其の十四



高杉さんは鬼兵隊という義勇軍の総督を勤めていて、資金集めや人材集めに方々出回っており、陣営にいることが滅多にない。
だから、あまり顔を合わせることもなく、ろくに会話さえしたことがなかった。
まさか、こんな早朝に廊下で出くわすなんて予想外だ。
高杉さんの部屋は私達の部屋から少し離れた場所にある。何でも、ひとりでゆっくりと戦法を練りたいから離れを選んだのだとか。

「うぁ、すいません……っ、」
「余所見して歩いてんじゃねぇよ」

鼻を押さえながら、慌てて頭を下げた。
頭上から降ってくる舌打ち。
なんか、睨まれているような気もする。怖い。
気まずさから逃れたくて、「すいません」ともう一度謝って離れようとした時。

「まて」

手首を掴まれ、引き留められた。

「……誰かに、何かされたのか?」

真剣な顔で見つめてくる。

「……え?」
「……何かあったかって聞いてんだよ。その耳は飾りか」

また舌打ちをされた。

「い、いえ。なにも……た、ただ目にゴミが入っただけですから」
「……そうかい」

高杉さんはふん、と鼻を鳴らした。何処か小馬鹿にしているような笑いだ。
流石の私もこれにはむっとして。
何なんですか、と睨むように顔を上げたら、高杉さんの顔が至近距離にあって息を呑んだ。

翡翠色の瞳が私を見詰めている。綺麗な形をした唇を緩め、ふっと息を吐きながら笑う高杉さんから目が離せなかった。

「ようやく泣き止んだな」

親指で目許を優しく拭われ、意外と大きな手が頬を霞める。
高杉さん、と声を出そうにも目の前の美しい顔にみいられてしまい声が出ない。
石のように動かない私を面白がるように、高杉さんはぐっと距離を詰めてきた。
煙草と、どこか蠱惑的な香りが鼻先を掠めていく。

「……お前さんに何かあったら、銀時が黙っちゃいねぇからよ。ま、何かあったなら直ぐに言うこったな」
「あ、……うわっ、」

強い力で引っ張られ、バランスを崩して後方にたたらを踏む私を支える硬い身体。

「あれ、晋ちゃん。いつ帰ったの?てか、朝帰りたぁいいご身分だな、総督様よぉ」

不機嫌そうな声と、白い影が私と高杉さんの間に割り込んできた。







自分の金では到底いけない郭にいく夢をみた。
豪華絢爛な内装。高い酒に高い飯。
それから、太夫。
太夫なんざいくら金を詰んでも抱ける代物じゃねぇ。

お侍様、あちきを抱いておくんなまし。

なんて可愛らしい声で言われたら男冥利に尽きるってもので。
女を抱きしめて、先ずは首筋にひとつ。
俯いている太夫の顎を持ち上げる。

何処かでみた顔だった。
そう言えば、声も何処と無く似ている。

銀さん……いいよ、わたしを好きにしても。

千草によく似た太夫が、俺の手を掴んで胸へと誘う。

ーあれ、いいの?おっぱい触っちゃっていいの?あとで殴んない?
ーふふ。銀さんになら、わたし……

女は頬を蒸気させ、艶っぽく笑った。
やめてくれ。その顔で、その声で俺を惑わさないでくれ。
でも、身体は正直だ。掌に伝わる柔らかな感触に負けてしまった。
ぐっと力を入れると、女の唇から微かな喘ぎ声が漏れた。

巨乳に見えたおっぱいは、案外小さかった。

あり、たゆー、おっぱいちっさくなった?

だって、最初みたとき谷間が凄かったから。
掌にすっぽりおさまるサイズの胸。嫌いではい。むしろ、何処かで触ったことのある感触だ。
女の口から漏れる吐息が妙に生々しい。というか、おっぱいの感触もリアルだ。
あり、これ、夢?夢だよね?
夢だけど、一発や二発やっちゃっていいよね?

じゃあ、いただきまーす!


「ふぐぅっ!!!」

強烈な激痛に襲われ、桃源郷のような夢から覚める。

腹を抱えながらのたうち回れば、塵を見るような目付きをした千草がいて。お越しにきたのだと、ツンツンとしながら言った。
千草は俺と目も合わせずに、ツンツンとした態度のまま、部屋を出ていった。
何なんだよ、ずっとツンツンしてよ。ツンデレってキャラじゃねーだろ。
反抗期かよ。
訳が分からなかったが、朝から軍義があったことを思い出して、重い腰を上げる。
正直、朝から頭を使うのは苦手だ。
小難しい言葉が飛び交うなかに小一時間もいるのはうんざりする。サボりたい。
だが、サボったらサボったで、桂の説教が待っているだけなので、どちらにせよ出なければならない。

「はー、めんどくせっ」

藍色の着流しに着替え、刀を指す。
のろのろとした足取りで、広間を目指した。
その道中、千草の後ろ姿が見えた。その先、高杉もいた。
珍しい組み合わせだ。しかも、妙な雰囲気が二人を包んでいて、声をかけるにかけれず、気配を隠して柱の影から様子を窺う。
二人が何を話しているかは分からない。
千草が、泣いていて。それに、ぎくりとして一瞬、気が緩んだ。
高杉と視線がかち合う。
口角を持ち上げた、揶揄を含んだ笑みを向けられた。
昔から、ひとをからかかうときは何時だってあの腹の立つ笑い方をするのだ。
かっと熱いものが込み上げる。同時に腹の底で渦巻くどす黒い感情。
泣いている千草の傍にいるのが、俺ではなく高杉という事実に苛ついた。

