其の十



「千草ちゃん、これ銀時に渡しといてくんね?」

お昼御飯の片付けをしている時、萩原さんから差し出されたのは茶色の風呂敷に包まれた真四角の小包だった。

「良いですけど、萩原さんが直接渡したほうがいいんじゃない」
「だって、俺よりも千草ちゃんのほうが銀時と合う確率が多いでしょ。俺ぁ物質調達組だから此処にいねぇほうが多いし。そいつぁ腐るもんでもねぇし、何時でもいーからさ。なんなら、銀時の部屋に置いといてもいいから」
「……はぁ」

ニヤニヤと含み笑いを浮かべる萩原さんを怪しいと思いながらも、私は小包を受け取った。その瞬間、更に萩原さんの含み笑いが増した。

「それ、あんま中身見ねぇほうがいいよ。きっと千草ちゃんには刺激が強ぇだろうから」
「え?それ、どういう……あ、ちょっと萩原さん!」

私の返事も聞かず、萩原さんは桂さんに呼ばれたかだとかで、すたこらさっさという効果音が似合うような足取りで去っていった。

ーどうしよう。
引き受けたはいいものの、銀さんとまともに顔を合わすのは気まずいことこの上ない。
あの夜の出来事は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

反転した世界。
行灯に照らされた銀さんの髪が仄かに輝いて。
何時もより近ずく顔。
驚きに見開かれた紅い瞳は吸い込まれそうなほど綺麗で。
唾を呑んだ音。上下に動く男らしい喉仏。
着崩れた合わせから覗く硬い胸板。
何もかもが近くって。何もかもが私と違う、男のひとだって直に感じてしまった。

事故だったとはいえ、銀さんに押し倒され、しかも胸を揉まれてしまったのだ。
決して大きいとはいえない胸だし、しかも男のひとに初めて揉まれたわけで……。
女の子同士がふざけあって胸を揉むことはよくあることだけれど……。
女の子の柔らかな掌とは違う、大きくて硬い、いかにも男らしい掌が私のこの貧相な胸に触れたのだ。
銀さんは謝って直ぐに退いてくれたけれど、私の心臓は尋常じゃないほど脈を打っていたし、羞恥に塗れた顔はきっと真っ赤に染まっていたはずだ。
これ幸いとばかりに戦が続き、目まぐるしい日々を送るなかで忘れかけていたけれど……。

今朝、井戸で銀さんの姿を見た途端、甦る恥ずかしい記憶。
なんとか平素を装って、銀さんと顔を合わせることが出来た。銀さんは銀さんであの夜のことを何とも思っていないのか、普段通りに接してくる。
それはそれで女としての魅力が足りないのかと勘繰ってしまい、少し悲しい。

「千草殿、千草殿」
「うぇ!?」
 
桂さんの端正な顔が目の前にあって、思わず間の抜けた声を上げてしまった。

「どうした。ぼんやりと立ちすくんで。具合でも悪いのか?」
 
美しい眉を潜めながら伸びてきた桂さんの手が私の額に触れる。

「ふむ。熱はないみたいだな」

細くてしなやかでいて、それでも刀を握っているだけあって少しごつごつとした桂さんの手。
一見すると美しい女性にも見える桂さんだけれど、やはり男の人だ。でも銀さんと比べると華奢なほうだ。

「あ、あはは。すいません。ちよっと考えごとをしていただけです」
「ふむ。それならいいが。あまり無理はせぬことだぞ。しっかりと休養を取ることも武士の務めだ!」
「いや、私は武士ではないのですが……」
「ということで、今夜は俺が夕げを作ろう!調度、蕎麦を作りたいと思っていたところでな!」
「ありがたいことですが、なんで蕎麦!?」
「千草殿は痩せすぎだ。女子は少しふっくらしているほうがいい。たーんと食べて栄養を取りなさいよもうっ」

だめだ、ツッコミが追い付かない。
そう言えば、銀さんも高杉さんも桂さんや坂本さんには軽快なツッコミを入れている。このひとを単独で相手するにはツッコミスキルが必要なのか。
いつの間にか熟女について熱く語りだした桂さんにうんざりしながら、私は彼の台詞を右から左へ聞き流した。長い!誰か助けて!




夕飯の時間帯になっても辺りが静寂に包まれ梟が鳴き始めても、銀さんと坂本さんは街帰ってこなかった。
お風呂を済ませて、さぁ寝ようとなった時間になっても隣の銀さんの部屋から一向に人の気配がすることはない。
 
ーー何処まで行っているんだろう。坂本さんとお酒でも飲んでいるのかなぁ。
 

部屋にでも置いておこうかしら。
そう言えば、部屋のなかを見るのは始めてた。
意外と綺麗に片付けられているというか、何もない。部屋の真ん中に万年床が引いてあって、片隅に桑折があるぐらいだ。
拠点となる陣営はその時々によって場所を変えていると聞く。荷物が少ないのはそのせいもあるのだろう。

枕元にでも置いておいたら流石の銀さんも気づくはず。
私はそっと室内に足を踏み入れた。部屋の主は留守なのに、妙に緊張してしまうのはな何故だろう。

かぁっ!

