其の十三





その日の朝、私は食事当番のひとたちと一緒に朝食を作っていた。
何合になるかも解らぬ米を研いで、釜戸で炊く。
無文明の力である炊飯器は勿論ない。
飯炊き用の大きな土鍋に米と水を入れて釜戸の上にのせ、火をくべる。

これだけでも一仕事だ。

「……ふぅ。これでよし」

額から流れる汗を拭き取った。あとはお米が炊けるのを待つだけだ。

始めはお米を焦がしてばかりだったけれど、もう慣れっこだ。
始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、赤子泣いてもふた取るな。
三太君が教えてくれた言葉。
始めちょろちょろとした弱火で炊いて、強火で一気に炊く。沸騰したら火を弱めて、直ぐ蓋を取るのではなく少し蒸す。
これを護れば美味しい白ご飯の出来上がり。

釜戸で炊くお米は絶品。
炊飯器で炊くよご飯よりも、私は釜戸ご飯が好きだったりする。
洗い物のとき、釜戸にこびりついたお焦げをこっそり食べるの。それがまた美味しくって。


「千草ちゃん、もういいよ。あがって」

釜戸の前に座って、ぼんやりと考えごとをしていたら、本日の食事当番である永吉さんがぬか床をかき混ぜながら言った。
永吉さんのお家は漬け物屋さんらしく、こうしてぬか床番をして、美味しい漬け物をみんなに振る舞っているのだ。

「あ、でも。ご飯炊けるまでは」
「あとは俺らがやっとくからさ。千草ちゃんは銀時さんを起こしてきなよ」
「……私が、ですか?」
「今日は早朝から軍義があるみてぇだし。あのひと、昨日遅くまで坂本さんと酒を飲んでいたみてぇだから、きっと二日酔いで起きれないよ。野郎に起こされるよか、千草ちゃんみたいな女の子に起こされた方が銀時さんの目覚めもいいだろうよ」

ささ、行った!行った!
と、背中を押されてしまった。


うう……どうしよう。
正直、銀さんに会うのがとても気まずいのだ。

銀さんへ恋心を自覚してからというもの、彼への態度が妙に余所々しいものになってしまった。
なんせ、私は今までこの方、彼氏がいたためしがない。恋愛初心者なのだから。

人を好きになったことはある。

初恋は幼稚園の頃。
当時大切にしていたうさぎのぬいぐるみの千切れた耳を耳直してくれた、男の子だった。
泣いている私の前に突然現れて、ぶっきらぼうな物言いながらも器用な手付きで直してくれたのだ。
でも、その男の子がどんな容姿だったのか、男の子と何処で出会ったのかは忘れてしまったけれど。

小中も好きなひとはいたけれど、その好きな相手に恋人が出来たと聞いても、ショックは殆ど無かった。
所詮は思春期にありがちな"憧れ"として見ていたのだろう。

だから、銀さんへの恋心をどうしたらいいのか分からないのだ。
普通に接したくても、なんだか緊張してしまって顔がみれなくなるのだ。


銀さんの部屋の前で右往左往して、それから「銀さん、朝ですよ 」と声をかける。返事はない。
それならと、意を決っして襖を少しだけ開ける。
隙間から部屋の中を覗き込んでみる。
部屋の真ん中で、お腹を出して眠っている銀さんがいた。

「銀さん、」

控えめな声で呼ぶ。

「んが」

だけど、返ってくるのは微かな鼾だけだ。

起きないなぁ。相当、爆睡してるのかしら。

銀さんの傍まで足を進めて、膝を折って彼の顔を覗き込んだ。
大口を開けて、涎を垂らす姿は年相応というよりも、幼く見える。
収まりのつかない髪は、湿気を孕んだ空気で膨らんでいた。
朝日にゆらめく銀色が眩しい。
急にどうしようもなく銀さんの髪に触れてみなくなって、おずおずと手を伸ばした。
刀を握っているひとは気配に敏感そうだから、起きてしまわないかしらとどぎどきしたけれど銀さんは起きる気配もみせなかった。
指先に触れた銀髪は思いの外、柔らかい。

わ、綿毛みたい!!

本人に言ったらきっと怒られるだろうけど。
猫っ毛というのかな。銀さんの髪はとても触り心地が良くて。
たまらなくなって、私は頭を撫でるという大胆な行動を取ってしまった。
ふわふわ、ふかふかとした感触はまるで綿菓子のようで。
なにこれ、気持ちいい。自然と口許が緩む。

むにゃ、と銀さんの口許が動いて、それから「まんじゅう」と呟いた。
なんだか幸せそうな顔をしている。
夢のなかでお饅頭でも食べているのかな。

可愛いなぁ。

胸がきゅっとなった。

寝乱れ、はだけた合わせから覗く厚い胸板。
その下にある腹筋は見事に割れていて。
男らしさを感じて、なんだか身体が熱くなってしまった。
銀さんに愛されるって、どんな感じなんだろうな。
この逞しい身体に抱きしめられて、心地よい声で愛を囁かれたら、世の女の子はたまらない気持ちになるんだろうな。

私も、私だって、銀さんに……。

って、何を考えているんだ私は!

