10


年度が変わり、私は小学五年生に進級した。
透き通るような青が水を含み、柔らかくなってくるとと冬の間はどこか消えていた猫が町の中に溢れてくる。
猫好きな私は町の色々な猫と仲良くさせて貰っている。
お母さんが動物を飼うのが嫌がったから飼うことはできなかったけれど。

「あ、久しぶり。元気にしてた?」

下校路の途中、優雅な歩き姿な顔見知りの猫を見つけて挨拶する。
彼女は私が知っている中では一番の美女だと思う。
少しプライドが高いけれどそれも美猫として、自然な高雅さに感じる。
気位の高い彼女はゆったりと歩んでいた足を止めてこちらを伺う。
深緑のキラキラお目目はどこ探してもいない。
気まぐれの象徴のような白い毛並みをした彼女の側に静かに近づいてしゃがむ。

「さわっていい?」

伺いをたてると、ゆらりと尻尾をゆらす。ゆっくりと手を伸ばして頭をなでる。

「相変わらず毛並きれい。ふわふわ。……あ、そうだ」

ランドセルの中から煮干しを入れた袋を出す。
あまりあげたら駄目だと言われているけれど、少しだけなら、と持ち歩いているのだ。
最近、猫が多くなってきたから今朝久しぶりに鞄に入れたからいいタイミングである。
一匹あげたら何を思ったのか手に持っていた袋を目にもとまらぬ早業でかっさらわれてしまった。
全部はまずい。

逃げる彼女を追いかける。袋が邪魔なのか塀の上にのぼって人が通れない道を通らないのが唯一の救いだろう。
するすると道を走る彼女に追いつきかけて、手を伸ばす。
捕まえた、と思ったら毛並みを一撫でしただけで彼女は茂みの中に入ってしまった。
茂みの中に入るのは無理だ。回り道するしかない。回れ右。足を踏み出そうとして。

「うわっ」

声。もしかして彼女が茂みの中から出てきて驚いたのだろうか。
できれば捕まえてほしいなぁ、なんて思いつつ裏に回って今度は私が驚いた。
そこには、芝生の上に寝転がっている銀髪の彼がいたから。
側には何かのラケット。それから猫に好かれる質なのか彼女は彼の上に乗っかっていた。
話しかけていいのか、わからなくて立ち尽くす。

仁王くんが転校してきた当時。奇抜な髪、つり目がちで威嚇するような視線に恐々する子が多かった。
最近、色づき始めたませた同級生はカッコいいとか言う。それでも近づけないのも事実。
智代ちゃんも怖がっていたし、不良で恐いと親しい子は言っていて曖昧にそれに頷けなかった。
男の子はかかんにも話しかけていたけれど適当にあしらわれて終わるのだ。
虐められてはいない。ただ、そこにいるのが当たり前で当然の顔をしながらただ居るだけ。
籠城しているみたいだ。

学年があがってもクラスは同じでも結局言葉も交わした事は今の所ない。
本人が嫌がっているのに私にどうしろと言うのだ。
立ち尽くしたまま、彼女に触る彼がふとこちらを見て驚きで肩が跳ね上がる。
上半身だけ体を起こして私を見る。

「なん」
「え、あ。うん。その……」

袋を取り返したいのだけど。言葉が詰まる。単純な事を言うのに何を戸惑っているのだろう。
私の歯切れの悪さに嫌悪感を抱いたのか仁王くんが眉をきゅっとつり上げる。
そう言えば怖がられるような、見た目でとやかく言われた時。
仁王くんはもっとも不快感をあらわにしていたように思える。
不愉快にさせてしまった。

「ごめんなさい」

謝罪に仁王くんが怪訝そうな顔をすした。
彼女は不審な空気を感じてか逃げ出そうとするのを、仁王くんが抱きしめる事で逃げられなくしている。

「仁王くんがいたのにおどろいただけで恐いとか、思ってないよ。
 間違えるような反応しちゃってごめんなさい」
「……別に、よか。じゃが、なんで名前知っとる」
「え、クラスメイトだよ!去年も、同じクラスで……」

言っていてなんだか悲しくなった。転校して人の名前を覚えきれないのはわかる。
けれど全く認識されていないこと。周りに全然興味を持ってない事。それがなんだか悲しかった。

「あのね、袋を彼女を取られて」

そう言うとちらりと彼女を見て仁王くんがひょいと彼女から袋を取りあげて、腕を突き出す。

「ありがとう」

受け取って、どうしようと思う。このまま立ち去る。けれどそうしたらせっかくのチャンスがなくなる。
何か、話さないと。

「私ね、白川里香って言うの。よろしく」
「ふぅん。まぁ、宜しく」
「……えっと、そのラケット、何のラケットなの?」
「テニス」
「テニス。仁王くんってテニスしてたんだ。ここで練習してるの?」
「んなわけあるか。近くにテニスコートがある」
「知らなかったな。仁王くんはいつからやってるの?」
「ちょっと、それなりに前」

