其の十七



銀時の部屋を出た千草は、のろのろと足を動かした。
なんとなく銀時は自分を好いてくれていると思っていたからこそ、彼の口から出た言葉にショックを受けた。
顔も合わしてはくれず、冷たい拒絶に視界が歪む。平気なふりをして必死に取り繕ったが、頭の中は真っ白のままだ。

―迷惑だったのかなぁ。

思い出して、またじわりと涙が溢れる。

桂さんとこに報告に行かなきゃいけないのに。泣いちゃだめだ。

慌てて着物の袖で涙を拭った。涙にばかり気を取られ、足がもつれる。つんのめって転びそうになるところ、太い腕に抱き留められた。

「おおうっと。大丈夫ちや?」

頭上から土佐訛りの声が降ってくる。顔を上げると、人のよさそうな笑みを浮かべた男が覗き込んでいた。坂本だった。

「ありがとうございます」
「えいちや。えいちや。千草ちゃんが怪我ぁしたら、金時が心配するからの。もちろん、わしも。そいても、ぼうっと歩いていたら危ないぜよ」
「すいません。気を付けますね。あ、あの。さっき銀さんが目を覚まされましたよ」
「ほうか!ようやっと目ぇ覚ましゆうが。そいつぁ良かったぜよ。ほいても、千草ちゃんは浮かない顔しゆうが、なんかあったんか?」
「い、いえ。何も」

千草は咄嗟にごまかした。
だが、坂本は千草の嘘を一瞬で見抜いた。千草は嘘が隠せない性格らしい。千草の黒い瞳が動揺と不安に揺れているのを見逃さなかった。

―こりゃあ、銀時と何かあったようじゃのぉ。

銀時と千草が互いに想い合っていることは誰の目から見ても明らかで。感情を隠すのが上手い銀時が、千草を前にすると下手くそになるのが珍しいと思っていた。
しかし、男女の縺れに第三者が介入するのも野暮だと思い、特に深く詮索はしなかった

「千草ちゃん、ずっと金時の看病しちょったき。疲れたろう。わしがヅラに報告しちゅう。千草ちゃんはゆっくりしよるとえいぜよ」

にっこり笑った坂本の大きな手が、千草の頭を撫でた。



坂本と別れた後、千草は中庭に面する縁側で膝を抱えてぼんやりと空を眺めていた。
自室は銀時の部屋の隣にあるのでなんとなく戻りづらい。かといって、酷い顔で救護所に行っても、久坂達が心配するに決まっている。行き場所を無くして宛もなくさ迷って、行き着いた場所がここだった。

「千草さん」

背後から名を呼ばれ、振り替えると黒子野が両手に青い缶を持って立っていた。

「銀時さん、目を覚ましたらしいですね。よかった」
「はい。ついさっき、ようやく目を覚ましたんです」
「……良かったらお茶でも飲みませんか?お茶と言ってもポカリですけど」

片眉を下げて苦笑し、手に持っていたポカリを差し出す。
千草と黒子野は何かと気が合い、こうして時々一緒に茶やポカリを飲み他愛もない話をする茶飲み友達だった。

「銀さんを運んできて下さった黒子野さんのお陰です。あのまま、もう少し処置が遅かったら、死んでいたかもしれないって、久坂さん言ってましたよ」

ポカリを一口飲んで喉を潤したあと千草は黒子野を労った。すると、黒子野は唇をゆるりと緩めて頭を振る。

「僕はたいしたことしていませんよ。むしろ、僕たちが銀時さんにいつも助けられているんですから。銀時さんは僕たちを庇って、あんな大怪我をしたんです。怪我を隠してまで、僕らを逃してくれた。お陰で僕ら全員生きて帰ってこれたんです」

そうだったんだ。ポカリの缶を持つ手に自然と力が入る。
理由も知らずに銀時の前で取り乱して、泣いて。勢いに任せて想いを告げて。銀時に押しつける形になったのではないか。
急に好きと言われても、誰だって動揺するに決まっている。
馬鹿だなぁ、私。銀さんの気持ちも考えないで。好きだなんて呑気なこと言ってさ。

