其の十二



馴染みの岡場所でいつものように女を買って、白粉の匂いと女の温もりに包まれた後、銀時は脱ぎ捨てた着物を着て身なりを整えていた。
夜の郭は揚げ代が高く、あまり行けやしないが、昼に営業をする昼見世だとそこそこ安い揚げ代で済むので、戦が無い日になると男たちは女を買いに色街へ繰り出していた。
銀時もその一人である。
銀時が買った女は色の白い、豊満な乳房を持つ美しい遊女だった。

「兄さん。兄さんは好いたひとでもいるでありんすかぇ?」

事後特有の蜜の香りが充満する部屋の中、赤い蒲団に寝転び長煙管を刻みながら女は言った。

「はぁ?」

銀時は着物の帯を結ぶ手を止め、訝しむように女を見る。
自覚がないようじゃの、女はきゃらきゃらと笑った。

「兄さん、あちきを抱きながらあちきじゃありんせん名前を口にしてたでありんすよ」
「……ふーん、」
「あちきは別に気にしてはいんせん。遊女なぞ、そのようなもんでありんすからね。遊女は男に一夜の夢を売るんが仕事じゃ。好いたオナゴを思って抱こうが別に構いんせんよ」

かんっ、煙管盆に羅宇を打ち付ける音が甲高く響いた。

「それにしても、兄さん。よっぽど、そのお方んことを好いているんでありんすねぇ。あんな熱の籠もった声で呼ばれて。ふふ、あちきちょっぴり嫉妬してしまいましたわ」
「……嫌な思いさせちまったな。……だが生憎と、俺ぁ恋だのなんだのに現を抜かしてる暇はねぇの」

手早く帯を絞め、刀を腰に直す。

「姐さん、いー夢みさせて貰ったぜ。すげぇ、良かった」


目許を和らげ、女に向かってひらりと手を振った。
化粧の落ちた女の頬が僅かに赤らんだ。



湿気を孕んだ風をまといながら、花街を歩く。そろそろ夜の見世が開く頃合いだろう。軒先には灯りのついた桃燈が下がり、ぽつりぽつりと光の道筋を作っていた。
辺りは花の匂いが香る。
張り店の格子の間から兄さん、兄さぁんと手を伸ばす遊女らの甘い誘いに気付かず、銀時は茜色に染まり始める空をぼんやり眺めていた。

先ほどの遊女の言葉を思い出す。
誰の名前を呼んだか、なんて聞くまでもない。
あの遊女を抱いている時もずっと頭の片隅には千草がいた。
千草の姿を思いながら別の女を抱くことにひどく興奮した。
この身体の奥から沸き上がる感情が、好きということなのか。
銀時には分からなかった。
可愛いとは思うことはあったが、それが恋なのか知らない。
千草はよく笑うし、くるくる表情の変わる女だ。だから、小動物を見ているような愛情が湧いたのかもしれない。

ーーあいつ、仔犬みてぇだもん。

銀時は鈍感な奴だった。他人の事になると、恐ろしいほどに感がいいくせに、自分のこと、まして色事になるとからっきし鈍くなる。だから、千草への気持ちも仲間に対する好きとか妹のようにも思える好きとかそんな風に捉えていた。

花街の大門を抜けると、遊女への贈り物を調達するのに男たちが利用している小間物屋がある。軒先に机を出して簪や櫛、化粧道具を並べ、店主のような男が煙管をすぱすぱと吸いながら、ぼんやりと茜空を眺めていた。
銀時の姿を視界の端にとらえるなり、にやにやとした笑みを浮かべて「兄ちゃん」と話しかけてきた。

「お楽しみは済んだかい?」
「……あー、そうね。おっさんは何を売ってんの?」
「棚落ち商品だ。今じゃあ天人が持ってきたこすめっつうのが遊女や町娘たちの間でも流行っているみてぇでよぅ。昔ながらのやつぁ古くせぇって売れねぇんだよ。安売りだよ。せーる、つったか。どうでぃ。嫁さんの機嫌とりにでもひとつ買ってかねぇか」
「生憎とこちとらどんぱちやってんだ。嫁なんて貰えるような身分じゃねぇよ」
「兄ちゃん、攘夷志士かい。最近じゃあ、なんちゃら四天王ってぇのが巷を騒がしているみてぇで景気がいいって話じゃねぇか」