それはいったいどっちだ。少しなのか大分なのか。

「へ、へぇ……そうなんだ。やり続けているなんて凄いね。好きなんだね」
「……」

返事なし。聞く事を間違えたのか。

「私はあんまり運動得意じゃないからなー、すごい。そういえば仁王くんって猫好きなの?
 彼女、すごい懐いてるよね」
「……」
「私も猫は好きだよ。というか動物全般は好き。飼えないんだけど」
「……」
「……えっと、こっちにきて仁王くんはもう何ヶ月たつんだろうね。
 去年の冬からだからもう大分ったたし新しい生活は慣れた?」

返事がいっこうに返ってこない。もともと私から話題提供する事は少なくて、最終的に黙る。
それでも話題をさがして頭がぐるぐるする。
歓迎されていない?
もしかして、いきなり今まで話かけてこなかったのにいきなりこんな事して可笑しいって思ってる?
一人で勝手に話していてうざい?いなくなった方がいい?
仁王くんを見て、表情がないのに絶望に近い思いを抱く。
もう一度ありがとう、と言って踵をかえした。早足で。

何も言わなかったのはせめての優しさだったのだ。
何を思い上がっていたのだろう。もう色々と期待をするのはやめようって思ったばっかりなのに。
姿が見えなくなったらもう全力疾走で、家に向かう。
お母さんはどうせいないから遅くてもどうわからないのに。帰りが遅くなっちゃうと何度も繰り返す。
家事だって私ができる範囲でやらなきゃいけない。
洗濯、掃除。食事だってその内にきちんと一人でできるようになるんだ。

『里香は、いい子だから』

言葉に捕まっている。いい子でいなきゃ。見返りなんてもう求めるわけじゃないけれど。
それはもはや義務で、使命。
だって、他に私はどうすればいいのかわからない。
……だから私は仁王くんと話してみたかった。
それ以外の選択肢を、くれそうで。そんな予感をしたのだ。なんて押しつけがましい。いい迷惑だ。
平和そうな顔で、大人しそうな顔で、破壊を望んでいた。嘘つき。私の嘘つき。嘘つき。嘘つき。嘘つき。
頭が痛い。がんがんする。何も考えたくない。誰か、止めて。大嫌いな神様。お願い。
私は私が嫌い過ぎて、消えてしまいたい。そのぐらい叶えてくれても。

「……おい!」

声が、した。腕を掴まれて振り向く。眩しい、銀。雪のような。
けれどあったかい日の中でも消えずに残っている。
仁王くん、と、とても情けない声をだした。息が切れている。
仁王くんは平気そうだ。さすがテニスをしているだけはある。

「なんで、追いかけてきたの……?」
「何故って、あの猫が怒ったぽくて、機嫌が悪ぅなっての。お前のほうがよっぽど懐かれてるぜよ」
「え?あの子が?でもそれでもわざわざ追いかけなくても」
「急になんじゃって思いはした。親しくもないから、そんな義理もないんじゃけど」
「そう、だよね」
「じゃけど、辛そうな顔させてしまったのは事実じゃし」
「……優しいんだね」
「自分の罪悪感の為なり。偽善じゃ偽善」

嫌そうな為にいう。そう言われるのが心底嫌みたいだ。

「……偽善?」
「うわべをいかにも善人らしく見せかけること、なり」
「そう。偽善。でも、そうやって自分の事をいう人ってそうじゃないと思うよ」

偽善。それは私の事だ。だからにっこりと笑った。

「笑いたくないのに無理に笑うな。気色悪いなり」
「ひどい」
「そっちの方が、いくらか、ましじゃ」

始めて仁王くんが表情を和らげた。きっと泣きそうな表情をしているのにどこがいいのか。

「なぁ、なんで俺に話かけた?」
「最初は、髪が綺麗だなぁって思って。だから、仲良くしたくて」

下心を隠そうとして、言葉を選ぶ。でも仁王くんにみつめられてどきりとした。
透き通る瞳が射抜くように私を見る。嘘をついても意味がないと感じる。見透かされる。
そう思うほど真っ直ぐで透明だったから。

「きっと仁王くんは私の知らない事、たくさん知ってると思った。だって全然違うから。
 仁王くんはきっと自分に正直だと思う。だから、側にいたら変われるんじゃないかって思って」
「変えるのは俺じゃなか。自分自身じゃ。他人を頼るな」
「うん、そうだよね。ごめん」
「じゃが、一人で変わる必要もない、助けてもらっても誰も責めはせん。俺らはまだ非力じゃ」

何が、いいたいのだろう。

「白川。気に入った。仲良くしたかったんじゃろ。なってやってもよかよ」
「え、なんで?」
「ごまかさなかった。真っ直ぐに俺を見てた。お前は俺を裏切らないと思うた」

裏切るって。

「私、嘘つきだよ」
「裏切るとは別。それに嘘なんて誰でもついとるよ。お前は素直すぎるのぉ……」

くつくつと笑って手を差し出された。反射的に握った手には確かな暖かみが存在している。

何かが変わる。
そんな予感がした。
変わりたい。
変われるだろうか。
不安はつきないけれど、その温もりを信じてみようと思った。
息が、少ししやすくなった。



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