01


昨晩は雨が降っていた。
ただでさえ残暑が厳しいのに、雨にふられるとうだるような湿気に覆われて適わない。
俺の場合は癖っ毛だから鬱陶しさが倍増だ。
駅は平日の昼間だから人の姿もまばらである。雨は嫌いだと結衣は言っていた。
転機が訪れる時はいつだって雨が降っていたから。

「何も言わずに行くんだね」
「ユキには本当、かなわないなぁ……」

どうして分かったの?と不思議そうに訪ねる。

「柳と仁王が協力してくれたからね。逆算していけば、待ち伏せなんか簡単な事だよ」
「二人が、ね」
「弦一郎は自分の事、責めるよ」
「かもしれない」
「嘘。わかっているくせに」

断定して言うと困った顔で上へ仰いだ。空なんて見えはしないけれど。もっと遠くを見ているかのように。
実際、わからない。あんなにも弦一郎の為に色々してあげた結衣が最後に黙って去ろうとするなんて。

「結衣は報われないじゃないか」
「わからない?」
「全くね。お互い好きあってるのに。好きなら、その気持ちに従うべきだ」
「そうできるのはユキの強さだよ」
「俺には普通だけど」

すると苦笑いして俺と向き合う。俺が出来ることが他人には出来ないこともあるなんてわかってる。

「もう、時間」
「……そっか。じゃあ、元気で」
「ユキもね。みんなにも宜しく言っておいて。それからヒロに、謝っておいて」
「柳生は受け取らないと思う」
「それでも」
「わかった。言うよ」

ありがとう、と言って俺に背を向ける。
サバサバとした性格なのはわかっている。
それでももっと惜しんでくれてもいいのにと思うぐらいに、あっさりと。

「……ねぇ!」

出した大声は思ったより駅の中に響く。
結衣はきょとんとした表情で顔だけ振り向いた。

「結衣は……幸せだったかい?」
「うん」

にっこり、力強く頷いたその言葉に嘘は感じない。
幸せだったのか。辛く当たられても。目の下にある隈が痛々しくても。
それでもそう、言うのか。言えてしまうのか。
やっぱり俺にはわからない。俺だったら絶対に無理だから。

終わらせてたまるか。
このままさようなら、なんて絶対にさせない。誰も報われない話なんて俺は許さないから。

「……絶対に、ね」

唇を無意識に噛んでいたのか血の味がした。
学校に行かないといけない。病院で検査で遅刻と言っても限度がある。
外に出た時、空は憎らしいほど晴れていた。


学校に到着した時は授業中で校内は静まり返っていた。
次は昼休みだというのもあって授業に出る気分にもなれず屋上へと向かう。
たぶん、俺の事を待っている屋上に住み着く猫もいることだろうし。
扉を開けると、屋上庭園の花々が静かに咲いているだけで人気は感じない。
意外だ。さぼれない授業だったのだろうか。

「幸村」
「え……、仁王。そこにいたのか」

声に上を向くと階段塔の上に座っている仁王が手をひらひらと振る。
そして笑みを乗せたまま、仁王は軽やかに地面に着地した。

「お別れの挨拶はできたんかの」
「みんなに宜しくってさ。笑ってたよ」
「のわりには唇が切れてるぜよ」
「乾燥しやすいんだ」

クツリと仁王は笑って俺の脇を通り過ぎて柵に持たれかかった。さすがに白々しかったか。
仁王に倣って同じように柵に持たれかかる。この時間に校庭を使っているクラスは閑散としている。

「……凄いと思う。結衣があそこまでできたのは。けど、端からみれは歯がゆくて仕方なかった」
「幸村は入院中じったからの。でもじゃないと九条も何も言わんかった」
「だろうね」

だから余計に思ってしまうのだ。彼女も狡い。
知るだけは辛いとわかっていながら、手だしできない俺にしか本音を漏らさなかった。
けれど何も言ってくれないほうがもっと辛いから。そう思う俺のほうがきっと、ずっと狡い。

「どうしてあんなに出来るんだろう。俺も誰かを好きになればわかるのかな」
「好きになればわかるかもしれんし、あるいはわからんかもしれん」
「どっちだよ」
「人それぞれゆうこと」
「そう言う仁王は誰か好きな人はいるのかい?」
「……おるよ」