「私、銀さんに悪いことしてしまいました」
「悪いこと?」
「銀さんの気持ちを考えずに、先走っちゃって。銀さんを困らせてしまったんです。私、ダメだなぁ。」

黒子野はふむと唸った後、 「千草さんがここにいる理由ってなんですか?」と尋ねた。

「ああ、いや。特に変な意味で聞いたわけではなく。ええっと。僕らにとって銀時さんや桂さん達は光です。剣の強さだけでなく、彼らの人柄に惚れて彼らについていっている。僕もそのひとりなんです。影となって彼らを支える。それが僕がここにいる理由なんです」

銀時達が絶大な支持を得ていることは知っていた。だからこそ、彼らは常に前を向いて突き進んでいないといけない。怯むことをなく、自分達よりも歳上の男達をまとめ導いていくのは相当大変なことだ。更には刀を振るい、命のやり取りをしている中で生きている。
そんな経験をしたことがない千草は銀時に寄り添えるか不安だった。だけど、銀時は言ってくれた。出立前に。お帰りなさいと出迎えてくれることが嬉しいと。

「私は、帰る場所でいたいんです。あったかいご飯炊いて、銀さんに、みんなにお帰りなさいって言いたい」
「そうですか。……これは僕の憶測ですが、あんな怪我をしても銀時さんが生きて帰ってこれたのは、もちろん彼の強さもあるんでしょうけど……、でも何よりも帰りたいという強い意志があったからだと思うんです。銀時さんはきっと……。いや、此は僕の口から言うべきではありませんね」

そう言って黒子野は柔らかく微笑んだ。

例え片想いであろうと、銀時の傍にいれるだけで嬉しい。自己満足かもしれないが、好きな気持ちを大切にして、自分の出来ることをして銀時を支えたい。銀時の帰る場所でありたい。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。

「黒子野さん、ありがとうございます。なんだかすっきりしました」
「ふふ。どういたしまして」

攘夷四天王の影の立役者。黒子野太助。
存在が薄いが故に、誰からも顔を覚えられていない。はっきりと認識しているのは千草ぐらいであろう。




白夜叉の部隊が牙狼族を壊滅させ、白夜叉が深手を負ったという情報を桂から聞いたのは高杉率いる鬼兵隊が任務を終えて帰った後だった。
白夜叉があの深手で大将首を討ち取ったと志士達の間では持ち切りだった。多くは銀時の強さを支持するものだったが、中にはオニや化け物と畏怖の眼差しを向ける者もいた。

―くだらねぇ。

高杉は胸の中で舌を打つ。心底どうでもいい話だ。
任務のあれこれで、丁度ストレスが溜まっていたところだ。あのバカを一言からかって憂さ晴らしでもしてやろうと、高杉は銀時の部屋に足を進めた。

銀時の部屋の前に行くと、千草が包帯を持っておろおろしていた。

「銀さん、包帯変えなきゃ」
「いらねぇ。一人で出来る。そこに置いといてくれ」
「でも、でも。あんな怪我してちゃ大変だよ。具合も見なきゃだし」
「いいって言ってんだろ。放っておいてくれよ」

襖越しから聞こえる銀時の声は冷たさを孕んでいた。肩を揺らし俯く千草。二人の間になんだか妙にぎくしゃくした雰囲気が漂っていることは誰の目から見ても明らかだ。

―また面倒なことになってやがる。

胸の内で溜め息を零した高杉は、千草の背後から近づいて、腕の中の包帯をひったくった。

「あっ。たか、」

驚く千草の唇に指を当てて、言葉を制する。

「後は俺に任せろ」

耳元でそっと囁いて、千草の返事を待たず乱暴に襖を開けた。

「よォ、銀時ィ。腹ぁ切られたんだってな。天下の白夜叉様もついにおだぶつかと思っていたが、存外しぶといらしい」

 入るなり、揶揄を含んだ言葉を投げつける。すると、布団に寝転がっていた白い塊が、鋭い赤い目を寄越してきた。

「高杉、てめぇなにしにきたんだよ」
「包帯を変えにきてやったんだよ、ありがたく思いやがれ」
「なに。てめぇが俺に優しいなんて、明日死ぬの?お前」
「死ぬの俺かよ」

