18
今日はさっさと仕事を終わらせ立海に行かせてもらった。
何時もより早いにも関わらず寧ろいい笑顔で見送られてしまったから、心配は相当かけてしまったのだろう。
いつかお礼をしなければと心に決めつつも立海に向かう足取りは強い。
これからまた一労働なのだ。たぶんとっても手強い。
平和主義、というよりも気弱で事なかれ主義な私を新緑の萌えたつ匂いを乗せた風がそっと後押ししてくれる。
「ファイト、オー」
そっと小さく呟いた。
小さな勇気が万の未来に繋がるのだ。
立海は相変わらずの熱気を持って練習に励んでいる。けれど今日はそちらを意図的に見ずにいつもの場所へ。
たぶんいるとふんでいたから。そして、その考えは正解。
「あんた……」
彼女は驚いたように私を見た。
私が諦めた確認する為に何日かここに来るとは思っていた。それにここはは人が少なくコートも見やすい。
テニス部に関心があるなら、そうでなくてもここにはいたいだろう。
「諦めたと思ったのに……。何?戦う気になったの?昨日恐くて来なかったくせに」
「うん。そうだね。逃げたよ」
私は確かに逃げた。相対し戦う事が嫌だったから。
理由は色々あるけどごちゃごちゃと言って逃げたのは私が。
「弱いから、逃げた」
何かあるのが嫌で正面からぶつかる事を恐れた。
それは、きっとお母さんの事も同じで。言わないと伝わらないのに、その努力が出来なかった。
本当はわかっていたのに。それらは誰のせいでもなく私のせい。
「けど私は私の弱さを受け入れる事にしたから」
直ぐに強くなんてなれない。だからまずは受け入れる。
真っ直ぐに受け止める。いい所。悪い所。全てを。
それすらも私にはとっても難しいけれど。逃げ出したくなってもまた戻れたらそれでいい。
「だから、私はここにいるの」
貴女と向き合ってる。
苦々しい顔をする彼女は苛立っているようにも思えた。
それはそうだろう。このまま邪魔者が消えればいいと望んでいただろうから。
「あのまま大人しくしてれば良かったのに」
「独りだったら私はそうしてたと思う」
「……誰」
「仁王君」
右頬に痛みを感じた。乾いた音は空々しく響く。
叩かれたのだ。少し痺れる。頬に触れると少しだけ血が手についた。恐らく彼女の長い爪で切ったのだろう。
「生意気!」
本当は、仁王君だけじゃないけれど、きっとそういう方が効果的。
ずる賢くなってる自分に苦笑するが、でも私はもっとずる賢くい生き方をしてきたように思う。
まずは相対する事。向き合う事。負けない事。それは対等であるという前提に向き合うという事。
思いっきり手を振りかぶる。
「ッ!」
私は爪を切っているのでさすがに頬は切れなかった。それにしても人に手を振るった事なんて初めてだ。
人を打つと打った方も痛いというけれど本当だ。手が痛い。ひりひりする。
「おあいこ。だね」
ニコリと。笑ったのが気に触ったのか掴みかかってきた。物凄い勢いで遅いかかってきたから転ぶ。
お尻に衝撃。その後に反対の頬を殴られる。反撃しようとしたけれど髪を掴まれる。
だいたい、この体制が不利だ。彼女の身体の脇あたりを掴んで思いっきり横に振って形成逆転。
「恋は戦争って、本当、だね」
「何がしたいのよ!あんた!!ワタシ達に逆らってどうなるかわかってるの!?」
「貴方達に敵対するつもりはないんだけど」
足掻く所を必死に抑える。足蹴りもするから地味に背中が痛い。
また形成逆転。頭を打った。でも口は止めない。
「私の一番の敵は、私自身だと、思う」
限界を作っているのは私自身だ。檻を作って閉じ込めて居るのは誰の他でもない。私自身。
彼女と敵対しているけれど、それは私自身と戦って決めたから戦っているのだ。
「仁王君達を好きになるのは貴方達の自由だけど、私に当たるより、するべき事がるんじゃないかな」
「五月蝿い!あんたか嫌いよ!テニス部に近づくあんたが憎い!ワタシ達はいつでものけ者扱いなのに!!」
拳を固めて私の顔面めがけて振り下ろす。
