかと、一瞬思ってしまった。
それこそ桜の花びらのように。散ってしまう。
人間の思考は思うようにできてなくて一度浮かんだ悪い考えはなかなか消えない。
なんで初対面の人間にこんな事を思うのだ。だいたいそうでも心配する義理は。

「大丈夫だよ」

にっこりと笑って言われて、心を読まれたのかと動揺した。
九条さんがゆっくりと立ち上がる。

「大丈夫。だから忍足君は忍足君の仕事をして」

普通に考えれば俺が心配してるように見えて、だからそう言っているのだ。
でももっと他の何かをさしている気がしてならない。そう思わせる何かあるのだ。

「私、けっこう強いから」

そして静かな説得力がある。根拠はなにもないのに。跡部でもこんな事できない。
くそ。わけもわからず悔しくなる。

「そか。じゃぁ、行くわ」

足を動かす。ようやく。急がないと跡部がうるさい。早足で歩く。視界から消す。
そして、角を曲がるぎりぎりでじっと俺を見る九条を見て、僅かに安堵してしまった。
こんな様で跡部の所に行ったら、絶対にヘマをする。思考を切り替えろ。
そう、紅葉を見に行こうと誘おうと思っていたのだ。
それからこのプリントの量も文句を言ってやる。鬼畜か。岳人もいるだろう、岳人も。

もう半ば駆け足で部室に入る。もうレギュラーのほとんどは揃っていて思い思いに過ごしていた。
跡部は相変わらず玉座に見違えてしまうようなソファーに足を優雅に組んで座っていた。

「やった来たか。おせぇ」
「うっさいわ。このプリントの量のせいや」

跡部の前にある机にわざわざ音を立てておいていつもの席に座った。
すると待ってましたと言わんばかりに岳人が側による。

「ゆーし!転校生!俺のクラスだった!」
「そうなん?」
「そう!なんつーんだろう、大人しいってわけじゃないんだけど。大人?なんだけど、もっと他の何かが」
「向日さん、貴方が言いたいのは儚い、でしょう」

日吉が呆れた表情で口を挟む。どうやらさっきまで日吉を標的に話していたみたいで若干の疲れが見える。
岳人なら転校生に反応はすると思った。けどその話はしたくない、と内心、思って黙る。

「そう、それ!でもたんにハカナイだけじゃないっつーか。簡単に消えそうにないんだけど」

桜の花。ひらひら、淡い、ピンクの花。風で簡単にちって、刹那の時を生き、あっと言う間に消えてしまう。
けれど毎年、きちんと咲く。次世代を残せない花ではあるが案外長生きをするのは存外強い。
今とは反対の季節の花。

「悪い女じゃぁ、なさそうやけどな……」

ぽつりと呟いた。ミーハーじゃないし。

「侑士、もしかしてもう話た事あんの!?」
「……さっき、ちょっとな」
「忍足にしては珍しい評価じゃねぇか」

書類に目を通してした跡部が面白そうに笑った。悪戯っぽい色をそのアイスブルーの瞳に宿して。

「足でも綺麗だったのか?」
「阿呆か。ちゃうわ」

肩を竦めた。美脚は好きだけどそれだけで判断するか。

不思議な女。

消えてしまいそうなのに消えない確かな強さを溢れさせていた。

九条さんは……何を想いながらこの学校に来たのだろう。
だが、それはまだ、俺には関係のない事だ。そう。まだ。

「……跡部。紅葉が綺麗な季節になったら、紅葉狩り、行かへん?」
「ん?あぁ、いいな。場所を探させておく」

探しておく、じゃなのだ。跡部らしい。こっちのほうが落ち着く。

紅葉をみようと外に視線をやる。

季節外れの真っ黒な蝶が一匹、舞っていた。



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