高杉は銀時の腕を引っ掴み、無理やり引っ張り起こした。

「うごおおおっ!やめて、やめて!死ぬ、死んじゃう!!!傷開いちゃう!!」

銀時が悶絶の悲鳴を上げるのも構わず、「うるせぇ、喚くな」止めを刺すように銀時の頭を叩いた。

「お前ほんと何しに来たの、止めをさしにきたの?怪我人には優しくしなさいって先生に習わなかった?」
「てめぇにはこれぐらいで十分だよ。おら、いつまでも心気臭ぇ顔してんじゃねぇ。とっとと脱げ」

高杉はまるで追い剥ぎのように銀時の着物を引っぺがした。

「きゃあ〜やめてぇ〜!総督がご乱心よ〜!」
「気色悪ぃ声出すんじゃねぇよ」

悪ふざけをする銀時の頭を叩いて、傍らにどかりと腰を降ろした。古い包帯を取ると、どてっ腹に大きく抉られたような痕があった。まだまだ安静が必要な状態ではあるが、傷はもうだいぶ治りかけている。相変わらず回復力が高い野郎だ、と胸の内で思った。

「ねぇ、そんなにじろじろ見ないでくれる?銀さんの肉体美がそんなに羨ましいの?高杉君、もやしっ子だもんねぇ〜……いだだだだっ!ちょ、やめて、傷口抉らないでっ、まじで死ぬから!!」

大けがを負っても尚、相変わらずの銀時に、高杉は少し安堵した。これだけ軽口叩けるのであれば、問題ないであろう。身体面では。                 
銀時は何をするにも器用な男だった。手先だけではなく、人との距離を取るのも上手い。特に関わりの浅い人間に対しては相手が気づかない程度の壁を作り、踏み込まず、踏み込ませることも許さずに、上手に距離を保つことに長けていた。
気だるげな雰囲気を纏うことで、感情をうまく隠し生きてきた。高杉は少なくとも、銀時が自分たちと接する時以外で感情的になったところを見たことがない。
だが、相手が千草になると途端にそれが崩れてしまうようで。千草に対する態度や、向ける眼差しは誰がどう見ても好意的なものだ。本人が自覚していないのがまた厄介な話である。
他人の些細な感情の揺れには敏感なくせして、自分の感情と向き合うことはとことん下手くそな男だ。
大方、気持ちの整理が出来ず、千草を傷つけるようなことでもしたのであろう。
これは幼馴染として長年銀時を見てきた高杉の勘ではあるが。

「てめぇは昔から弱虫だなぁ、銀時よぉ」
「ああ?喧嘩売ってんのかてめぇ。買うぞ。表出ろや」
「そういう意味じゃねぇよバカが。大事なもん失いたくなくて、遠ざけてるといつかその大事なもんが本当にいなくなっちまうぜ」
「そんくれぇわかってら」
「とにかくだ。白夜叉がそんな心気臭ぇ顔してると、他の奴らの士気にも影響が出てくる。はやいとこ、その情けねぇ面洗ってこい」
「いっでぇ!」

高杉は新しい包帯を巻いた銀時の背中を思いきり叩いた。

「お前、もうちっと優しくできねぇの。バファリンやろうか」
「てめぇに優しくするぐれぇなら、死んだほうがましだわ」
「え?それ酷くね?ひどーい、晋ちゃん身長だけじゃなく心まで小さいんだぁ〜」

せっかく人が心配してやっているのに、銀時の揶揄を含んだ軽口は止まらないらしい。
こいつは一度死んで、人生やり直すしかねぇな。
高杉は無言で銀時を蹴り飛ばした。





千草から想いを告げられてからというもの、銀時は千草を意識するあまり、よそよそしい態度を取ってしまい、逆にぎくしゃくとした雰囲気になっていた。
千草は千草で普段となんら変わりなく、いつも通り笑いかけてくるので、それがまた銀時の悩みの種となっていた。
想いを告げて、拒んだ相手にどうしてそう普通の態度でいられるのか、不思議であった。
千草に優しくされる程、銀時の中で罪悪感が募り、表情が上手く作れず硬い顔と冷たい態度で対応してしまう。
そのたびに、千草が傷ついた顔をするから、銀時は更に罪悪感に苛まれていた。
傷つけたいわけではないのに。想いを告げることが出来たら、と何度思ったか。
千草と今までどうやって接してきたのか分からず、銀時は余裕がなかった。

