02


 大好だった。二人とも大切だった。だからこそ苦しかった。
 自分の中で荒れ狂う黒い黒い悪魔が押さえきれない。
 日常の中で二人といるのが幸せで。何より穏やかな気持ちになれた。
 けれど悪魔は今にも私の中から突き破ろうとしている。
 そして。その日がきっと私の最後。誰か気づいて。いや、気づかないで。
 二人にこんな私を知られたくない。
 だから私は今日も偽り続ける。


九条が転校したという急な知らせを聞かされた弦一郎は正直、目も当てられなかった。
暴れるこそしなかったものの、静かにただ自分を削り取っていくかのような。そんな有り様。

それを見るのはとても苦しい。
既に和解した事とはいえ、自分の行為を思い出さずにはいられない。重ねずにはいられない。
理由があるとはいえ、貞治に似たようなことを経験させたのは変えようのない事実。

だから余計に見ていられなかった。
精市に知らされて、出発の時間を予測したのは俺と仁王だが九条からは何も言われていない。
しかし因果応報な罰ではないのか。例え、そこに言いようのない空虚があっても。

「弦一郎」
「っ、なんだ、蓮二」

腕を掴み声をかけられて、ようやくはっとしたように顔をあげる弦一郎。

「赤信号だ」
「あ、あぁ、すまない」
「謝ることではない」
「他に気をとられるということは己を制御しきれない証拠だ」
「……そうか」

己に厳しいのはいつものことだが時にそれが邪魔をする。甘えろ、なんていえはしない。
俺は今回の件でとやかく言えるほど深く関わらなかったから。いや、違う。関わらせて貰えなかったが正解だ。

「落ち込むなとは言わない。しかし九条はいつまでもそうあることを望みは」
「そんなこと、俺とてわかっている」

眉を潜めて言う姿はいつもの覇気は潜んでしまっている。弦一郎を光のような男と表現したのは誰だったか。
今は見る影もない。
信号が変わり、再び歩きだす。

「精市は」

重々しくここにはいない者の名を呼ぶ。今は委員会に出席しているだろう。

「なぜ結衣が転校していくのを知っていた?なぜ結衣は精市にだけ相談をしていた?」

俺に聞いているのではなく独り言に近い呟きだった。その瞳の奥にどす黒い炎が燃えている。

「……弦い」
「言うな」

先程から遮られてばかりだ。

「あんなことをしたのだから俺に何も言わぬのも当然だ。これは俺の弱い心が言わせているのだ。
 お前にも何度も言われたが今になって身に染みる。突き放しておきながら嫉妬するなんて、な」
「お前だけ知らされなかったわけではない。精市も全て知っていたわけではではない」

慰めにしかならないがそう言う。そうしなければ、あまりにも、弦一郎が不憫だ。
弦一郎だって苦しんでいたのだ。悩んでいたのだ。
やった事は確かに九条を傷つけただろう。それでも内情を知っているから弦一郎を責められない。

「情けは無用だ」
「事実だ。そこからどんな意味を見いだすかは、お前次第だろう」

違うか?と問えば弦一郎は深く帽子を被り直した。沈黙は何よりも肯定の意味を表す。
そのまま無言で歩き続け、十字路にたどり着いた。

「悪いが蓮二、俺は」
「今日も行くのか。ここの所、毎日だな」
「これが今、俺にできる唯一だ。結衣に逃げられた俺にできる唯一の誠意だ。そしてアイツにも」

違う。それは違う。九条が逃げるような奴だったらとっくに逃げている。
そう告げようとして声が喉のあたりでひっかかる。俺がこれを言っていいのだろうか。
九条が転校した真意は知らない。中途半端なことを弦一郎には言えない。
だから、そうか、と短く言い、弦一郎と別れを告げた。


帰宅すると母は出かけているらしいく居間には誰もいなかった。
着替えに部屋に入ろうとすると中からチリン、と風鈴の音がした。
はて、と内心首を傾げる。
母は神経質な所があるから出かけるなら何度も戸締まりを確認するのに珍しいこともあるものだ。

……それにしても、風鈴はもう片付けないといけない。季節はもう秋にさしかかっている。残暑が厳しいとは言え、いつまでも夏の物を出しているのは鄙びているというもの。
こうして、季節は変わっていくのか。忘れられない夏だった故に少し寂寥感が胸の内を過ぎる。
感傷めいた事を考えながら部屋に入ると、思わぬ人物が居心地悪そうに床に座っていた。
俺の顔を見ると彼女は安堵したように微笑んだ。