頭を振って雑念を振り払う。

「銀さん、銀さん。起きて、銀さん」

「ん、」

眉間に皺を寄せた。
可愛い。

「んぁ……なぁに」

間延びした掠れた声がした。

「え、……うわっ」

手首を掴まれて、引き寄せられた。
バランスを崩し、そのまま銀さんの身体の上に倒れてしまう。
あ、と思うより早くに背後から抱き締められた。
それも、結構な力で。
抱き枕かなにかと勘違いしてるのだろうか。
苦しい。でも、何よりも背中ごしに伝わる体温が熱い。

「ぎんさ、はなしてっ」

恥ずかしくて、抜け出そうともがいてみるけれど、びくともしない。

「ん…。まだ、もうちょっと時間あんだろ……」
「……?…ひぇっ」

項に何か柔らかく熱いものが触れた。
ちゅ、なんて可愛らしい音。
キスをされたのだ。
事態が呑み込めずに、目を白黒させていると、今度は熱い吐息が耳にかかった。くすぐったさに身を捩る。
耳朶を食まれて、耳の裏を舐められた。

「あっ、……んんっ」

背中にぞくぞくとした感覚が這い上がって、思わず変な声を出してしまった。
銀さんは耳を舐める行為を止めてはくれなかった。
恥ずかしくなって、唇を噛んで必死に声を抑える。
うう、これは本当にヤバい。なんだか、とてもむず痒い気持ちになる。
はやく、はやく、起こさないと。でも、悪くないと気持ちいと、もっと欲しいと思う自分がいて止められなかった。
頭の中では
(はやく、起こしてあげないと!取り返しのつかないことになるわよ!)
(本当はもっとキモチイイことしたいんでしょ?取り返しのつかないことになったら、銀さんが責任取ってくれるんじゃないの)
と、善と悪の私がいい争いを繰り広げていた。

そうこうしている内に銀さんの大きな手が、着物の合わせ目に入ってきて、襦袢の上から胸をふにゅふにゅと揉んだのだ。

「ふぅ、」
「あれ、たゆー、おっぱいちっさくなった?」

かっと、胸が焼けるように熱くなった。
きっと私のことを遊女かなにかと間違えたのだろう。
ふつふつとした怒りが沸き起こって、腸が煮えくり返りそうだ。

「ばか!」
「ふっぐぉっ!?」

銀さんの鳩尾にエルボーを喰らわしてやった。腕の力が緩んだ隙に布団から這い上がって、悲鳴にならない声をあげて、のたうち回る銀さんを睨み付けた。

「う……ぐぅぅ……な、ん……これ、なんか……でるぅ……内臓的な何かか……」

そりゃ、そうでしょうよ。
だって、思い切り肘が入っちゃったんだもの。
でも、銀さん痛そうだな。……ちょっとやり過ぎちゃったかしら。

「……んぐ……あり?……千草……?……な、んで、お前が……?」
「……」

呆れた!
自分がしたことも覚えていないなんて!
ひとりでドキドキしていたのが馬鹿みたい。
悔しくって、情けなくて。
怒る気にもなれなかった。

「……銀さんを起こしに来たの。朝から軍義があるんでしょう?遅れたら、また桂さんに怒られるよ?」

私は必死で笑顔を作った。
銀さんは大きな欠伸をしてお腹を掻きながら、眠たげな目をこちらに寄越した。

「起こすっつーより、永眠しそうな勢いだったんだけど。もっと優しく起こせねぇのかよ……つうか、千草なんか顔赤くね?熱あんのか?」

熱なんてないわよ、馬鹿。

「なんでも、ないよ。私、朝ごはんの支度途中だったから……もう、いくね」
「おー……」




銀さんの部屋を出ると、私の緩みかかった涙腺はだめになって、涙を止めることが出来なかった。

銀さんにとって、私は仲間のひとりなのかな。私が綺麗で可愛くて、胸も大きい女の子だったら。もっと違っていたのかな。

廊下の角を曲がった時、俯いていた私は誰かにぶつかってしまった。

「あ、すいませっ」
「……どこみて歩いてやがんだ」

そのぶつかった相手は綺麗な顔を不機嫌そうに歪めた高杉さんだった。





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