03


合宿は私の学校と合同らしく、コートも学校のを使うそう。
普段なら校門から様々な光景を繰り広げているのに、休みという事があって静かだ。
常に賑やかな学校なだけに不思議である。
けれどそれはテニスコートに近づくにつれ聞こえてくる、歓声のような。悲鳴のような。
そんな声がして賑わってかき消されていた。
一体何かと思ったがその正体はすぐに知れた。見学者の群れだ。
人、人、人。遠くから見ると黒い塊のよう。通勤ラッシュの時間帯だってこうはならない。
むしろ野性的でムーの群というのが近いかもしれない。
ギラギラとした主張を持った熱気がある。その圧倒的な様に一歩、後ずさった。
あの中にいかなければ近くで見れない。けれどあの中に入る勇気なんて、あいにく、持ち合わせていなかった。
油断していた。テニス部は人気があるのは知っていたけれど、休みだから、と思ったのに。
テニスコートから少し離れた所でうろたえていたら、後ろから肩が叩かれて肩が跳ね上がった。

「に、おうくん……」

振り向くと目的の人物がいたのに体の緊張を解く。仁王くんは私が驚いたのに満足そうな顔をしている。
昨日とは違って、芥子色のジャージを着ている。そこに貫禄、だろうか。そんなものが漂っていた。

「おはようさん」
「……おはよう。気配消して近づかないでよ。心臓が止まりそうだった」
「生きてそうだから平気ぜよ」
「生きてそう、って。仁王くんは抜けて平気なの?」
「問題なか。次が試合だからな」
「試合ならもっとでしょ」
「試合だから、姿を消してるんよ」

髪を縛った部分を指先でくるくると弄びながら答える仁王くん。
そこの部分はどうも尻尾のように思える。歩く時にぴょこぴょこ、右へ左へと揺れるのは可愛らしい。
しかしそれを言うと拗ねてしまう。それでも見た目とのギャップに笑みが零れおちた。

「……なん?」
「ううん、別に。そんなに言うなら試合、楽しみだなぁって」
「ちゃんと期待に答えてみせるぜよ」

そう言って格好つけるところに、さらに笑いそうになって体の向きを変える。
群はますます大きさを増していて。いったいどこからこんなに人が現れるだろうのかと、周囲を見渡してみる。

「人、多いね。びっくりしちゃった」

ここまでくると驚き、ではなく感心してしまう。独り言のような呟きだったのに、聞き取れたみたいだ。
横に立った仁王くんはあの群を一瞥すらくれずに口を開いた。

「俺は慣れたけどな」

鬱陶しそうな声音。いつもああなのだろうか。
私も一回はテニス部の見学しに行けばよかった。
テニスは仁王くんが昔からやっていたから、ルールなら知っていた。
けれどテニス部の事について私はあまりにも無知すぎる。
仁王くんがいないからと、行かなかった自分の行いが今になって悔やまれた。
あそこにいるムーの群の方がよっぽど知っているのではないか。そう考えると落ち込んでくる。

「白川はあの中に入れないじゃろ」
「そ、そんな事ないよ?」
「本当に?」
「大丈夫」
「じゃあ俺は戻るなり。一番前で見ててくれるじゃろ?」
「……大丈夫、と思いたい、かな」
「素直に」
「…………ごめん無理」

よくできましたとばかりに目を細めた。こんな表情は昔から変わらなくて。
こうやって昔と同じ所を見つける度に少しくすぐったくなる。

「校舎の中で見てればええ。二階あたりならよう見えるはずじゃ」
「……二階?」
「そんぐらいが一番ベストぜよ」

そっか、と頷く。なるほど確かにそうだ。
一階は人が壁になって見えなくて、三階は逆に高すぎてコートの人が小さくしか見えない。
凄いと思いながら仁王くんの顔を見る。私はとろいから、立ち往生してしたままだったに違いない。
なのに仁王くんはそこまで気を回せるなんて。

「こんぐらい全然かまわないなり」
「え、私、何も言ってないよ?」
「そんな顔、してた」
「私ってもしかしてわかりやすい?」
「どうじゃろ。そんなん表情に出るタイプじゃないと思うが」

それに、と言葉を一回切って、視線を彷徨わせた。定まってもどこか宙を見ていて。

「白川の、のんびりなところ、俺は嫌いじゃなか」

そう言われただけで心が軽くなった気がする。このままでいいんだという安心と、受け入れてくれる嬉しさ。

「それに、あれじゃ。あんなムーの群の一員に白川がなるなんて考えられん」

照れ隠しのように早口で言われたその台詞に目を丸くした。仁王くん、と驚きをそのままに名前を紡ぐ。

「同じ」
「ピヨ?」
「私も、ムーの群みたいって思ってたの」

同じ事を感じる。簡単のようで案外、難しい。
仁王くんもまじまじと私の顔を見たが、すぐにニッとした笑み作った。

「相性バッチリじゃの」

些細な共通点だけどそれだけで胸が晴々として、嬉しくなるからたまらない。
けれど、そう思ってくれるほうがよっぽど幸せな事じゃないだろうか。偶然だと思うよりずっと素敵だ。

