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ずいと近付くアイス・ブルーに思わず身を引いた。
顔が近いのも、覗き込まれるのもあまり居心地がいいものではない。恥ずかしいし、目のやりどころに困る。
それでも視線を反らすのも憚れて、何とも言えない気持ちになる。

「……まぁ、悪くはねぇ、か」

呟かれた言葉。意味がわからなくて首を傾げた。

「さっさと立海の制服に着替えろ」
「え?ど、どういう」
「つべこべ言わずにさっさとしろ」

それだけ言ってふいと歩き去ってしまった。
合同合宿初日。相手である氷帝学園との練習も終わったら、部長であるところの跡部くんの急な命令。
たっぷり十拍、考えてあっ、と気がつく。仁王くんが言ってた事って。

取りあえず白石くんに知らせないと、と姿を探す。
話が聞こえていたのか、事情を察してくれた白石くんは行ってこいと言うように手を振ってくれ。
慌てて着替えて外に出ると黒くて、長い恐らく外車と思われる車がつけてあって目を丸くする。
リムジン、というやつなのだろう。少し離れた所にいる四天宝寺のみんなの興奮した声が聞こえてくる。
実際に見てみると横長の車体はなんだか違和感を感じる。強引に引き延ばしたせいだろうか。
初めてみる物体に呆気に取られていると、運転手らしき人が出て来きてドアを開けてくれた。

「どうぞ、お嬢様」

お、お嬢様。一般家庭育ちな私には一生縁のない呼ばれ方をされてしまった。
もうこれからシンデレラ城にでも行ってしまうのだろうか。
動けなくなってしまったのに、跡部くんが痺れを切らしたように顔を覗かせて催促する。
それでいそいそと車内に入り込み跡部くんと一番離れた所にちょこんと座った。滑り始める風景。
車内のソファーは普通の車より遥かにふかふかで高級の革張りソファーみたいだ。
広くて高級感の溢れる車内。明るすぎない照明。目の前にはワイングラスや飲み物などが置かれている。
場違いな場所に来てしまったような、落ち着かなさ。

跡部くんをちらりと伺い見ると頬杖をついて外に視線をやっている。
仄かに朱に染まりつつある空は優しいのにそれを見る表情はつまらなさそうだ。
それでも建物によって影と明かりが交互に落ゆく跡部くんは怪しく美しい。気高く、素っ気ない。
……なるほど、彼は、氷の学校の、王なのだ。帝王なのだ。それを理解する。
遥か高みから眺める世界というのは、一体どんなものなのだろうか。
木登りをして得られたあの感動をその世界は見られるのか。私にとっては夢物語な世界だから想像できない。

「物語、みたいだよな」

呟かれた言葉に、ドキリとした。心を覗かれたのかと思った。インサイトがあるし。

「白川と、仁王の。よくあるありふれた陳腐なドラマか、恋愛小説みてーな。
 そんな恋話だったぜ。大真面目に話す仁王にも、笑っちまった。似合わなさすぎだろ」

視線はよこさないまま続ける言葉。ちょっと、むっとしてしまった。
当時は今よりずっと子供だったけど。遠距離恋愛もよくあるけど。言われてしまえばそうなのかもしれない。
でも、それでも私は必死だったのだ。今も、昔も。
陳腐だったとしても。この思いは決して陳腐なものだとは思えない。

「それで今も、思い合あってるって。馬鹿馬鹿しい。ちょっと色々あったから錯覚しているんじゃねぇか?
 試しに俺についてってみろ。色々、刺激的で吃驚するような事がたくさんあるぜ。
 しかもスケールが違う。お前の枠組みなんか楽々越えられる」

仁王くんは、私にはできない発見をして驚かせてくれる。感動をくれる。新しい世界をくれる。
そんな所が好き。けれどそれは私の仁王くんに対する「好き」の一側面に過ぎない。
だいいち、跡部くんの世界は吃驚もしそうだし刺激的だろう。けどきっと私は疲れてしまうように思える。
上級社会に馴染もうとして自分を殺してしまうと思う。
おまけに大枚はたいた驚きなんて、いらない。興味はあってもそれだけ。

「……私はとろくて、直ぐに何もできなくなる。
 でも、それでも一番大切なものが何かは心の奥底ではちゃんとわかってた」

仁王くんの話で跡部くんが私の思いをどう解釈したのかはわからないけれど。

「だから本当は、どんな出会い方でもいいの。どんな経過をたどったっていいの。
 いつか私が仁王くんに出会ったら。私の一番大切なもの見つけてくれたら。
 その時から、私にとって仁王くんは特別に変わる」

そこで初めて私の事を見た跡部くんの目は驚きに見開かれていた。

「愛してるって、そういうこと、なんじゃないかな」

やっぱり中学生の私は幼い。
恋とか愛とか語れる年齢ではないのかもしれない。偉そうに話すほど解ってはないかもしれない。
それでも私は仁王くんのくれる小さなきっかけを大切に思うことだけは本当だと。そう信じたいから。
何か跡部くんが言おうと口を開きかけて、目的地に到着したと告げる言葉に遮られてしまった。
車から下りるとすぐそこに仁王くんが手を降っていた。

「仁王くん!」
「よう来たの、白川」

小走りで駆け寄ったら優しい表情で受けれ入れくれて。やっぱり私は仁王くんの方がいい。

「跡部も、ありがとな」
「ふん、これぐらいどうって事ねぇよ。それより……」

仁王くんに耳打ちして跡部くんはさっさとリムジンに乗り込んでしまった。
何を言われたのか少しだけ気になって表情を伺い見ようとして、急に引っ張られ仁王くんの胸に飛び込んだ。

「跡部と何話してたんじゃ?」

耳元で囁かれた声にぞくりとする。けれど声色が楽しさが含まれていて、からかわれているのだと気づく。
跡部くんは何を言ったのだろう。碌な事じゃない気がする。要するに、とっても恥ずかしい事。
本人を目の前だとあんな事言えるわけない。

「べ、別に。色々、だよ」
「色々ね」

手の甲を優しく頬に滑らせながら仁王くんはなお楽しそうだ。

「昔の話をちょっとしたから、その事でなんか言われたんじゃろ」

昔を懐かしむように瞳を細めた。ゆっくりと肌を滑る手が耳翼を掠めうなじを通る。
見上げれば熱の宿る瞳で見返され、全身が痺れるように粟立つ。

「……嬉かよ」

もう少年ではない仁王くんはその面影を残す綺麗な顔を傾けて、甘く噛み付くような口づけをくれた。
この感覚だけは一生、慣れない気がする。

仁王くんのお友達を紹介してくれるという事で立海の中に入っていく。
誰にも紹介したくなかったーなんてぼやく仁王くんを可愛らしくも嬉しく思う。

時間は過ぎても変わらないものがある。
確かな思いを心に静かに強く持ち続ける。
そうすれば私はきっと何でもできるから。

柔らかい橙の日の中、どちらとともなく手を繋いだ。



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