その四天王のひとりが銀時であるが、銀時はまぁねと軽く返して、机の上を一巡する。
それを見つけたのはたまたまで。五百円玉程度の大きさの朱塗りの容器に、鈴蘭の花が彫られていた。
手にとってみると、花街から溢れる淡い明かりに照らされた鈴蘭が七色に輝いていた。

「そいつぁ、紅だ。それ、その鈴蘭の部分は貝殻で色づけされてんだ。職人の織り成す技でしか作れねぇ、一点ものの代物よ。んだが、最近の若い娘の間じゃあ、安い紅が手軽でいいってんで、この手の代物が売れなくて困ってんだ」
「ふーん。おっさんたちも色々大変なのね」

そういや、あいつ飾りっけもないから。一つ買って帰ろうか。
銀時は懐を弄って財布を出して中身を確認する。
揚げ代を払って殆どすかんぴんだ。紅を買ってしまったら、帰りの道中に食べようと思っていた団子も買えなくなる。
どうしようか、一瞬迷った。
紅を受け取った時の千草の嬉しそうな顔が浮かぶ。
きっと、花のように笑うのだろう。
自然と口元が綻ぶが、銀時は気づかない。

「おっさん、これくれ」
「まいど!」

親父に「紅を贈るなんざ、遊女さまに相当入れ込んどるね、お侍さん」と勘違いされたが、特に否定はしなかった。


陣営に帰ると、千草を探した。
道中出会った三太に千草の所在を確認すると「千草さんなら、お部屋の前の縁側にいてはりましたよ」と教えてくれた。

縁側でのほほんとお茶を啜っている千草を見つけ、胸がむず痒くなった。

「……なぁにやってんだ。こんなところで」

偶然を装った体で隣に腰掛ける。

「銀さん」

千草がはっとした表情を見せた。
なんだか怒っているような悲しんでいるような、そんな顔だった。

「……おかえりなさい、遅かったね。刀を打ち直しに町へ降り立って。坂本さんから聞いたよ」

銀時はぱちりと目を瞬かせた。デリカシーをへその緒と一緒に切り落としてきたような男も、女を買いにいっているとは流石に言えず、咄嗟に出任せを口にしたのだろう。

「あー……ちょっと寄り道しててな」

銀時は話をはぐらかすように頭を掻いた。

「それで、おめぇ今日は何してたの?」
「今日はね、医療品の整理をしていたり、久坂さんに薬草のことを教えて貰っていたりしていたの。一日中、お勉強です」
「……勉強って、俺の一番嫌いな単語なんだよね」
「ふふ。銀さんらしいね」

うへぇと下唇を突き出し露骨に厭そうな顔を作ったら、千草がころころと笑った。

「……らしいってなんだよ、このやろー。いっとくけどなぁ、俺ぁ保健体育のテストは満点だったんだぜ。しょ……先生に、銀時、あなたは年中思春期ですねって嫌味言われてよ」
「あははっ!なにそれっ」
「いやーね、俺だってやれば出来るこだったんだけどよぉ。やる気になれる日が来なかっただけなんだよ」


他愛もない話をしながら、銀時はタイミングを窺っていた。
いざ渡そうとなると、なんだか緊張してしまって、上手い言葉が見つからない。
やる、偶々みつけたから。お前に似合うと思って。少しは化粧しろよ、地味子。
いろんな言葉を口の中で転がしては呑み込む。

「……千草」
「なぁに?」

小首を傾げ髪を耳にかけながら、千草が不思議そうな目を向けてきた。
きゅ、と胸が締まった。思わず目を逸らす。
顔を直視出来ないまま、銀時は続けた。

「手ぇ出して」
「え?」
「い、いーから」

差し出された手に、手の内にあって少しだけ湿った小さな贈り物を転がす。

「これ、やる。」
「わぁー、綺麗な入れ物!…でも、これなに?」
「……紅」
「べに?……口紅?」
「たまたま、たまたまだから。ゆ…...街でなんかあれだ。くじ回したらそれが当たって。俺が持っててもしゃーないから。お前にやるよ」

