プライスレスな彼女 | ナノ


プライスレスな彼女
88 プライスレス のつづき
  



 ──お兄さんに50円じゃなくて、この子あげるわ──


 そんな店主の言葉に彼女も俺も固まった。
 にこにこしている店主を前に先に口を開いたのは彼女だった。涙は止まっていた。


「お、お母さん、私って50円なの?」

 いや、50円とか、気になるのはそこなのかな。
 そもそも俺たち、こう何にも、そう何にもどうにも始まってもいないんだけど。

「て、ていうか、私、別に……」
「あのねえ、こう見えてもあなたたちより人生約20年先輩なのよ? 見てりゃわかるわよ」
「こう見えても何も、大体20年じゃなくて30年でしょ……」
「ちょっと、突っ込むとこそこなの? じゃあ間をとって25年でいいわ。とにかく」

 そういうと店主は俺をみた。ちなみに俺はまだ一言も喋っていない。

「お兄さん、すぐ仕事?」
「はい、あ、いえ、でも時間は取れます」
「じゃ、この子貸すから、ちょっと二人で話してらっしゃい。お客さんもひけたし店は私一人で大丈夫だから」

 そう言うと店主は彼女のエプロンを引っぺがし(本当に引っぺがすという表現がぴったりだった)、俺たち二人を店の外へ追いやった。

 とにかく店主の勢いだけで突然放り出された俺たちは、顔を見合わせる。お互いそこには、照れと、戸惑いと、そして少しだけの期待を持ち合わせ──。


* * * * *


「え? 1万円になったら声かけようと思ってたの?」
「そう」
「でも、週に3回は来てたよね。ひと月で600円だとしても1年で7200円、1年半で1万円にはなってたんじゃないの?」
「うんまあ実は1年3ヶ月ぐらいで1万は越えてたんだよね……」
「なにしてたの残りの9ヶ月……」
「うんまあ、いろいろと。迷惑かなーとか、フラれたらもう店行けねえなーとか、そもそも恋人とかいんじゃねえかなーとか」
「で、転勤決まって、そのまま去ろうとして、お母さんにお尻たたかれた、と」
「それを言ってくれるな……」

 君だって何にも言ってこなかったじゃないか、という言葉は飲み込んだ。やはりこういうのって男から言うべきだとは思うから。まあ、結局最初に言いだしたのは女性である店主だったんだが。ううう。

 でもその後は俺だって頑張った。あのあと店主に『ちょっと話し合ってきなさい』と二人して店を追い出され、戸惑いと照れを持ちつつも、期待と ばばばっと頭の中で展開させた計算を胸に、入ったコーヒーショップで自分から彼女に気持ちを伝え、そして自分たちの今後をすらすら提案した。
 初めて50円渡されたときから好意を持っていたこと。ずっと声をかけたかったこと。転勤が決まっていったんは諦めようと思ったけれど、こうなったらどうにかこまめに通うので付き合ってほしいこと。そしていずれは結婚も視野にいれてほしいこと。
一度腹が決まれば行動力はあるのだ。……ただその腹がなかなか決まらないだけで。

 あれから俺は彼女の店から車で高速2時間の地に異動になったが、なんだかんだマメに行き来して交際を続け、1年たった現在、入籍を目前に控え既に彼女は俺の家に引っ越してきていた。店のことを心配しようにも店主はあっさりバイトの女の子を雇い入れ、とっとと娘を家から追い出してしまった。漢(オトコ)前すぎる。

「俺、一生お義母さんに頭上がらないなあ……」
 彼女が、私もだよ、とくすくす笑う。
「でもお母さん、あなたが50円のかわりに私をもらってくれて助かった、って」
 なかなか嫁にいかない娘を内心心配していたらしい。(実は彼女は俺より2歳年上だった)

 いやでもそこは全力で訂正させていただく。


「君に値段がつけられるわけないだろ」


 あの日の出会いも、レジから出された50円も、
 何度も食べた定食も、漢前なお義母さんも、
 君にかかわるもの全て、
 そして君自身も、

 プライスレスなんだから。





うまいこと言った!と思っても所詮はヘタレだったわけで


2014.9.29



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