傷も大分治りかけて、銀時は漸く動き回る許可が出た。軍議に出ず、働かず、ずっと布団の中で過ごすのも悪くはなかったが流石に寝てばかりだと、身体の節々が痛む。
それになにより甘いものと酒が欲しい。傷に触るからと、桂から禁止されていてここ暫く口にしてにない。もういい加減、我慢の限界だった。
千草が作ったおはぎの残りがまだあるのならば、それを食いたい。あと酒も飲みたい。
今日は丁度、桂が留守の日だ。鬼の居ぬ間になんとやら。銀時はこっそり台所に足を進めた。

台所に向かうと、千草が踏み台の上に乗って戸棚を漁っていた。
声を掛けるか否か迷って、銀時は千草の背後に歩み寄った。驚かせるつもりなどなかったのだが、無意識に気配を消したのがいけなかった。

「なぁ、おい」
「わっ、」

銀時が声を掛けるのと、高い位置にある物を取ろうと千草がつま先立ちになった瞬間が重なり、驚いた千草が足を滑らせた。
咄嗟に千草を腕の中に抱きとめた。次いでに、千草の頭を抱き込んで、降り注ぐ物の雨から護ってやる。ごんっ、と鈍い音がして銀時の頭の上に硬いものが落ちた。

「いっ、でぇえっ!」

千草を腕の中に抱いたまま、銀時は悶絶する。松陽の拳骨を喰らい続けて頭の固さには自信があったが、流石に不意の落下物には石頭も敵わない。
千草を下ろし、脳天を勝ち割るような痛みに頭を抱えた。

「銀さん!?大丈夫!?」
「いや、大丈夫じゃねぇかも。頭ぱっくり割れてね?なんか飛び出してね?大丈夫?」
「頭は割れていないけど、すごい音したよ?見せて」
「さわんなっ」

千草の手が頭に触れようとした瞬間、銀時は反射的に千草の手を払い退けた。はっとして、千草を見ると彼女はまた傷ついた顔をして、行き場を無くした手を胸元で握り締めた。

「あ、ごめんね。急に」

しゅんと項垂れる千草に掛ける言葉も見つけ出せず、銀時は誤魔化すように頭を掻いた。

「でも、後でたんこぶとかになったら大変だからせめて冷やしておこう?」

銀時の返事を待たず、千草は立ち上がり、流し台の横の棚をごそごそ漁り始めた。暫くして小さな袋を手に持って戻ってくる。

「はい。氷で冷やしておいてね」
「こーり?氷?なんであんの?」

天人の文化により家電製品が江戸で浸透し始めているが、戦場に文明の利器である家電製品、まして冷蔵庫などあるはずもない。
銀時が目を瞬かせていると、三郎お手製の冷蔵庫だと千草は話した。
鬼兵隊に所属する三郎は父親が有名なからくり技師らしく、自身もその血を引いてからくりの技術に長けた男であった。食材の痛みを気にしていた千草を見兼ねて、簡易な冷蔵庫を作ってくれたのだという。

「まじでか。三郎やるなあいつ。これでかき氷食えるじゃねぇか。冷蔵庫もねぇし、氷売りも来ねぇとこだからかき氷なんざ町に出ねぇ限り食えねぇと思っていたのによ。いつでも食い放題じゃん」
「あはっ」

素直に思ったことを口にした途端、千草が吹き出した。千草の笑顔を久しぶりに見たような気がして、銀時はなんだか嬉しくなった。

「笑うんじゃねぇよ。大事なことだよ?夏場なんて、アイスも食えんじゃん。がりがり君冷やし放題じゃん」
「でも、もう食材いっぱいで殆ど置き場がないのよ。さっきみたらヤクルコがたっくさん冷やしてあったし」
「あのくそちび。俺の神聖なる冷蔵庫を陣取りやがって」

