Lesson12 マイペース女子と家族 慌てて入った病室の、ベッドにもたれかかっている母の側に、見たことのない壮年の男性が付き添っていた。 *** バタバタと階段を下りる音がする。 「部活いってきまーす!!」 「いってらっしゃーい。あんまり寄り道しないで帰ってきなよー」 「わかったー!」 疾風怒涛の勢いで飛び出して行ったのは9歳年下、現在中1の妹の陽菜(ヒナ)だ。陽菜はテニス部に入っていて、夏休みに入っても、毎日のように部活動がある。 8月に入って夏も更に本腰に入り暑さに拍車がかかる。しかし、実家(ここ)は海からの風もあるのでそこまで不快でもない。と思うのも、私が育った場所だからだろうか。 あの日、大学で私を連れ去ったのは3歳年下の弟であった。 母はとある会社で事務パートをしているのだが、階段を3段落ちて足を骨折したという。ここのところ体調も崩していたらしく(それでフラッときたらしい)、そのまま入院、ということになった。 その日の昼に、母が病院に運ばれたと連絡を受けた翼はすぐに私のケータイに電話したが、まあその頃にはケータイは洗濯機の中だったので繋がるわけがなく。 メールをしても返信は来ず夕方になっても夜になっても連絡が取れない。母も入院先で落ち着いて付き添ってくれる人もいたので、心配というよりはむしろ過去に実績のある電源入れ忘れ充電し忘れなどを疑って、翌朝イライラしながら私の部屋まで来たらしい。 合い鍵で部屋に入ったものの私はもちろんいない。バイト先に電話しても今日はシフトなし。イライラMAXで大学にやってきて、昼の時間ということから学食に来てみたら私は友達とのんきにご飯を食べていて、オマケに男子学生も一緒にいるときた。 翼は、小さい頃から私の後をついてまわり、私と一緒にいたがった。つまり若干シスコンなのだ。なので先日小野さんたちに言ったことはだいたいあってる。 そういうわけで、あの日は一緒にいるみんなにロクに挨拶もせず、私を引っ張って行ってしまった。多分、一緒にいたのがアユと葉子ちゃんだけだったら二言三言は喋っただろう。まったく、早く彼女でも作ればいいのに。 さて、その母の容体だが、入院期間は10日。 順調に回復し、先月末には退院して、また会社へ出勤している。松葉杖でどうやって行くつもりかと思ったら、例の男性が同僚ということで毎朝毎晩車で送迎してくれている。 母も男性も特に何も言わないが、翼が言うには、 「まあまだはっきりと何か言われたわけじゃないけど、最近母さん精神的に充実というか安定してるというか。あれは多分間違いないな」 とのことだ。 父が亡くなって8年経つ。母に新しいパートナーができるのならば喜ばしいことだ。そのはずだ。 * 今は基本的に家にいる。固定電話とパソコンで連絡は取れるためまだケータイは買っていない。 アユと葉子ちゃんには、翼に連れ去られ母親の入院先に顔を出し落ち着いてから、連絡した。あのあと、『ことりがイケメンに拉致られた!』と大騒ぎだったらしい。 五十嵐くんの連絡先をメモってもらう前にあの場を去ってしまったので連絡のしようがないなと思っていたのだが、さすがアユ、彼の連絡先をちゃんと聞いていて教えてくれた。 じゃああとで電話かメールでもしようかなと思っていたら「師匠にもことりの実家の電話番号教えといた。よかったよね?」と事後報告。もちろん構わないけど、実家の電話にかけるなんて、しにくいだろうからさっさとこっちから連絡しよう。 ……と思ったんだけれど、なかなか行動に移せない。なぜだろう? 9月からは教育実習が始まる。実習先が横浜だからその間は実家から通うことにはなるが、8月の中旬には一旦向こうに戻って準備もしなければならない。 けれど、なんというか、何故か、心にぽっかり穴が開いているようなのだ。 * 「ことちゃんのごはん、おいしーい! ツバのは味は悪くないんだけどワンパターンなんだよね」 「うるせーな。ヒナが作るのだってカレーと焼きそばとチャーハンのローテーションだろ」 「もっと作れますう」 母は今日は残業らしい。