思わず仁王の顔を見る。素で驚いてしまった。仁王にそんな人がいるなんて知らなかった。
こんな時に嘘をつくようなやつじゃないのはわかっているから、余計。
仁王は俺の驚きをよそに校庭を見下ろしている。

「へぇ、どのクラスの子?」
「すまんが、教えられん」
「そこまで言って教えてくれないの?独占欲?」
「違うぜよ。あんまりテニス部に関わらせると傷つけるかもしれん。幸村は平気かもしれんが一応、な」
「あぁ……それじゃぁ、しかたないか」
「俺も誰もいない時しか会わん事にしてる。人がいたらそいつがいても避けとる」
「それって辛くない?」
「守るって決めたからな」

なんだ。仁王も、きちんと好きなんじゃないか。なんだか取り残された感じ。

「あぁ、俺も彼女ほしくなってきた」
「直ぐできるじゃろ、幸村なら」
「好きな人とかいないって言ったろ。今までテニス三昧だったし」
「今もたいして変わらん。高校も同じじゃから引退ってあってないもんぜよ」
「たしかに」

だから恋愛に向かないんだって俺。
モテるのは自覚しているけど、だからって言って手当たり次第付き合うなんてこともしたくないのも本音。

「考えても仕方ないじゃろ。女々しく悩んでも出きん時はできん」
「……」

女々しい、とかなり禁句に近い言葉を吐いた仁王。
足を踏んづけてやろうかと思ったが頃合いがよく、チャイムがなって気がそれてしまった。
一々反応していたらその方が女々しい、か。だいたい仁王の戯れ言に付き合ってたら日が暮れる。

「俺は教室に行くけれどでうする?」
「もうちとここにいるつもりじゃ。失恋したばっかの相方も慰めなきゃあかんしの」
「ん、そっか。じゃあまた放課後に」
「オウ」

屋上から校舎に入ると、水を打ったように静かだった廊下に雑談が響き始めていた。
けれど、三年C組は人がいないのか静かである。そういえば四時間目は体育だった。
体育館だから校庭にはいなかったけれど。
誰もいないのを想像しながら教室に入ると意外な事に、一人、静かに椅子に座っていて。
彼女は俺が入ってきたのを不思議そうにみた。

「あれ……?幸村くん?なんでいるの?」
「病院の検査で。遅刻なんだ」
「あぁ、そうか」
「キミこそなんで教室に?体育じゃなかったのかい?」
「本日はお休みなんだよー。怪我で。よって帰ってくるのも早いのよ」

失敗失敗、と笑う彼女は怪我をしたのに関わらずに朗らかだ。大丈夫かと聞いても全然平気だと応えた。

「けど、一人で授業を受けてるのはつまらなかったかな」
「あぁ……。わかる。取り残された感じがする」
「だからちょっと想像して遊んでたの」
「想像?」
「空をぶっ壊したら、どうなるのか」

なんだか斜め上にカッ飛んだ発言に驚く。空をって。物騒と考えていいのか少し悩む。

「ほら、建物とかで空が狭いでしょ?それに色が薄いって。だから壊したら本物の空が見えるかなって」

例えばロイヤル・ブルー。ミディアム・ブルー、ネイビー・ブルー。そんな色たち。
都心とは言えない神奈川でさえ見れない色たち。

「――ビルを壊せばいいんじゃないかな」

漏れたその呟きは、彼女を驚かせたみたいだ。
穏和そう、という評価を受けている俺から飛び出た不穏当な台詞だからだろうか。
それでも彼女を真っ直ぐに見る。

「汚れた空気は捨てて、ビルを倒せばいい」

廊下からは同学年の生徒達の、声が。クラスメイトはまだ帰ってくる気配はない。

「そしたら、本当の空になる?」
 
彼女は静かに言った。
 
「本物の空、見たいんでしょ?」
「けど、本物の空なんてあるかわからないよ」

真っ直ぐな視線は透明な氷だ。冷たそうなのに触れずにはいられないかのような。

「壊してみない?俺たちの手で」

小さく頷いた彼女に思わず笑った。何かが、動き出した気がした。
彼女も――結衣も似たようなことを経験したのではないだろうか。
それが幸せに繋がるかどうか。俺も足掻いてみよう。



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