ぶつぶつ言いながら、銀時は立ち上がり、冷蔵庫を開ける。千草の言う通り、食材の隙間にヤクルコが詰め込まれていた。
牛乳飲めや。乳酸菌飲んで腸を労るより、牛乳飲んで背を伸ばしなさいよチビ。
ひとりごちた銀時はヤクルコを二つ取って戻ると、一本を千草に差し出した。

「ん」
「え、でも。これ、高杉さんのじゃ」
「いーの、いーの。あいつのものは俺のもの。俺のものは俺のものだから」

千草の隣に腰を降ろした銀時は、片手では氷嚢を押さえ、器用に口で蓋を開けて、ヤクルコをぐびぐび飲み干した。
久しぶりに摂取する甘い味に身体全身が満たされてゆき、幸せな気分に包まれる。
なにより、ぎくしゃくした雰囲気がヤクルコひとつで和らいだ気がして自然と頬が緩む。

「はぁ〜。乳酸菌さいこー!」

銀時の飲みっぷりを見て、千草はくすくすと笑った。

「良かった。銀さんとこうして話が出来て」
「あん?」
「銀さん、私と顔合わせる度に辛そうな顔していたから。私がよけいなことを言ったから……迷惑だったかな、って思っていたの」
「……いや、」

銀時は言葉に詰まった。
迷惑なんかじゃないと言いたいのに、上手い言葉を探せず、口ごもってしまう。
千草はヤクルコを一口飲んだ後、ふと思い出した様に言った。

「あのね、私がこの世界にきた意味をずっと考えていたの。私ってほら、何か秀でた才能があるわけでもないから。私って何で此処にいるんだろうって」
「……もし、元の世界に帰れるなら、帰りたいか?」
「そりゃ、帰りたいよ。だって向こうの世界には家族もいるし、友達もいるから。今、向こうではどうなってるのかなぁーって考えることもあるのよ。家族は心配してないかな、とか。みんなどうしてるのかなって。会いたいなぁって思うことあるよ」

自分で聞いておいて、千草の言葉に胸が痛む。
離したくない。帰らないで傍にいてくれ。
言いたいのに、言葉が出ない。

「おめぇがそれでいーなら、俺は引き止めねぇけどよ」
「……そ、そっか」

心にもないことはするりと出る唇が、憎い。

「で、でもね。銀さんには感謝してるんだよ。私を助けてくれて、ここに連れてきてくれて。も、もしもだよ。もし元の世界に帰れたとしても、この恩はずっと忘れないからね」

千草の声が微かに震えていた。きっと傷付いている。
掌の中でヤクルコの容器がぐしゃりと潰れた。
なにやってんだ、俺。
千草を傷付けてばかりで。情けなく、不甲斐なく。
俯いていた顔をあげ、そっと千草をみやる。
銀時はぎょっと目を見開いた。千草の姿が半透明になっている。
何かの見間違いだろうか。目を擦って、再び千草を見たがやはり半透明のままだ。心なしか、先ほどよりも透けてきている。

「なぁ、おい。お前それ……」
「え?」

千草は気づいていない。透明に見えるのは自分だけなのだろうか。
元の世界に帰りたい。そう千草が願ったから、千草はもうこの世界にいる理由がなくなり、消えかけているということか。
それが千草の願いなら、引き留める理由なんてない。平和な世界に戻って千草が幸せになるなら、それでいい。

「……いや、なんでもねぇ」
「そう?じゃあ、私もういくね。久坂さんのお手伝いがあるの」

半透明の千草は立ち上がり、背を向けて歩き出す。
このまま台所を出たら、もしかしたらもう二度と戻ってこない気がした。
千草の匂いも、体温も、笑顔も、怒った顔も、泣いた顔も。一生失ってしまう。
そんなの、嫌だ。
衝動的に千草の手を掴んで引き寄せ、半透明な彼女を背後から抱き締めた。
この世界に、自分の傍に繋ぎ止めるため強く、壊れ物を扱うように、優しく。





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