千草のために買ったとは言えず。銀時は咄嗟に嘘をついてしまった。
くじってなんだよ。くじの景品貰って喜ぶ女なんていねぇよ。
だけど反応が気になって、ちらと視線を向ける。

「……あ……。う……嬉しい!ありがとう!」

千草の顔がぱっと華やいだ。
途端、全身の血液が心臓へ流れだし、ばくばくと大きな音を立てる。
ああ、これだ。この笑顔が見たかったのだ。
銀時は目許を和らげた。自然と口が緩む。

「……つ、つけて……みたら?」
「……!う、うんっ」

千草は蓋を取って、小指に紅を少し取る。その動作が妙に艶っぽい。

「私、お化粧があまり得意じゃなかったから……ど、どうかな?似合うかな」

唇をゆるく持ち上げて、眉を下げてはにかむように笑う千草の姿をみた途端、かっと熱くなった。
胸の奥で何かがことりと落ちたが、それが何であるのか銀時には分からなかった。

ーー触りてぇ。

気づけば、指先で千草の唇に触れていた。
なにこれ、めっちゃ柔けぇ。
胸がまた熱くなって。
唇に触れていた指先で頬を撫で、耳裏をなぞる。
そのままか下方へ滑らせると、首筋にそっと手を添えた。
細い首筋だった。このまま、手に力を入れてしまえば折れそうなほどに細い。
紛れもない女の華奢な身体。

「ぎ、ぎんさん?」

戸惑いに満ちた瞳で見上げる千草に、ゾクリとする。
この唇に口づけて、紅を落としてやりたい。
後頭部に手を回し、顔を寄せた。
千草のまんまるい瞳の中に、情けない顔をした自分がいて。
そこで引き戻された。

なにしてんだ、おれ。
何してんの、俺!!??

熱風が胸を吹き抜け、かぁっと全身が熱くなる。

「や、悪ぃ」

慌てて千草から顔を離した。

「そ、そういやぁ、ヅラに呼ばれてたわ。あ、あいつ少しでも待たすと小姑のように小言を言ってくっからよ……」

また口から出任せを言って、なるべく平素を装いながら、立ち上がり背を向ける。
顔が見れなかった。
悠然たる足取りでその場を離れ、廊下の曲がり角を曲がった瞬間、力が抜けたように頭を抱えて座り込んだ。

やべ……っ。
今のはやべぇわ。
俺……ほんと、どーしちまったんだよ!

早鐘を打つ心臓が煩く、しばらく動けなかった。






残された千草は数秒前に起こった出来事が呑み込めず、口をぽかりと開けて固まっていた。
去って行く銀時の、少し丸まった背中。
銀髪から覗く耳が赤くなっていた。
更には節くれだった指が唇を撫ぜ、形の良い唇が近づいてきたことも思い出して、火を吹きそうなほど顔が真っ赤になっていた。

「あ、ああーっ」

赤くなった顔を隠すように、背中を丸めて猫背になって頭を抱える。

あ、あれ?あれ?い、いま……ぎんさん、私にき、キキキスをしようとしなかった??
違う。そんなわけがない!
だって、白粉の匂いがしていたから、銀さんはさっきまで綺麗な女の人を抱いていたわけで。
私みたいな地味な女にキスなんて……!

そこでまたモヤモヤとした感情に襲われ、千草は胸を抑えた。
どきどきと高鳴ったり、ぎゅうぎゅうと締め付けられたりと大忙しの心臓が苦しい。

この気持ちは何だろうか。

銀時からの贈り物は、例えくじの景品だろうが嬉しかった。
あの赤い瞳に見つめられるだけで、大きな手に触れられるだけで、微笑みを向けられるだけで、心が弾むのだ。
本当は遊郭になんて行っては欲しくなかった。
白粉の匂いを漂わせながら、明け方に帰ってくる銀時の姿をみる度に、胸が痛む。

行かないで、そう言えたらどんなに楽か。
言えるわけない。
恋人のような関係ではないし、命を助け、助けられた、ただの仲間。
でも、それ以上の関係を、銀時が遊女に向けているであろう熱い視線を向けて欲しいと、甘い言葉を囁いて欲しいと望んでいる自分がいて、千草はきゅっと唇を噛んだ。

これは恋なのだ。

気付いた時には、知らずと涙がこみ上げ、紅を握る手に幾つもの涙が打った。







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