「ひぇっ」

烏の鳴き声。驚いた拍子に小包を落としてしまった。

「わ。大変!壊れ物とかだったら、どうしようっ」

拾い上げようと慌てて身を屈ませる。
ほどけた風呂敷から覗いたのは本で。
良かったー。壊れ物じゃない!
とひと安心したのも束の間。表紙を見た瞬間にぴしりと固まってしまった。
歴史の教科書で見たことがある画風で描かれた、男の人と女の人がキスをしている絵。
女の人の着物の裾が大きく開けていて、あそこがまる見えな状態なわけで。更にはあそこに男の人のあれが入っているのだ。

「ひぇっ...…こ、これって、あ、あれだよね。は、春画……」

その昔に存在していた所謂エッチなイラスト。
は、初めて見た!流石、江戸!!
萩原さんがニヤニヤしていたわけはこれだ。
きっと私が此れをみて困惑すると思ったのだろう。
生憎とエッチな本は興味本位で読んだことがあるし、男の人がそういう本を読んで生理的な欲求を発散させることに偏見などない。
それに、まず現代で拝める機会が少ない春画を生で拝めるなんてかなり貴重なことではないか。 

銀さん、ごめんなさい。ちょっとだけ、見ます!

心の中で銀さんに謝って、春画本を捲る。

「銀時さぁーん。いはりますかぁー?」

襖の向こうで三太くんの声がして、私は慌てて敷かれっぱなしの布団に潜った。別に隠れることはないのだけれど、身体が反射的に動いてしまった。
こっそり春画を読もうとしていたことがバレたら恥ずかしいっていうのもあるのかな。というか、それこそ三太君のような純情美少年に春画は刺激は強すぎる。卒倒してしまうかもしれない。

「まだ帰ってきとらんのか……。全く、あのひとらぁはしゃーないわなぁ」

三太君の独り言が遠退いていく。
足音は聞こえなかったけれど、どうやら居なくなったみたいだ。
 
よ、良かった。
ほっとひと安心。
世の青少年はこんなドキドキを味わいながらエッチな本を読んでいるのね。大変だー。

なんて呑気なことを考えながら、布団から這い出ようと身体を動かす……のを止めて、私は何となしに鼻をすんすんと鳴らした。
この布団、銀さんの匂いがする
そりゃあ、銀さんが使っているから当たり前っちゃ当たり前。
よく見れば、掛け布団に使っているのは冬黒い着流しで。少し厚みがあるから冬用だと分かる。
この時期、調度いい掛け布団変わりになるのだろう。

「ふふっ……銀さんらしいなぁ」

汗と鉄(これはきっと血の匂いだ)が入り交じった男のひとの匂いがするが、やはり甘いが鼻を擽る。
私にとって、この不思議な匂いはすごく安心する。
微睡むほどに心地のよいーー。


こんな夢を見た。
私と銀さんが恋人同士で、
蕩けるような甘い声で私の名を呼んで。
瞳は私をじっと見つめるの。
唇がゆっくりと近付き……


「千草、千草。起きろよ」

肩を揺すられて私は眠りの世界から引き戻された。
何だ、夢か。残念。
まて、何が残念なのよ。
なにをがっかりしているのよ、私は!
自分で自分にツッコミを入れ悶々としていると、視界一杯に拡がる銀さんの顔。
ひぇ、と短い悲鳴を上げて跳ね起きた。
ごちん。

「〜っ!」
「うごおおお……っ!痛ってぇぇぇっ」

拍子に銀さんの額と私の額が正面衝突し、二人して暫く痛みに悶絶する。

「わ、悪い……だ、大丈夫か?」
「う……うん………だ……大丈夫……ご、ごめん……わ、私……寝ちゃってた?」
「涎垂らして鼾掻いてぐーすか寝てたぞ」

銀さんに言われて、私は慌てて口許を拭った。
他人の布団で寝転けるなんて、寝汚い女と思われたんじゃないかしら。
うぅ……とんだ失態を犯してしまった。


「で、何で俺の部屋で寝こけてたんだ?」
「あ、……そ、それはですね……」

私は言葉を詰まらせた。
春画を読んでいましたと言えたら楽なのだが、言えるわけがない。

「……んっ!?!?なななななぁ……千草ちゃん……その枕元のやつぁ……」

明らかに動揺した声を出す銀さんに春画を枕元に広げっぱなしだったことを思い出した。
しまった。墓穴を掘った!

「あ……え、えっとね……こ……これ、萩原さんから預かっていたの……な、中身はみてないよ」
「ち、違っ!こ、此はだなっ、あれがあれであれであって」

冷や汗をだらだら掻いた銀さんが私の肩を掴んで言い訳をし始めた。
その刹那。
銀さんから微かに甘ったるい匂いがした。
この匂いの意味を知っている。
この時代の女性、特に遊女がつけているもの……白粉だ。
それはつまり銀さんが先程まで遊郭にいて、遊女を抱いていたということになる。
途端、かっと熱くなった。
ーあ、当たり前のことじゃない。だって、制欲は人間の三大欲求だし、銀さんは男のひとで。ここは戦場で。
そーいう行為をするには遊郭へ行くしかなくて……。

でも、なんで。こんなに胸が痛むのだろうか。
蛍を見に行ったとき転びそうになった自分を支えてくれた逞しい腕が、指切りをした時に絡めた伏しくれだった指が、救いの手を差し伸べてくれた大きな手が……自分以外の女に触れ、抱くのだ。
そう考えるだけで、私の胸の内は黒いモヤモヤでいっぱいになって、ひどく嫌な気分だ。
兎に角、今はこの匂いを嗅ぎたくない。

「い、いやいや……私は別にこーいうのに偏見持ってないから、大丈夫だよ」

此は本心なのだが、少しだけ不貞腐れたような口調になってしまった。
はやくにげたい。
銀さんから視線を逸らして、私は朝御飯の支度があるからと理由をつけて部屋を出た。

ーーなにやってんだか、私。子どもじゃないんだし、ましてや銀さんの恋人なんかじゃないのに……。

ずきずきと鈍い痛みが残る額。

「痛……やっぱ後で冷やそう……」

でも何よりも訳もわからない感情に締め付けられる胸が苦しかった。





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