12
日が沈みかけている。遠方には鮮やかな水色が伺えるけれど地平線に近づくにつれその色が変化していく。
全ての色を入れたのではないかと思うほどのグラデーションが見事に調和している。
誰もいない、暗い公園というのはこんなにも寂しいと初めて知った。 繋がれた手が唯一の道しるべ。
「……家出なんて初めて」
大人は何故か、仁王くんの事を怖がっているように映る。生意気だと怒っているどこかで恐れているかのような。
私が仁王くんと仲が良いことをお母さんとか、先生とか。やめた方がいいと遠回りに言われた。
それを受け入れないで、お互いヒステリックになって、部屋に閉じこもって。それで。
『行こう、俺と』
仁王くんが外から手を差し出してくれた。私は、その手を握った。
『ちょいと困らせてやるだけぜよ』
ウィンクと共にいつもの悪戯っぽい瞳と共に。
「ねぇ、家出ってどれくらいするの?」
「白川の性格なら一晩でも効果、絶大じゃよ」
心配そうな顔をしている私を見ての発言だろう。
お母さん達。やっぱり心配しているだろうし。後ろめたさはどうしたって抜けない。
それでも今はこの手をどうしても離したくない。
「見てみんしゃい……月が綺麗ぜよ」
見上げた空はどこまでも繋がっている。でっかい、でっかいこの地球のどこかの空の下。
私達は確かに、ここにいる。
日が沈んで、真っ暗になってしまった。街灯の灯りが仄かに道を照らす。
町は明るいとか言うけれど、それでも思ったより暗い。夜ってこんなに暗かっただろうか。
恐怖心を押し隠すようにぎゅっと、強く手を握って俯いてたいたら、首筋に何かが垂れ落ちてきた。
声にすらできない悲鳴を上げる。瞬間的に、仁王くんの顔を見ると、難しい顔をしていて。
視線を追って空を見ると厚い雲が空を覆っていた。小雨が降り始めている。
この時期の天気は女の人みたいに移ろいやすい。たちまちバケツをひっくり返したような豪雨に。
「こっちぜよ!」
仁王くんにひっぱられて、公園内の土管に入る。ちょっとだけなのに服がびしょ濡れになってしまった。
外気も雨に触れてか、ぐっと下がっている。ぎゅっと仁王くんが私を抱きしめてくれる。
風邪……ひいちゃうだろうか。くしゃみをすると抱きしめる力が少しだけ強くなった。
寒い。けれど、なんとなくかまわない気がした。このままでいたい。のに。
「里香!?」
急に差し込んだ光が眩しい。懐中電灯を持っているのは、お母さん。
「仁王くん!」
「あ、ああ」
何故か躊躇った声をあげて、それで土管から出て走る。まだ雨は振っているけれど今さらだ。
罪悪感は嫌でもつきまとうけれど、私にとって譲れない事だ。自己満足で甘えで間違えだとしても。
この感情を何と名付けるべきなのか。まだわからないけれど。
お母さんは呆然とその場で立ち止まって追いかけてこない。けれど、少し走ったら仁王くんも止まった。
「仁王くん……?どうした、の?」
真っ直ぐとお母さんを見ている仁王くん。ちょっとだけお母さんは身を竦ませた。
いつもそうだ。大人は仁王くんに真っ直ぐ見られるのを怖がる。
仁王くんはそれから私を見る。
「帰りんしゃい」
「え……?な、なんで?」
「このままだと風邪ひく。俺は白川をそんなふうにするために誘ったわけじゃなか」
「でも!」
「聞き分けんしゃい。……ええ子やから。効果ならこれでも十分じゃし」
効果。けれど私はそれ以上に、仁王くんと離れたくない。
言葉も知らない赤ん坊みたいに首を何度もイヤイヤ、とふる。
「明日も、また会えるんじゃから。な?」
こう言われると私は何も言えなかった。
人の言う事を強く断れない性格をこれほど、強く憎んだ事はなかった。
思ったより事は大きくなっていた、らしい。警察を呼んだらしいので当然と言えばそうなのかもしれない。
私の行動を咎める人はいなくて、かえって心配とか、周りの大人はしてくれたけれど。
「こんな事、しちゃって学校に行きにくいでしょ?
大阪のお婆ちゃんも何かと年で大変だからって話もしてたし……」
本当は、お母さんが恥ずかしいだけじゃないのか、という言葉を飲み込んだ。
そのまま学校に行く事を許されずに勝手に転校を決められてしまった。仁王くんに会えないまま。
学校には保科先生の口から知らされているだろう。挨拶もろくにできないなぁ、とどこか他人事に思う。
そして引っ越しの日。
「白川」
誰にも気がつかれないように。どうやって日にちを知ったのか。仁王くんが私に会いにきた。
「悪かった。俺のせいじゃな……」
「そんな事ない。仁王くんの手を取ったのは私だから」
だからそんなことは言わないで欲しい。
「私、楽しかったよ」
「……くれん、か?」
小さく呟かれた言葉に首をかしげた。
「絶対に会いに行く。だから、待っててくれんか?」
強い意志を持った瞳。
「……待ってる。ずっとずっと」
待てる。仁王くんなら。ならどこにいてもきっと来てくれるって信じられるから。
頷いて仁王くんは、顔を近づけた。
「また、な」
唇に、何かがかすめて、すぐに仁王くんは走りさってしまった。
それが何か、わかって、それから、この感情に気がついた。
「里香?」
お母さんの言葉がしたけれど、ただ強く瞳を瞑った。
私と仁王くんの道は、中学三年生になるまで、交わる事はなかった。
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