ピアノのおけいこ14 | ナノ


Last Lesson ピアノ男子とマイペース女子、消える
 


 8月半ば過ぎ。大学は夏休みだが、教授(せんせい)に頼んでピアノ室を何日か貸してもらうことになった。どうやらピアノ漫才の話は教授にまで届いていたらしい。「鍵は事務局にいっておくから、ガンバレよ〜」とのことだ。単位ください。


***


 実家から帰る前に、翼をプールに誘ってみた。「競争しない?」と。アンタ私に1回も勝ったことなかったよね、とさりげなく一言そえたら案外簡単に乗ってきてびっくりした。陽菜も喜んでついてきて、みんなで仲良く市民プールへ。そして結果はというと――惨敗だった。何故だ! あいつはロクに泳いでいなかったはずなのに! そうしたら弟は高校ぐらいからちょろちょろ泳いでいたらしい。なんだと! 私の杞憂を返せ!

 そうやって冷静に眺めていると、当たり前だが少しずつ変わっていってることを実感する。それは決して悪いことではない。翼は再び泳いでいるし、母ははにかみながら同僚男性のことを話し、陽菜はアパートへ帰る私を多少しぶしぶではあるが笑って見送ってくれた。

 私は、お父さんじゃない。代わりにならなくてもいい。私は、私。


***


「お待たせ。あー涼しい」

 私がピアノ室の鍵を開けるので、五十嵐くんは私よりあとにやってきた。
 メールのやり取りはしていたけれど、顔を合わせるのは、実家まで来てくれたあのとき振りだ。

「悪いね、わざわざ学校まで来てもらっちゃって」
「いいよ別に。今日はさ、まずこれを聴かせようと思って」

 そう言って五十嵐くんは譜面板に楽譜のコピーらしきものをひろげた。タイトルを見る。

「きらきら星……変奏曲?」
「そう。元はもちろんあの『きらきら星』だけど、モーツァルトがそれをピアノ曲にアレンジしたんだよ。まあ聴いて」

 そういうと、五十嵐くんは、どかりとピアノ椅子に座って指をぽきぽきと鳴らし、おもむろに弾き始めた。
 最初はかわいらしい、童謡のようなピアノ。と思ったら、ポロポロポロポロと右手が速くなり、次は左手が速くなり。元は全部、ドドソソララソ、なのだが、微妙に飾り音が入ったりメロディーがちょっと変わったりする。いろんなタイプのきらきら星が流れていく。

 10分ぐらいだろうか。聴き終って、めいっぱい拍手した。

「やっぱりすごい! すごい面白かった。いろんなきらきら星だった。なんか癒された気がする」
「モーツァルトの曲は1/fゆらぎ効果があるって言われてるからかな」
「へえ……」

 さすがアマデウス。
 五十嵐くんはひろげたコピーを畳んで、ピアノの屋根に置く。

「あのさ、きらきら星って実は恋愛の歌だって知ってた?」
「ええっ!?」
「恋に悩む女の子がお母さんにその切なさとか喜びとかを切々と訴えるっていう内容の。タイトルもそもそも『ねえお母さん』とかだし」
「えええっ!?」
「モーツァルトはそれを元に、このピアノ曲を作ったんだ」
「なんと……」

 じゃああの、きらきら光っちゃうお空のアレはなんなんだ。

「それ替え歌。でもそっちの方が有名になってしまったんだなこれが」
「ABCD〜っていうのが替え歌だと思ってたけど、元々の方も替え歌だったんだ……!」

 なんたることだ。
 というか、今日も五十嵐くんのピアノうんちくは健在である。

「さ、やろっか! 9月は練習できないんだろ? 8月でばんばん進めないと」
「ふぁい。お願いシマス……」



*****



「パンパカパーン! みなさん今日はお集まりいただきありがとうございまーす! わたくしメは幹事の数学科4年、学籍番号1014125、後藤でっす! ぃよろしくぅ!」

 よっ、とか いいぞー、とかの声が飛び交う。後藤くんはグラスを持って中央に立っている。そして私はといえば何故かその横に立たされている。

「さて、この度目出度く四谷ことりさんが無事ピアノ実技の単位を修得いたしました!! ハイことりん、ひとことご挨拶!」
「なんで、こんな大事(オオゴト)に……」
「ハイひとこと終わり! でもって、みなさんも卒論お疲れ様でしたー! 今年もあと僅か8日、そして学生生活もあと3ヶ月、教育科の女子のみなさんと数学科の野郎たちとの交流を大急ぎで深めるが如く、今日ははじけまショー!!」
「オー!!」

 そうです。今日は後藤くんがしつこく言っていたあの飲み会の日です……。
 なんだかんだと、総勢40人ぐらいのすごい大きな飲み会になっておりました。なぜだ。


「有り得ない! 給食に納豆が、納豆が出るなんて! レーズンパンだけならなんとか飲み込んで食べれるけど、納豆は、納豆だけは……! でも子どもの手前、泣く泣く食べたアタシ、えらい!!」

「ちょっと注意しただけで『お母さんにいいつけてやる』って言われてさあ……モンスターペアレントどころかモンスターチルドレンよね、あれ。でもまあこっちは実習生だし『じゃあ言いつければ? 自分が絶対に正しいならね』って言ってやったわ」

「最近の女子小学生ってなんなの? 『カレシいる?』『キスしたことある?』『エッチしたことある?』って散々、散っっっ々聞かれて……。まさか小学生の女の子からセクハラ受けるとは思わなかったよ!」