「こんにちは、蓮二君。お邪魔しています」
「あ、あぁ……どうしたんだ?」
「本を、返そうと思ってね、」

来たのだと告げた彼女は決まりが悪げだ。
学校でどうせ会うのだからわざわざ来てもらう必要はなかったのだが。
しかし母が窓を閉めなかった理由はわかった。
そして母が差し出したであろう麦茶が入ったコップにある氷が殆ど溶けているのを見、長らく待たせた事を察した。

「わざわざ済まなかったな。待たせてしまった」
「勝手に来ただけだから、そんな。
 部屋に通されたのはびっくりしたけど、蓮二君のこと待っててなんだか楽しかったから」
「俺の部屋に何か興味が注がれる物でもあったのか」
「そうじゃなくて、ただ、ここで蓮二君が生活してるんだなぁって思って。
 蓮二君らしい部屋でまた蓮二君の事、知れたなって思ったの」
「……そんなに面白みのある部屋でもないぞ」

殺風景な部屋だ。こんなささいな事で嬉しそうにする彼女に照れ隠しにいってもただ静かに微笑む。
折角の所を水を差してしまったかと少し不安になっていたのに、敵わない。
差し出された本を棚に戻して隣に腰掛けた。
学校で会うといえ、お互いクラスも違うし、俺はテニス部で忙しい。ゆっくり話すのは久しぶりだ。

「九条さん、引っ越したんだってね」
「そういえばお前は同じクラスだったな」
「うん、けど、そんなに親しくなかったけど。それでもやっぱり寂しいね」

なんだか伺うように俺の事を見る。言おうか、言うまいか、悩んでいるみたいだ。

「……真田君とのこと、あったから、心配なの」
「知っていたのか」

今まで何も言ってこなかったから知らないとばかり思っていた。周りだって特に騒いでいたわけでもない。
しかし彼女は寂しそうな、悲しそうな、自分の事でもないのに傷ついたような表情をする。

「みんな、気づいてた。何かおかしいって。でも尋常な雰囲気じゃなかったらら口を誰も言わなかった。
 ファンクラブの子達だって黙っちゃうぐらいだったんだよ。
 ……始まりは、あの子の事でしょ?
 だいぶ前の事だから記憶から薄れている人もいて、原因も知らない子もいる。
 けど、気づいてる?蓮二君。自分がどんな顔してるか。
 関わってたみんな、傷ついてるのに、知らない顔してる」

見ていて辛かった、と彼女は言葉には出ささなかったがそう表情が語っていた。
知らず知らずの内に俺達は周囲に心配をかけていたのか。

「心配をかけてすまなかった。だがそれは俺より」
「関係ないよ」

彼女は人の言葉を遮る事はないのに、珍しく途中で口を開く。

「誰の方が傷ついてるとか、関係ない。傷付いてる事には変わりない。蓮二君だって寂しい」
「……どうだろうな。正直、わからない。寂寥。そう、そうなんだが」
「蓮二君は考えすぎる。色々な事を考えて、自分はそうしちゃいけないって考えてる?
 それって違うよ。蓮二くんは真田君が九条さんを追いかけて欲しいって思ってるんじゃないの?
 いい事にも理屈って必要?」

時折、彼女は鋭い事を言う。その度にどきり、とさせらる。
それでいつでも救われるのだ。
理屈がちな俺を背を押してくれる。

「すまない。助かった」

その度、俺には彼女が必要なのだと思う。
立ち上がってうなじにそっと唇を落とすと、彼女はくすぐったそうに身をよじる。

「用事ができた。少し電話をしたいから待っていてくれるか?」

コクンと頷いた彼女は嬉しそうだ。
居間にある固定電話から弦一郎の家に電話をかける。
帰っているかと心配になったが、丁度十回目のコールで本人が出てほっとした。

「真田です」
「柳だ。弦一郎。九条の事で話したい事がある。時間はいいか」
「……あぁ」
「弦一郎。お前は色々言っていたが、やはりお前は直ぐに九条に連絡をとるべきだ。
 あいつが何を考えて去ったかは知らないが、それでも九条を捨てるなんて考えられない。
 あり得ない。皆無だ。
 お前らと九条の間で問題は解決したのは一重にあいつのおかげだろう。
 今度はお前がどうにかするべきだ」
「いきなり何を言うかと思ったが、そんな事か」
「そんな事?そう思っていないないくせに言うんじゃない」
「どちらにしろ、無理だ。俺は結衣がどこに行ったのか知らない」
「電話があるだろう」
「この学校の人の分は全員着信拒否されている。メールアドレスも変わっている。
 親御さんに聞いても教えるなと言われているらしい。どうしようもできない」

弦一郎も動いていたのか。しかし徹底的に跡を消しているなんて。
九条は弦一郎に対して甘くて、求めれば拒絶なんてしてこなかったのに。
本当に誰も、知らないのか。
その事実に、愕然とした。
九条。
お前は、今。
どこで。
何をしている。



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