つうか、なんで泣いてんだよ。

高杉に頬を撫でられて、顔を赤くする千草に、腹が立った。

そんな顔、俺に見せたことなんてねぇくせに。

「あれ、晋ちゃん。いつ帰ったの?てか、朝帰りたぁいいご身分だな、総督様よぉ」

高杉と千草の間に無理矢理割って入って、千草を背後に隠す。
平素を装うのは得意だ。

「今までパトロンとの会合に行ってたんだよ、忘れたか。てめぇ、寝過ぎて脳ミソまで腐っちまったか」
「朝っぱらから女たぶらかしてるようなやつには言われたかねぇわ」

俺より少し低い位置にある高杉の頭。さらさらで真っ直ぐな髪。それを生やしている奴は根性ひんまがった真っ黒な人間だから、よけいに腹立たしい。
羨ましいとか思っちゃいねぇけど。

「……こちとら朝っぱらからてめぇのアホ面を拝みたかねぇよ。この後、軍義があんだ。遅れんなよ、くそパー」
「天をつけろ!天を!ちび!」

すかした顔をして、俺の嫌味を受け流した高杉はひらひらと手を振って、去っていった。
相変わらず、ムカつく野郎だ。


高杉の背中が見えなくなったのを確認して、俺は背後に隠していた千草に向き直った。

「高杉と、なにしてたんだよ。つうか、なんかされたのか?」
「……なにもされてないよ」

ふいと目を反らされた。
嘘つけ。高杉に顔近付けられて赤くなっていたくせに。

「……じゃあ、なんで泣いてたんだよ」
「……もとあといえば、銀さんのせいじゃない」

千草がぼそりと言った。

「は?俺?なんで?」
「……わかんないなら、いい……」
「意味わかんね。なに怒ってるんだよ。つうか、お前朝っぱらからカリカリしてよ。生理か?」
「……さいってー!銀さんって、本当デリカシーない。馬鹿。いっつも、白粉の匂いつけて、帰ってきて。いーご身分なのは銀さんだよ。高杉さんのこと言えない」
「はぁ?今、んなこと関係ねーだろ。つうか、それはなぁ…」

言って、慌てて口をつぐんだ。
遊女を抱いているときに千草を思い浮かべながら抱いているなんて。言えるはずもない。

「……俺が何処で何をしようが、んなこと、てめーには関係ねぇだろうが」
「……それは……っ、」

そうだけれど、と口をまごつかせながら言って千草は俺から視線を反らした。
全部、千草のせいだ。この苛々も、この腹の底から沸き上がる感情も。

「つうか、俺の性生活に口挟まないでくんね?ヤりたい盛りなんだから、仕方ねぇだろ」

何時だって俺の頭の中にいて、俺を惑わせる千草が憎い。
でも、もっと憎いのは皮肉しか出てこない俺の口だ。
俺の言葉に、くしゃりと顔を歪めた千草。傷付いた顔だ。
こんな顔、させたいわけじゃねぇのに。
くそったれな俺のせいで、今にも泣き出してしまいそうな千草に、追い討ちをけけるような言葉を投げた。

「それともなに、郭の女に嫉妬してんの?」
「……っ!」

振りかざされた千草の手を掴んで、そのまま壁に縫い付けた。両手首を頭上で一掴みすれば、もう逃げられはしない。

「痛っ、はなしっ、」

千草は身を捩らせ抵抗するが、女の細腕で男に敵うわけない。
護身術を教えてやったってぇのに、全く身に付いてない。こんなんじゃあ、一発で犯されちまう。
潤んだ黒い瞳が俺を睨む。背筋がぞくりと粟立った。いつもヘラヘラ笑っている女が見せる拒絶の顔。胸が痛んだが、それ以上に支配欲が沸き上がった。
誰か他の野郎に犯される前に、俺が犯してやろうか。
千草の胸に指先をそえて、滑るようになぞってやると、硬く結ばれていた唇な緩み、艶目いた吐息が漏れる。
なんだ、しっかり感じてんじゃねぇか。
妄想のなかで抱き続けてきた千草が、今俺の指に感じてくれている現実に、嬉しくなった。
もっと、声が聞きたい。啼かせてやりたい。
下半身がじわじわと熱くなって、止めることが出来なかった。
頬を撫で、親指で唇を抉じ開け、口の中に侵入させる。指先に熱い舌を感じて、また下半身が熱を帯びた。

「……だったら、ヤらせてくんね?郭にいく金ねーから、こっちのほうが手っ取り早ぇ」

その瞬間、親指に焼けつくような痛みが走った。千草が俺の親指を噛んだのだ。

「いてっ、」

反射的に、親指を抜いた。間髪いれずに、今度はビンタが飛んできた。
存外、強い力で引っ張叩かれたせいで、油断していた俺は受け身を取れず、そのまま尻餅をついてしまった。

「さいてーっ!」

そんな言葉を言い残し、走り去る千草は泣いていて。とんでもないことをしでかしたと今さら気付く。
直ぐに千草を追いかけて、土下座でもなんでもして謝るべきだろうが、身体が動かない。

拒絶されるのが怖かった。

何が、遊女に嫉妬だよ。
嫉妬をしているのは俺の方だ。
高杉に嫉妬して、護ると誓った女を、千草を傷付けてしまった。
ここにきて、ようやく自分が千草に対して恋慕を抱いていることに気付く。
好きな女を泣かせて、何が武神だ。
好きな女に拒絶されるのが怖くて、謝ることさえ出来ない俺は臆病者の大バカ野郎だ。





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