 宴もたけなわ。
 教育実習ってどんなだったの、という数学科男子の質問を受けて、ここぞとばかりに出るわ出るわ文句やらなにやら。
 中には、数学の方の話を聞こうとしている子もいたけれど、大抵は教育の勢いに押されている。先生って、結構ストレス溜まるんだよね……。私もセクハラ受けたよ、6年女子から。
 ちなみに、アユと葉子ちゃんは見事に採用試験を通った。あとは2月ぐらいに教育委員会から連絡を受け、面接などを通じて赴任先が決まる。

 席もすっかりばらけてきていて、教育の知り合いたちやたまたま傍にいた数学男子たちと数人で雑談をしていたら、どこかにいたアユがささっと私の横に移動してきた。

「ところでなんで英文がいるのよ」

 私も、ひらひら〜のきらきら〜が数人紛れ込んでいるなとは思っていた。あれはやはり英文科なのか。
 私の反対隣にいた葉子ちゃんが答える。

「薫ちゃんの友達。ほら薫ちゃんて内部進学でしょ、高校のときのクラスメイトたちなんだって。合コン荒らしってニックネームついてるほどのツワモノもいるらしいよ」
「今日の名目は一応合コンではないんだけどね」

 へえ、とあたりを見ると、五十嵐くんに一人ひらひら系が張り付いているのが目に入った。今日は全然師匠と話してない。さっきまではマコちゃんが師匠と話してたし、その前は薫ちゃんとユミちゃんが師匠の両脇に陣取っていたし。


 そうしているうちにあっという間に2時間が過ぎて、一次会がお開きになった。店を出た道路のあちこちに何人かずつツルんで話したりフラフラしたりしている。これから大半は二次会に移動だろう。
 
「ちょっとことり。あそこで師匠が英文にひっつかれてるよ。あんた今日師匠と話した? 今日はあんたの単位修得お礼飲み会でしょ。ちょっと師匠を連れてきなさい!」

 ほんのり酔っ払ったアユがヒトの背中をどんと押す。結構なバカ力で、同じくほんのり酔っ払った私はとっとっと、とそのまま五十嵐くんのところまでヨロけて行った。

「酔っ払ってんの? 大丈夫?」
「いや、大丈夫。えーとあの、ちょっと来てもらえますか」
「え? どこに?」
「えーと」

 どこにだっけ? アユのところだっけ? 
 すると五十嵐くんの横から鼻にかかったような声がした。

「えー? なあに? 今私が彼と喋ってたんだけど」

 ひらひらだ。ひらひらが私を睨んでいる。

「あ、それはシツレイしました。では」

 退散しようと、くるっと踵を返したところで五十嵐くんに腕を掴まれる。

「いいよ、行こう」
「え、でも」
「いいから」

 そのまま、ひらひらを振り切って、二人でアユのところへ戻った。

「アユ、連れてきた……」
「用があるのは私じゃないわよ、あんたでしょ」
「えっ私なの?」

 もう何がなんだか。
 しかしまあ、今日はまだ五十嵐くんとは全然喋ってなかったのは確かだ。

「あの……じゃあ一応、今日の飲み会のメインだから……もう既に何回言ったかわからないけど改めましてありがとうございました」
「もう既に何回聞いたかわからないけど、どういたしまして」

 とりあえずテンプレは済ませた。よし。
 そのまま、学生たちがたむろする路上で話し続ける。

「でも、ピアノほんと楽しかったな。五十嵐くんのピアノうんちくも面白かったし」
「ピアノうんちくって……」
「まだまだ教えてほしいなあ、できることならずっと」

 がやがや騒いでいる仲間たちを眺めつつ、冬の寒い空気にはふはふと息を吐きながらそう言った。しかし反応がない。
 どうしたのかと思って隣を見ると、五十嵐くんは真顔で私をじっと見下ろしている。

 なんか変なこと言ったっけかな、と思っていたら、彼はとっても柔らかい笑顔を見せた。

「しょうがねえな、よーし、じゃあこの際ショパン目指すか」

 ハイ師匠ッ! と敬礼のポーズを取ると、師匠は笑ってその長い指で私の額を小突くのでまたよろけた。危ないじゃないか、まったくもう。

 でも。

「……な〜んてね。もう無理だもんね。年が明ければアパート引き上げて実家に帰るし、今までさんざん付きあわせちゃったし、五十嵐くんの彼女作りもいい加減解禁にしないとね」
「……………………」

 そう、もう卒論も提出したし、単位も全部取れた。あとは卒業式を待つだけだ。横須賀に戻れば、ピアノに触る場所もない。
 ちょっと寂しいけど……たまには会えるといいな。横浜か、川崎か、品川あたりまでだったら出てきてもらえるかな? 別にもっとおうちの近くまで行ってもいいんだけど。でもって本当はピアノを聴かせてもらいたいけど、難しいだろうなあ。
 
 そんなことを思っていたら、いきなり手首を掴まれた。

「え?」

 五十嵐くんが私の手首を掴んでいる。見上げると、彼は首を伸ばしキョロキョロと誰かを探しているような仕草。そして、声を大きくして言った。

「後藤ー! 俺たち二次会パス!」
「え?」

 少し離れたところで二次会に行く人数を取りまとめている後藤くんが、こっちを向いて片手を上げサムズアップする。

「おっけー、じゃあな!」
「え?」

 少し先にいたアユと葉子ちゃんも私に手を振った。

「じゃあねー、ことり、1日早いけどメリークリスマース」
「ことちゃん、じゃあ良いお年をー」
「え?」

 そのまま、五十嵐くんは私の手を繋ぎ直すと集団から離れて歩き出した。

「行くよ」
「え? どこに?」



  Merry Christmas and a Happy New Year!


 




(after word)
お読みいただきありがとうございました   2013.12.1〜12.14 



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