「おい!何しているんだ!!」
真田君の声が、した。
顔だけそちらに向ければ、テニス部のみんなが勢揃い。彼女も拳を振り上げた所で固まってる。
慌てて彼女と再び形成逆転して、みんなの所へ。
「白川、大丈夫か!」
若干青ざめている仁王君。それはそうか。私が取っ組み合いの喧嘩をしていたのだから。
心配ないと言わんばかりにVサインを出せば溜め息をつかれた。
「何、しとるぜよ。顔に傷なんて作るもんじゃ」
「仁王くん」
言葉を遮る。気をつけの体制。改まった態度に仁王でも吃りがちに返事をした。
「私、貴方の事が好きです」
この一言にどれだけ遠回りしただろう。
言わなくてもバレバレだし、そんなの改めて言う事でもないかもしれない。でも伝えたかった。
しっかりと仁王君くんを見据えて放つ言葉の強さに自分でも思わず驚くぐらいで。
「一日だけで変わったな。どんな心境の変化があったんじゃ?」
「う〜ん……秘密、かな」
一言では言いきれなく、たくさんでは正しくは伝わらないだろう。
だから仁王くんを思っているという事だけ伝えられればそれで十分だ。
仁王くんも特に何も追及はしない。代わりに両肩にそっと手を置き視線の高さを合わせてきた。
夜空に瞬く星のような琥珀の瞳に私が映る。見惚れているとさらに顔を近づけて。
固まったら急に私の視界が黒くなった。
「おい、お前。今回のは知らなかった事にしてやるからさっさと消えんしゃい」
音。
完全に聞こえなくなってから腕を突っ張って離れた。彼女はどんな表情をしてたのだろう。
泣きそうだった?怒りを耐えていた?
いずれにせよ私にはきっと見られたくなかったはず。
でも何故それを仁王くんが気遣ったのだろう。敵対する人に仁王くんは何処までも興味を持たない人だから。
「怒らない、の……?」
腕を突っ張って仁王君の顔を見上げる。
三日月のように細められた瞳の奥に潜む光は穏やかだ。
「白川の笑顔が崩れなければ俺はそれでええからな」
「それにきっと俺達にも何か原因はあるだろうからね」
幸村くんが口を挟む。
「ああいう人は確かに好きではないよ。でも拒絶するだけだと、悪化していっただけ。
だから白川さん。君がああやって真っ直ぐにぶつかっていったのは一つの正しい選択だと思う。
そんな喧嘩で無駄に介入するなんて、野暮だろう?」
「嬉しい、けど。そんな、正しいなんて。私はこんな馬鹿正直な方法しか思いつかなかったから……。
幸村くん達の方がきっともっと上手に解決してたと思う、な」
幸村くんは笑った。そうだとも。違うともとれる笑顔。
一筋縄でいかない相手なのかもしれない。そう思わせる表情だ。
「でもまた来てくれて嬉しいよ。明日帰るんでしょう?お別れの挨拶ぐらいはしたいし」
そう。長いようで短いゴールデンウィークも明日で終わり。本当にあっとうま。
去りがたいけれど私には私の帰るべき場所があるのだから。
「この後でお別れ会を兼ねてどこか食べに行こうかと話があってね。時間、平気?」
「あ、たぶん大丈夫」
「おっし、そんじゃいくぜぃ!勿論ジャッカルの驕りだから金は気にしなくいいからな」
「またかよ!」
さっそく行こうと動き始めようとしたその時。
「 」
ふいに耳元で囁かれた言葉。脳髄を溶かしてしまいそうな程甘いそれ。
真っ赤になってしまったのではないかと思う程恥ずかしい。
このタイミングなんてズルい。不意打ちすぎる。
なのに仁王くんは知らん顔だ。
「ほら、行くぜよ」
すっと手を差し出される。差し伸べてくれる。
今まで何度か手を繋いだ事はある。
けれど、今回は何かが違う気がした。
手が重なる。
それは思いが重なる事と同じようだ。
同じものを見る事。
同じ方向を見る事。
たぶんそれが恋愛するという事なのだ。
私の思いが伝わり、仁王くんの思いも届いたから。
私はこれからも強くあれる。
そんな確信が私の中で芽吹いた。
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