「苗字」
「………」


人混みの中で懐かしい声が聞こえた。
雑踏の中で、聞こえるか聞こえないくらいの声量。それでも私が気付くのには十分だった。ああ、なんて、懐かしいの。
振り返ったら、随分と遠くなっていた存在が近くに戻った気がして、少し息がつまる。


「よぉ」
「……久し、ぶり」


一回も忘れたはずがない、幼い頃ずっと二人でいたんだもの。今では私を遥かに越した身長、低くなった声、あの鋭い目つきは今になっても変わらない。緩んでいく口元に彼も表情を崩す。

垣根帝督、彼は私の幼なじみにあたる人物。学園都市の数少ないlevel5で学園都市第二位の座に今も君臨し続けている。
何年も前から音信不通だった彼が今、目の前にいる。
ずっと気掛かりだった。突然とはいえ私は結果的に研究所からは出ていくことができた(正確には廃棄された、に近いけど)から、彼はあれからもずっとあの場に居たのだろうかと思うと悲しかった。あそこは、研究者の私利私欲にまみれていた。私達は所詮道具、使えなければ捨ててしまえば良いのだ。私みたいに身寄りのない人間なんて特に格好の実験材料だったのだ。今はこうして過ごしているが思い出しただけで腹立たしい。

ぐるぐると煮えわたる腹の中に顔をしかめれば、ぽんと頭に温かい重みが乗っかった。


「…え、」
「考えてるとこ悪ぃが、お前が思ってることはもうねぇよ。俺が終わらせた」


にたりと笑った彼にそのまま頭をがしがしと撫でられる。やっと手を離してもらった時に、乱れて目にかかる髪の間から見た彼の表情があまりにも優しくて、つい泣きそうになった。


「…苗字」
「なに、」


頭から消えた温もりに寂しさを感じながら彼と向かい合う。


「……」


なんとも言えない気分になって思わず俯いてしまった。
どうしよう、私、何も話す事がない…。
久しぶりに会って、話して、なんだこれ、会話が続かないけど垣根に傍にいてほしい。乙女か、自分。


「…なあ、」
「なに…?」
「お前、棄てられてから、どうしてた?」
「…拾われたよ、親切なオニイサンに。今は一人暮らしだけどここまで生きられたのはその人のおかげ」
「ふうん」
「…垣根は?」
「あ?」
「…垣根は、何してんの?」


沈黙を破った彼に習って私も彼の近況を聞いてみる。
彼の纏う雰囲気が少し変わったのはわかったし、触れてほしくないのかもしれないけど、私は知りたい。
声には出さなかったけど口の動きだけで簡潔に伝えてくれた垣根に満足した。










そこから暫く二人でそこら辺を歩いた。
お互いに無言。しかし酷く心地が良い。
自販機で買った缶コーヒーを飲み干した頃、垣根の携帯が鳴った。
暗部からの呼び出し。そう思うだけで彼との距離がまた大きく開いた気がした。


「第二位さんも大変だこと」
「はっ、誰かさんと違って人気者なもんで」
「昔あんたを潰したの、誰だっけ?」
「おっと俺もう行かなきゃ」


皮肉めいた顔で笑ってからこちらに向ける背中に、かける言葉が見当たらない。どんなに彼を知ろうと、私は弾き出された。学園の本当の闇を知る前に。だから「またね」なんてそんな軽く言えない気がした。


「またな」
「…え、」
「お前とはまた会いそうだから」
「…そう」


自分で頬が熱くなるのがわかる。
その言葉がどんなに嬉しいか、彼はわかっているのだろうか。ふわふわとどこが自分にあるまじき乙女めいた思考になんとか歯止めを聞かせて彼の背中を送る。
次、いつ会えるだろう。そんな気持ちは、もう一度こちら振り向いた時彼の台詞を聞いた瞬間に消えることになる。
ああ、そう、彼はこんな性格でもあった。


「あ、そうそう、自由の身の苗字サンに一言残しておくけど…」



お前、彼氏いないだろ?



「この日お前と一日近くいて思ったんだが、男っ気も感じない静かな携帯は残念だな。このくらいの歳の一般生徒なら誰でもいるだろうよ、まぁ」


お前みたいに実は能力レベルが高い狂暴な女には本能的に察してるのか誰も寄らねぇか。


ケラケラと悪人のような笑いを残して奴は去った。
出会いは最悪、雰囲気ぶち壊し。
デリカシーとかそういうの、研究所にでも置いてんだっけ?
一気に冷めた頬の熱、余計なお世話だと飲み干した缶を投げ付けてやった。