ついでに食事もすませてくると連絡がきたので今日の夕飯は兄弟3人で食卓を囲っている。今日の献立はトマトクリームライス。玉ねぎとニンニクと海老を炒めて、コンソメ、塩コショウ、トマト缶と生クリームを足して煮込むだけだが、ガーリックライスにもパスタにもあう。 陽菜は、私が帰ってきて嬉しそうだ。思えば私が大学に進学するにあたって家を出ることになったとき、最後までいやだ出ていかないでとゴネて泣いていたのは陽菜だ。元々陽菜が生まれたときから、オムツ替えやら何やらして面倒を見ていたが、父を亡くしてからは母が働きに出たのでさらに幼い妹の世話を焼いた。おかげでこの子もすっかりシスコンである。 「ことちゃん、このままずっとうちに居てほしいなあ」 「お前甘えてんじゃねーよ。自分がラクしたいだけだろ」 「違うよー。単にことちゃんに居てほしいだけだもん。家事はきちんとやるもん」 陽菜が小4になるときに、私は家を出てしまった。母も翼もいたけれど、まだ9歳の陽菜は家族が1人でも欠けることはさびしかったに違いない。 「ツバ、とっととバイト行きなよ。19時半からじゃないの? コンビニ」 「今日は休みだよ」 でも、私が実家を出ている間に、今や翼も陽菜も家事をマスターし、母と三人で不自由なく暮らしている。私がいなくても。 「あ、そういえば一昨日ことちゃんがお風呂入ってる間に電話あったよ」 思考を飛ばしていた私を引き戻すようなことを、陽菜がさらっと言った。 「え、一昨日? 誰から?」 「オトコ。えーと待って、メモったはず」 男、と聞いて翼がピクっとする。 陽菜が電話を置いてあるカウンターに行ってメモを取ってきた。 「えーっと、イガラシだって。大学の人。で、この人ことちゃんの何?」 そのタイミングで、家の電話が鳴った。 翼の行動は速く、私が出る前に電話を取ってしまう。はい、ああ、はい、とぶっきらぼうに対応すると、私にすっと受話器を差し出し「イガラシ」とだけ言う。おい、保留押してから言えよ、呼び捨て丸聞こえだぞ。 陽菜も、半目でヒトを眺める。そもそも一昨日電話あって、何故今まで言わないんだ。 二人の視線が痛いので、保留を押してから廊下で話そうと食卓から離れる。陽菜が「もしかしてカレシとかじゃないでしょうね」と睨むので「ただの友達だよ。ここだとテレビもうるさいでしょ」と説明して、通話ボタンを押した。 「もしもし」 『四谷さん? 俺だけど』 3週間ぶりに聞く声にひどく懐かしさを感じる。おかしいな、以前だって、声を聞くのなんて週に1度だったんだけど。 「うん。あの、電話くれたって? 妹から今聞いて。連絡しなくてごめん」 『いや、俺こそなんかしつこくてごめん』 「いやいや、こっちがあのまま連絡してなかったから……実は」 『大体は事情聞いたよ』 「アユから?」 『そう』 実家に戻って3週間、大学に入ってからは、向こうの生活の方が当たり前だがはるかに長く、知り合ってたった3ヶ月程度の五十嵐くんでさえ、既に日常だった。それが1,2週間程度であっという間にこちらの生活に慣れ、向こうの日々が遠い世界のようにさえ感じる。 何を話そうかと考えていたら、相手から切り出された。 『あのさ』 「うん」 『えーと、俺、今、その……駅にいるんだけど』 「は? 駅? どこの」 『…………浦堀海岸』 「は!?」 うちの最寄駅ではないか!! 『えーと……ちょっと、出てこれる?』 東京西部の学園都市からここまでは、電車を乗り継いで約2時間半。東京都下の彼の住んでいる市はまだ都心寄りだがそれでも2時間かかる距離だ。 今の時刻は19時。17時頃出てきたというのか? わざわざ? 「い、いますぐ行く。10分ぐらいで着くから、改札で待ってて」 私は、だらしない部屋着から普通のTシャツに慌てて着替えると、弟妹たちに説明もそこそこで玄関を出て自転車に跨った。 [prev][contents][next] ×
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