Lesson5 ピアノ男子の疑惑 小学校の先生になるにはピアノが弾けなければいけない。 私はピアノが弾けないさあ困った。 すると弾ける人が目の前に現れた。 ちょいとアナタ、私にピアノを教えてください! 早速その彼、五十嵐くんに教えてもらうことになった。 友人には彼がどんな人なのか聞けと言われた。 就職が決まっていることと彼女がいないことは聞いた。問題ない。 そして2回目のレッスンでバイエル8番をマスターした。 ←イマココ *** 右はまだマシだが、左が全然動かん。特にお姉さん指と赤ちゃん指。あ、4番と5番て言わなきゃダメなんだっけ? 「ダメじゃないけど。赤ちゃん指と5番とどっちが咄嗟に言いやすいと思う?」 「赤ちゃん指です」 「わかった。でも俺には5番と言わせてくれ」 これは9歳年下の妹のせいであって決して可愛い子ぶっているわけではない。普段は気を付けているけれど、一部の幼児語が身についてしまって離れないのだ。幼かったあの子の面倒を一番見たのは私である。 既に6月半ば。『ピアノのおけいこ』(バイエル8番のことではない)は今日で5回目になっていた。8番から始めたバイエルだったが、そのまま9番、10番と進んでいるわけではない。今ほど練習できないであろう夏休みや実習期間を考えるとのんびり進めているわけにはいかないのである。飛ばし飛ばし抜粋して、今日は20番台の曲を練習した。 *** 「思ったんだけど、四谷さん飲み込み早いな。ほんとに昔ピアノやったことない?」 「ないです」 学食で、ラーメンをすする私と、カツカレーを食べる五十嵐くん。 「俺も人に教えたことないからわからないけど、うん、上達が早い気がする。譜読みも結局はあっという間に覚えたし。意外と頭いいんだな」 「1年のときのペーパーテストも一夜漬けで覚えました。『優』でした」 “意外と”と言われたのは聞かなかったことにして、えっへん、と胸を張る。私が本気を出せばこんなもんだ。 「今回覚えたのはそのまま忘れないでいてくれよ。とにかくざざっと流して、7月には40から50番の曲やりたいけど……でもさすがにちょっと厳しいかな、週1だし」 五十嵐くんなりに、進める過程を考えてくれていて前期中に50番を目指しているらしい。 ちなみに私には関係ないのだが、アユや葉子ちゃんが受ける公立の採用試験では7月のアタマにある一次に受かれば、実技の二次は8月終わりごろになる。私が公立を受けるつもりならば間に合わなかっただろう。コネに感謝である。 「要はあれだよな、伴奏ができればいいわけだろ? 右手が主旋律で左手がドソミソドソミソみたいな。でもバイエルはハ長調ばっかなのがイマイチなんだよなあ。小学校で歌う歌ってハ長調とは限らないじゃん」 「蝶々? 私がいく小学校は1年から音楽専科だから実際私が音楽を担当することは多分無いですし……」 「『さくらさくら』なんか……ララシ、ララシ……Aマイナー?」 「言ってることよくわかりません。だがしかしさすが音大生」 「同じ大学だよ」 カツカレー食べながら冷静なツッコミが返ってくる。もう音大生って言ってもいいと思うんだけどな。数学科って何やってるんだろう。 そんなことを思いながら、黙々とラーメンをすすっているうちに、学食に学生が増えてきた。そういえば2限が終わるチャイムが少し前に鳴ったっけ。 「お! 潤!」 と、いきなり背後から男子学生がやってきて、五十嵐くんの肩を叩いた。 「痛え」 五十嵐くんは肩をさすりながら、その男子学生を睨んだが、彼はその視線は全然スルーで顔は私にロックオン、そのまま五十嵐くんの横の席に座った。 「なになにー? 潤ちゃんてば女の子とメシなんか食っちゃって! カノジョ? いやカノジョ違うか、お前のカノジョあの子だもんなヒトミちゃん。ヒトミちゃん元気? で、こっちのカノジョ、カノジョカノジョうるさいよね俺ごめんね飲み会しよう飲み会! ここ座っていい?」 