ピアノのおけいこ6 | ナノ


Lesson6 ピアノ男子を追及する
 


 雨が降っている。しとしとと。先週梅雨入りしたらしい。
 2限に間に合うように大学に行くと、門のところでちょうどアユと葉子ちゃんに会った。おはよ、と挨拶する。

「ピアノ、どう? 順調に進んでる?」
「うん、多分。今20番台やってるよ」
「80まで先が長いわね……」
「そうだねえ。でも師匠は一応進度を考えてくれてるみたいだけど」

 軽口を叩きながら構内を歩いていると、ちょっと先に見知った人を見つけた。後ろ姿ではあるが私のピアノの師匠その人である。でも1人ではない。女の子と一緒だ。
 そちらをじっと見ている私にアユが気づいて「どしたの?」と聞いてきた。なので私は正直に「あそこに私のピアノの師匠がいる……」と教えた。

「えっどこ! ご挨拶しなきゃ!」
 誰かもわからずまっすぐ突進しようとするアユの腕を慌てて引っ張る。1人ならともかく話をしているようだし。足ぶみするアユにどれが彼かだけを教え、話し込んでいるようだから邪魔をしないでおこうと言った。

「彼女、いないって言ってたんだよね? あれ友達かな。親しそうだけど」
 そう言われて、五十嵐くんには彼女がいると昨日あの騒がしい友人が学食で言っていたのを思い出した。そういえば、昨夜寝る前にも思い出したというのに、一晩寝てすっかり忘れていた。

 すると、ふと女の子の方が、彼を通り越して私たちのいる方に視線を寄越した。こちらを見てちょっと目を開いた、気がする。じっと私たちを見て、それからまた彼の方を向いて話を続けていた。


***


「そういえば、私聞こうと思ってたことがあったんだけど」

 翌週のレッスンの日、忘れないうちに、ピアノ室に入って突っ立ったまますぐに私は切り出した。

「五十嵐くん、彼女いないって言ってたよね? でも先週、いるってお友達が言ってたけど、どっちが本当?」
「へ?」
「ついでに言うと先週木曜、本館の掲示板脇で女の子と話し込んでるの見かけたけど。別に五十嵐くんに彼女がいてもいなくても私はピアノを教えてもらえればそれでいいんだけど、友達が五十嵐くんに彼女がいたらうんぬんとか言うからそのへん気になる。嘘つかれると信頼関係も崩れるじゃん」

 そう、アユたちに言われなければそんな面倒なとこまで気づかなくて済んだのに。リア充はなんでもかんでも恋愛に結びつけるんだから始末に負えない。爆発すればいい。
 楽譜を譜面台に置きながら、今ここにいない友人たちにも心の中で文句をつける。

「……なんで丁寧語じゃなくなったの? ていうか今までなんで丁寧語だったの? 同じ学年なのに」

 そこじゃないでしょう今気にするとこは。

「丁寧語じゃないのは、いま五十嵐くんの誠実度を疑っているから。今まで丁寧語だったのは、私が人見知りだから」
「人見知り?」
「人見知り」

 なんだそのすごく納得いってなさそうな顔は。
 五十嵐くんは、「まあ座んなよ」とまだ立っていた私にピアノ椅子を勧める。

「そういう四谷さんは、彼氏いないわけ?」
「私のことは関係ないと思うけど、だがしかしそっちに聞く以上は答えよう。悪いけどね、……いや何ひとつ悪くないな、うん。とにかく私にそんなのいないよ。私のコネ就職の採用条件話したっけ? 『履修科目の8割は優』なの。私の大学生活は、勉強とバイトと少ない友人との交流で成り立っている」

 私は左手の指を3本びしっと挙げて五十嵐くんの眼前に突き出した。
 彼は若干後ろに仰け反り、それから穏やかな笑顔を浮かべる。

「俺もいないよホントに。以前はいたけど。後藤は知らなかっただけ、別れたの春先でいろいろ忙しかったからそんな話もしないし。だからあのあと言ったよ」
「じゃああの密談してた女の子は彼女じゃなくてただの友達?」
「なんか浮気問い詰められてる気分だな……。ぶっちゃけて言えば多分それ別れた彼女だけど、まあもう友達というか関係ないよ、別に密談してないし」
「何が浮気だ、寝言は寝て言え」
「…………」

 思わぬ私の暴言に一言も発せないような彼を一瞥し「わかりました、問題ないなら早速今日のレッスンやりましょう」と改めて楽譜に向き直った。
 すると五十嵐くんはククッと笑った。私が眉間に皺を寄せると、「いやごめん」と手を振る。

