08


新しい一年が始まって早くも一ヶ月がたとうとしていた。それで新しくなったというより変わったことが一つ。

「白川さん、お早うさん。今日も偉いなぁ」
「お早う。好きでやってるだけだから、誉められることでもないよ」

白石くんの言葉をやんわり否定する。
この一ヶ月の変化、だ。今までしてなかったテニス部の見学。といっても、遠くからだけど。
それから小春ちゃんは時折、仁王くんの近況を零してくれる。その心使いがとても嬉しい。

「あんな、白川さんに頼みがあるんやけど」

白石くんは何でも器用になんでもこなしてしまう。人に頼る必要がない、むしろ頼られる人だ。
そんな人が私に頼みなんていったいどんなことなのだろう。

「ゴールデンウイークで合宿するんやけど、臨時のマネを頼まれてくれへんか?」
「マネ?私、やったことないよ?」
「構へん。だいたいマネがうちにはいないからな。だいたいの人が初心者やろ。
 というか、あれなんや。合宿で今度は俺らが関東に行くん。
立海じゃないけど仁王君に会える機会はあるはずや。
 どーせ、関東見物したい言う連中も出るやろうし、キツいスケジュールは組まへんよ」
「……お誘いは嬉しいけれど」
「なん?他になんか不安なことはあるんか?」
「なんでそこまでしてくれるの?」

正直そこまで長い付き合いでもない。最近知り合ったばっかりで。
なのにそこまで気を使ってくれるなんてわからない。
仁王くん絡み、と言われてもここまでくると申し訳ない。ズルをしてるように思う。
私の努力で親しくなったわけではないのだ。だからいつもフェンスの周辺で応援している人達に悪い気がする。
彼女達だってできることならば自分がマネをやりたいだろう。

「そんな事か?白川さん、そりゃ、俺らは仁王君を通じて知り合った仲や。
 けど自分に手伝ってほしぃ思うたのは俺らの意思。仁王君は関係あらへん。
 ただマネも大変やからな。仁王君のことはご褒美だと思ってかまへんよ」
「あ、じゃあ……お願いします」
「こちらこそよろしゅうな」

爽やかに言われてコクリと頷く。ゴールデンウイークに、か。
会いに行って仁王くんはどう思うのだろう。驚くかな?

「ほな、詳しいことは後でプリントやるからちゃーんと目を通すんやで」
「うん」

白石君が去って行く。練習に戻るのだろう。テニスコートまで視線を走らせる。
乾いた、跳ねるような打球の音が響いている。ラケットがボールを捕らえて、放つ。地面ではじける。
断続的に響くその音が、ひどく心地よい。
朝早くから精の出ることだ、といつもながら感心する。
四天宝寺は運動部と文化部の兼部を義務づけられているけれど、私の所属している部活はそうでもない。
きっと実績と思いがなせる技なのだろう。

白石くんがコートに戻るとすぐに簡単な打ち合いが始まった。
簡単でもその目はいたって真剣で、迫り来るものがある。
汗が弾けて、飛ぶ。
そこは私にはわからない、しかしながら美しい世界があった。
遥か遠く、空の向こう。
その下でもきっと……。

今でも瞼を下ろせば、すぐにでも目の裏に浮かぶ、眩しい人。



縹色の空には銀砂のような星々が息づいていた。

「なにやっとるん?」
「お婆ちゃん……」

縁側で空を見上げていたら、お婆ちゃんが側によいしょ、と座った。

「ふふ、里香はお母さんと喧嘩するとすぅぐ、私のとこにやってきて、こうやって外を見るんやね」

お母さんと喧嘩……というより。
関東で仁王くんと会う事を私の部屋にあった『月刊プロテニス』で察せられて反対されたのだ。
それで、思わずまた逃げ脱してお婆ちゃんの家に来たのだ。

「あの人は頑固やからねぇ。人の話しも聞かへんし。子供の事、信頼してへん証や。
 こんなに里香はしっかりしとるのにな」

お婆ちゃんの頭を撫でる手つきが至極優しくて、心地よい。
こうしてお婆ちゃんは私を小さい子供みたいな扱いをするけれど、嫌ではなかった。
たぶん、それは純粋に私の事を可愛がってくれるからで。
お婆ちゃんの近くはとても落ち着く。私が一番素直になれるのは、お婆ちゃんの前なのだ。

「仁王くんが、好きなの」

好き。
大好き。
胸の奥底から、そんな気持ちで一杯になって、満たされて行く。
時々、それが恐くなってしまう時もあるけれど、それでもあったかくて、優しい気持ちになれる。

「里香は仁王くんって子がほんに好きなんねぇ。会ったのは小学校の時やっけ?」
「そう。四年生のその年、始めての雪が振った日なの。私、最初、仁王くんが雪を連れて来たって思ったんだ」
「そりゃあ、ロマンチックな話やな。な、お婆ちゃんにその小学校の時の話、聞かせてくれへん? 
 里香の大切な人の事」

そう言われてきょとんとする。お婆ちゃんはただ凪いだ湖のような静かな瞳で私を見つめる。

「……普通だよ?」
「それでええよ。女どうし、夜、こっそり話ことは恋バナが定番や」

お茶目にウィンクして、思わず笑う。何時までも心は若い人だ。

「里香。お婆ちゃんはなぁ。里香の事、とっても可愛い孫思うとるん。
 もちろん、里香のお母さんもそう思うとる。
 だから里香のあったかい記憶をきくとそれだけで、それはもぉ、嬉しいんよ」
「……わかった」

大切にされてるんだと、思う。お婆ちゃんはこうやって優しい言葉をくれる。拒む理由もない。

それは

幼い時の記憶

雪と共に

雪と同じ、銀の髪で

真っ直ぐな瞳をした

少年と

私の

大切な思い出



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