「もう座ってんだろ」 機関銃のように喋る人だ。というか今聞き捨てならないことを言ったような気がするけれど。 五十嵐くんは彼のことを「こいつ同じ学科の後藤」と説明し、私のことは、教育学科を専攻していてこの昼前の時間にピアノを教えていると彼に紹介した。 「えっお前ピアノなんか弾けんの?」 「まあね」 「あ、そっか亡くなったお母さんピアノの先生って言ってたもんな」 「え?」 亡くなった? 私は顔に動揺は表さなかったとは思うが、五十嵐くんは、そんな私の様子には気づいたようだ。こちらに向かって苦笑する。 後藤くんは、ちょっとしまった的な顔をして、私の方を見て明るく話しかけた。 「何こいつってそんなにピアノ上手いの?」 「私は素人だからわからないけど、聴いた感じはすごい上手いです」 へー、と後藤くんは五十嵐くんの顔をにやにや見てから、また私に向き直った。 「教育かあー。ガッコの先生になるの? 俺教育には知り合いいないなあ。ていうか、女の子の知り合いが少なすぎる! 数学科にはほとんど女の子いないからさ。えーと四谷ちゃんだっけ、今度さ、飲み会しない? 合コンじゃなくて飲み会。別に彼女欲しいとかじゃなくて、いや欲しいけどさ、でもまずは女の子と純粋に飲み会したい!」 「お前やめてくれよ、そういうの。女友達いるだろ、フットに」 「ほんとにただの友達なんだもん。新しく出会う女の子ならもっとときめけるかも。あ、俺たちフットサル同好会に入ってるんだ、もう引退したけどさ」 後藤くんは多分お母さんの話から逸らそうとしたんだろう。軽いノリだけど、悪い人じゃなさそうだ。なので私もその話に乗っておく。 「私友達少ないけど、でもその少ない友達に頼めば人は集まるかも」 「ホント!?」 「四谷さん、このアホのことはほっといていいから……」 五十嵐くんは、こっちに身を乗り出したそのアホ氏の顔面を抑えて後ろに戻した。 「だけど10月以降じゃないと無理だと思います。7月は採用試験があるから今はみんな勉強中だし、私もそうだけど9月は教育実習の子も多いし。飲み会するなら英文科さんとかの方がいいかもしれないですよ。まあ私は英文科には知り合いいないけど」 「英文科は憧れるけど、教育のマジメそうな女の子もいいなあ」 おい後藤。とりあえず話に乗っかってるだけなんだからな。空気読めよ。暗に飲み会なんてやれねえよと言ってるのがわからんのか。 ちなみに英文科とは、もちろんこの大学の学科のうちのひとつだが、女子率が高いせいかどの女の子も華やかでキレイだ。英文科の女子学生、といえば大袈裟にいうとこの大学のスクールカーストのトップに君臨しているような方々である。擬音語・擬態語で表すならば、きらきら〜、ひらひら〜、というような感じだ。 まー話半分にしてもアユたちに聞いてみれば、どっかしら繋がるかもしれないなあ、などと考えているうちに、ハッと腕時計を見る。 「そろそろ行かなきゃ。バイトの時間だ」 目の前に男子二人がいるというのに、残りの麺を豪快に二口ですすって完食した。女子としては終わっているかもしれない。 「なんか、四谷ちゃんて面白そう。バイトって何やってるの?」 「おばちゃん相手の水中ウォーキングレッスン」 麺が口に入ったまま答えると、後藤くんはなんか知らないがまたツボにはまったらしい。「やっぱりおもしろそー」と破顔した。何が面白いんだ、私もおばちゃんも大真面目だというのに。 五十嵐くんが後藤くんのアタマをひっぱたいているうちに私はトレーとバッグを持って、二人に挨拶をすると学食を後にする。 何かひっかかることがあったような気がしたのだけれど、そのときはそのまますっかり忘れてしまっていて、夜寝るときに思い出した。 彼女だと!? [prev][contents][next] ×
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