「いや後藤じゃないけど、四谷さんて面白いなと思って。裏表ないし」
「それ誉めてると思っていいんですよね」
「誉めてるよ。俺、四谷さんのおかげで普通にピアノ触れるようになったし。それと折角だからもう丁寧語やめて」
「え?」
「丁寧語、もうやめて」
「いや、そっちじゃなくて……」

 なっ、と強引な笑顔で念押しされて、頷く。

「よし、じゃあ今日はそうだな、まず44番やってみよう。これは音符の長さの確認だから今までのより簡単だし、初見で弾けると思うよ。俺、先生パート弾くから連弾しよう」
「え? 先生パート? 連弾?」

 何それ、初めて聞くんだけど。

「ここ、左ページに載ってるだろ先生パート。無いのもあるけどほら例の8番もあるよ。まあ伴奏みたいなもんだよ。今までは必要ないと思ってやらなかったけど、これ合わせると結構楽しいんだ。俺たちの親睦を深めるためにもやってみよう」

 親睦ってなんだ。

 ……と思ったんだけど、やってみると確かに連弾は面白かった。

 私はドレミファソファミレをひたすら単調に、長さを変えて弾くだけなんだけれど、左側で五十嵐くんの方がチャラポロチャラポロきれいな音を奏でるので、豪華な一曲に聴こえた。すごい!
 今度は『ピアノのおけいこ』でやってみたい、他のもやってみたいとリクエストして、8番、9番、10番と連弾で弾いてみる。これは楽しい。
 単純に喜ぶ私を見て、五十嵐くんはドヤ顔だ。
 なんだか乗せられた気分ではあるが、実際面白いのは確かなので、素直に乗せられてじゃあ次は、と楽譜をめくる私を五十嵐くんが止めた。

「今度はちょっと趣向を変えよう。四谷さん、『ちょうちょ』できる?」
「え? ちょうちょ〜、ちょうちょ〜ってやつ?」
「うん。初めはソからね。ソミミ、ファレレね。なんなら片手でもいいよ。……いくよ、さんハイ」


 ……『ちょうちょ』がこんなにかっこいい曲になるとは思わなかったです。
 童謡ナメテタ、ワタシ。
 弾き終わってびっくりしている私に五十嵐くんが解説する。

「要は、伴奏のコード進行なんだよ。バイエルみたいなクラシックの楽譜には無いけど、例えばJ-POPの楽譜なんかは上にCとかDとか書いてある。見たことない?
 例えばCはドミソの和音。Gならソシレ。『ちょうちょ』ならこの2つで伴奏できるけど、でもソミミミの2回目のここで、伴奏をCじゃなくてGdim(ジーディミニッシュ)にするとちょっとかっこよく聴こえるっていうね」

 何言ってるか全然わかんないけど、五十嵐くんの伴奏がすごいのはわかった。

 それから『かえるのうた』や『HappyBirthdayToYou』もこれまたステキに伴奏をつけてもらって一緒に弾いた。
「面白い! 楽しい! すごい!」と珍しくはしゃぐ私に、五十嵐くんが「四谷さんのリクエスト、なんかある? 童謡で」と問う。

 そこでふと記憶の中の映像が呼び起される。夜の海の。

「……きらきら星」

「きらきら星? オッケー、やろう」

 私の片手のドドソソララソに、きれいな伴奏が付け足される。ああすごいな、なんでこんなに幻想的になるんだろう。つられて嫌でも思い出す。
 夜の海で見た星。

 泣きそうになったけど、食いしばった。そんな私に、五十嵐くんは気付かなかった。
 そして弾き終わってから「やっぱりすごい!」と笑顔を向けると、彼はふっと息を吐くように笑ってしみじみと言った。

「俺、ピアノ教える母さんの気持ちがなんだかすごくよくわかったよ」







(after word)
潤が弾いた“ちょうちょ”のコード進行は以下(多分)
興味がある人は(。っ・ω・´)っドゾォ!!

C(ソミミ)/ G(ファレ) G7(レ)
C(ド)G(レ)C(ミ)Dm(ファ)/C(ソソソ)

C(ソミ)Gdim(ミミ)/Dm(ファレ)Fm6(レレ)
C(ドミ)Gsus4(ソ)G(ソ)/ C(ミミミ)

Gm(レレ)D+5(レレ)/B♭(レ)Edim(ミ)Dm6(ファ)G(休)
C(ミミ)CM7(ミミ)/Am(ミ)Fm(ファ)Gsus4(ソ)G(休)

C(ソミ)Gdim(ミミ)/Dm(ファレ)Fm6(レレ)
C(ドミ)Gsus4(ソ)G(ソ)/ C(ミミミ)


ちなみに、ようつべで『かえるのうた ピアノ』を検索するととても童謡とは思えないかえるのうたが聴けます



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