「さて、俺はそろそろ戻るぜよ」
「頑張って」
「おう」

去っていく仁王くんに手を振る。姿が見えなくなってから手を下ろす。
試合が始まる前に、校舎に入ってしまわないと。そう言い聞かせて、小走りに近い形で歩きだす。
仁王くんが側にいなくなった事が落ち着かない。つい最近まで、会えなくて心の中で思うだけだった。
春の夜の夢のように、曖昧で朧気で、今にも消えてしまいそうに錯覚してしまいそうなのだ。
仁王くんと本当は会ってはないのではないかと。
仁王くんは何時までも大阪にいるわけではない。関東に帰る。私はそれを引き止める権利はない。

誰もいない空き教室からコートを見下ろすと既に仁王くんはコートの中に入っていた。
銀色だから少し遠くてもよくわかる。
試合開始を告げるホイッスルの音が誇り高く鳴り響いた。


仁王くんはダブルスの試合をしていた。それが意外に思う。仁王くんはあまりなれ合わない人だったから。
けれど相方の、茶髪できっちりとした人との息はぴったりで。
彼が打った球が仁王くんの後頭部に当たると思ったら、絶妙なタイミングで避ける。
これはきっとたくさん練習をしたはずだ。
相方の後頭部に球を打つなんて絶対に勇気がいる。見ている私でさえ手に汗をかくのだから。
それに避けてくれる、打ってくれるとお互いに信じあってないとできない芸当だろう。

それに加え。体を使って死角を作るだけじゃない。
急に後衛、前衛を変えてくるのだ。普通はしないというタイミングでするものだから、思わず動揺してしまう。
対戦相手を翻弄して鮮やかに勝ってしまった。
知らず知らずの内に興奮した気持ちを落ち着かせる為に窓を開ける。

窓から滑りこんだ風はが少し冷たい。
柔らかくなったと思うとまだ冬の名残を残していて驚かせられる時がある。
コートにいる銀色を見つめて嘆息した。
何時までも続けばいいのに、なんてらしくもない事を考える。零れ落ちていく時間の砂は戻りはしないのに。

もう部活が終わり片付けをしていても、教室から動かなかった。
応援していたムーの群もなくなってしまっている。
落ち始めている日の光は赤く染まっていた。
もう仁王くんの姿は追っていなくて、もっとどこか遠くを見ていた。

「黄昏て、何か物思いに耽っとるようじゃが、誰の事を思っているんかの」

カラリと軽やかな音を立てながら発された言葉に振り返った。
夕日が仁王くんの白い肌を茜色に染め上げていた。ジャージの芥子色と茜が溶け合い今にも消えてしまいそう。そう思ったが、目を閉じて否定する。
人は消えはしない。これはたんなる感傷なのだ。

「……そうだね、一番好きな人の事かな」
「それは妬けるなり」
「仁王くんが妬くような人なんていないのに?」
「プリ」

流れるような仕草で、私の隣に並ぶ仁王くん。窓枠に腕を乗せてコートを見下ろした。
テニスコートは仁王くんにとってたくさんの思いが詰まっている場所なのだろう。
そういえば仁王くんと初めて話した場所もテニスコートの近くだった。

「試合、どうだった?」
「凄かった」
「そんだけ?」

眉を片方上げて不思議そうな仁王くんはテニスコートから私へと視線を移した。
たしかに凄かった、だけでは物足りないかもしれない。
もっと色々、言えばいいのかもしれない。その方が仁王くんも嬉しいのだろう。

「言葉をね。考えようと思うと、よけいに思いつかなくて」

時間があれば、思いついたのかもしれない。どこか早く、早く、と。パトカーのサイレンのように私を急かす。
あの音を聞くと反射的に体が竦んでしまう。なのに周りは無反応だから恥ずかしくて、ちょっと俯くのだ。
それでも体は張りつめたまま、遠く離れサイレンの音がきこえなくなって、ようやく息をほっと吐く。
急がないと、と思うと私はどうもかえって体が動かなくなる質らしい。白くなる頭にさらに混乱を招く悪循環。それは悪い癖なのだろうけれど、なかなか直らない。
時間が限られている。それだけで私はこうも言葉が空回りする。
サイレンが言っている。気をつけろ。時間は戻らない。

「仁王くん、私、なんだか恐くなってきたよ」

そう、私は恐いのだ。仁王くんの去ってしまった後、私はどうなるのだろう。
待つのは慣れてる。それにこうして会ってくれた。また、待ってられる。
それなのに、この不安はいったい何処からわき上がってくるのだろうか。

「……恐いよ、仁王くん」

漠然とした不安ほど、恐ろしいものはない。

仁王くんが私を見つめる。
左手を静かに伸ばす。一瞬、私の頬に触れ、それから躊躇う動作をしてから、頭にぽんと優しくのっけられた。
撫でる動作のその優しさと温もりに、ぎゅうと胸が締め付けられる。

「大丈夫。俺はここにおるよ」

もどかしい。そんな思いが心の中に占めている。
ここにいるはずなのに、大事な事は、伝える事ができずにいる。その術が、言葉がわからない。
手の先から少しでも伝わってくれはしないだろうか。

あぁ、せめて。
願わくば。
少しでも仁王くんの側にいられますように。

まだ出てもいない星に願いを込めてみた。



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