※アイドルになる前のお話


今回こそしっかり院内散歩の許可を得た私は堂々と病室を抜け出す。
いつもはどこへ行こうかな、なんて考えながらふらふらと適当に歩き回るのだが今日は既に行き先が決まっている。

誰もいないエレベーターに乗り込んで最上階のボタンを押す。
エレベーターはチン、と音を鳴らして最上階への到着を知らせ、私はキョロキョロと辺りを見渡して誰もいないことを確認した後エレベーターを下り、今度は階段へと向かう。
何故こんなにこそこそしているかというと行き先に問題があるからだ。そう、私が行こうとしている所は屋上で普段は立ち入り禁止に指定されている。
しかし駄目だと言われているものを試してみたくなるというのが人間というもので。
それに、医療ドラマではよく医師達が屋上で煙草を吸ったり、雑談をしているシーンがある。ほんとは常に鍵が開いているのではないか?と考えてしまったわけだ。
溢れる好奇心を抑えることができなかった私は屋上へと繋がるドアを見上げている。しかしあと数段登れば、屋上にというところまで来たというのに最上階へ上がってくる誰かの足音が私の耳に届く。

早く戻らなくちゃ、と踵を返し後ろを振り向いた瞬間、黒髪で眼鏡を掛け、切れ長の鋭い目をした先生と視線がぶつかる。

「君はそこで何をしている」

「さ、さんぽですよ」

「屋上は立ち入り禁止だ。さっさと病室に帰れ」

肩を落としながらはあい、と間延びした返事をしてゆっくりと階段を下りる。
せめて鍵が本当に閉まっているかどうか確認できればよかったのに。そう思いながらも次回こそは必ず成し遂げてみせる!と気合いを入れた。


黒髪眼鏡の先生は私が下りてくるかと疑っていたのだろう、立ち止まって私が降りるのを待っている。
よっ、と最後の段はジャンプして先生の隣に立った。

「ほら、さっさと戻るぞ」

律儀にも病室まで送ってくれるらしい。


先生の横を歩きながらネームプレートの文字を盗み見て、気づけば名前をぽつりと読み上げていた。

「綺麗な名前、ですね。名前だけ見ると儚い感じがして」

「馬鹿にしているのか、君は」

「いいえ、まったく。滅相もございません」

桜庭先生は私の方をちらりと見ながら君は、と言葉を返したので
自分の担当患者でもない人の名前なんて興味なさそうなのになあ、とぼんやり思った。

「苗字 名前です」

先生は私の名前に何か心当たりがあったのか顎に指をあてながら考え込み、そして思い出したように
口を開く。

「そういえば許可も得ず、勝手に病室を抜け出す奴だ、と君の主治医が小言を漏らしていた。」

そして何か言いたげな様子で睨むように此方に視線を寄越してくる先生。

「今日はちゃんと許可を得ていますからご心配なく」

「ほう、だが立ち入り禁止の屋上に入ろうとしていたな」

「なっ。それは内緒にしてくださいね」

そんな話をしていればあっという間に私の病室に辿り着き、私はお礼を述べて中へと入り、先生は私がベッドに潜り込んだことを確認してから引き返していった。




それから何日か過ぎた天気の良い日、私は外のベンチで暖かい日差しを浴びながら母に買ってきてもらった文庫本のページを捲っている。
外と言っても病院の敷地内で体調が良いときは敷地内なら短時間の散歩ならしても良いと言われているので問題はない。

「君はまた病室を抜け出してきたのか」

本の内容に夢中になっていた私はその声の主が自分の隣に腰を下ろしていたことにも気づかず、上から降ってくる声に驚きつつ顔をあげる。

「あっ、先生でしたか。って、ちゃんと許可は貰ってますってば。失礼な。」

どうやら先生は何処かに行っていたらしく、これからまだ仕事が残っているとか何とかですぐ病院内に戻ってしまった。
しかし、その後も私がベンチに座っていると先生は私のことを見つけよく声を掛けてくれるようになった。
忙しい日は2、3言で終わってしまうこともあったし1週間のうち1日も顔を合わさない日もあったけれど、先生の好きな本の話や他愛ない話をするのが日常になり、何より私はその時間が大好きになった。




「あのね、先生。私、心臓の手術するんです。それを考えると苦しくなって。どうしたらいいんでしょう」

ある日、ぽつりと、まるで独り言のように私は言った。桜庭先生に悩みを話すのは初めてでどうしてこんな話をしたのかわからないけど、でも気づいたら口から言葉が飛び出していた。
だからきっと、私は桜庭先生に聴いてほしかったんだなって思った。

「怖いのか?」

「まさか。だって治るんですよ。それは嬉しいに決まってますし治るのなら痛みなんてへっちゃらです」

「では何が嫌なんだ?」

「肌に、傷をつけること」

「私ね、ほらこんな身体だから誉められることなんて何一つなくて。勉強も頑張ってはいるんだけど、入院とかしてしまえば追いつくので精一杯だし。運動なんてもってのほか。でもね、1つだけ誉められたことがあるの。
母が、あなたの肌は白くて、綺麗ね、って。友達も羨ましいって言ってくれるんです。
唯一の取り柄だったのになくなっちゃう気がして。
それに胸のあいた服も着れなくなりそうだし、胸に傷ができるのってやっぱり嫌じゃないですか」

「何を言うかと思えば…そんなことかくだらないことか。馬鹿だな、君は」

「くだらないって、人の悩みを何だと思って…」

ああ、そうですね、馬鹿でしたよあなたに話した私が!
なんて心のなかで悪態をつきながらもういいです、と拗ねながら勢いよく立ち上がり病室へと戻ろうと足を踏み出す。

と、その瞬間先生が私の手首を掴んだ。

「手術の傷は君が精一杯闘った証になる。今までの努力も苦痛も全てその傷が証拠としてずっと残るということだ。そして他の誰も知らなくても僕はずっと覚えている。それに傷ができるのは普段は見えない胸の部分だけであって他は今までと何ら変わりはないだろう?」

振り向けば、私に対し力強い視線を向ける先生がいて。

「それでもまだこのことで悩むのか?」

ずるいなあ、ほんとに。ずるいよ。

私はその答えとしてゆるゆると首を振る。

「ねえ、先生。まだまだ先のことなんですけど手術終わったら一番に会いに来て、ほしいです。」

先生は頷かなかった。
そして、切なそうな笑みを見せた跡ぽん、と私の軽く肩を叩に病室へと足を向ける。

その1か月後、夏も終わりに近づきそろそろ衣替えの季節かなあ、などと考えていた頃だった。
先生が私の前から、そして病院から姿を消したのは。


触れる指先、消えたぬくもり


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