其の七 湯気が天井に行き渡りそれが水滴となってお湯を貼った風呂釜に落ちる。それは湯舟に浸かりながら天井を見上げていた千草の顔にも落ち、千草は反射的に目をつむった。 「千草さん、湯加減どうですか?」 外から三太に問われ、千草は目を開けると少しだけ大きな声を出した。 「ちょうど良いくらいだよ。三太君、後は結構だから戻っていいよ」 「でも、火を見とかんとあかんとちゃいますか?」 「ぬるくなったら出るから大丈夫。」 「そうですか。ほな、僕は戻りますね。おやすみなさい」 濡れた髪をかきあげながら、おやすみと返す。 三太がいなくなって、一人になった千草は、昼間の出来事を思い返した。そうすると、また、むかっ腹が立ってくるし、銀時の目の前で大泣きしてしまって恥ずかしいやらで、思い返さなければよかったと後悔しながらお湯の中に全身を沈めた。 「千草、散歩に行かねぇか?」 風呂から上がると銀時に声をかけられた。長風呂のおかげで火照った身体を冷ますのにはちょうど良かったので千草はうんと頷くと、銀時の後をついて歩く。 「坂田さん、お出かけですか?」 「ああ。少し散歩しに行く。見張りご苦労さん」 銀時が門にいる見張り番の兵士に手をひらひらと降ると兵士は嬉しそうに頬を染めた。千草はそれを見ながら、軽く会釈して通り過ぎる。 本拠地の周辺は、本当に何もない。数分歩けば廃集落がある。本拠地として使用する以前はその集落の領主の屋敷だったと桂に教えて貰ったことを千草は思い出した。荒れた畑や田に囲まれた道を歩いていると、夜風が火照った身体に纏い、心地良く目をつむる。数秒そうしていると銀時との距離が離れてしまったので、千草は慌てて追い掛けた。 「ねぇ、何処に行くの?」 銀時は答えなかった。 「ねぇ、いつまで歩くの?」 「もうすぐだ」 幾分もしないうちに林が見え、銀時はその中に入る。千草も次いで林の中に入った。 「少し暗いから気をつけれよ。」 と、銀時から注意を受けた途端、千草は木の根に足を取られ顔から地面へダイブしそうになったのだが、寸でのところで銀時の腕が伸びてきて身体を支えられた。 「言った瞬間に躓くなよ……」 呆れた声が頭上から降り注いだ。千草は銀時の力を借りながら体制を立て直す。 「うっごめん…ありがとう」 「ったく………危なっかしいやつ」 銀時の手が千草の手を握った。 ええ、と真っ赤になって銀時を見上げると、銀時はそのまま千草の手を引っ張って歩き出した。銀時の耳が僅かに赤く染まっていたが千草が気付くはずもない。 「この方が安全だろ。俺は暗闇に慣れてるし」 繋がれた銀時と千草の手。銀時の手は大きく、刀を握っている証である豆があってゴツゴツとしている。 一方の千草の手は銀時より一回り小さく、柔らかな紛れも無い女の手をしていた。 ーーやっぱり男の子なんだ。 ーーやっぱ、女だな。小せぇ手。柔らけぇし。 互いに意識しあってしまい、妙に気まずい雰囲気が流れ無言になる。それでも二人は手を離すことはなかった。 「さぁ着いたぜ」 長い草の茂みを掻き分けた先にあったのは、沢山の蛍が飛び交う池だった。 「ひゃ〜凄い!めっちゃ綺麗!」 繋いでいた手を離し、千草は水際まで走りよった。 「こんな場所があったのね」 「この前、見つけた。気にいったか?」 「うん。凄いよ。私、こんなに蛍みたの初めてだよ」 千草は振り返ると背後にいる銀時に向かって嬉しそうに笑う。それにつられて銀時も口許を和らげた。 「千草の世界ではいなかったのか?」 「いるにはいるんだけどね。滅多に見られないわ」 ふぅんと、呟きながら銀時は千草の横に立つと、淡々とした口調で言った。 「千草。元の世界に帰りたいか?」 「そりゃ、帰りたいよ……」 向こうの世界には、家族や友達もいる。大学だってある。今頃、自分がいない世界はどうなっているのだろうかと千草は考えた。大騒ぎになって、捜索願いが出されているのだろうか。 千草は隣にいる銀時に目配せた。 蛍が一匹、銀時の髪に止まる。蛍の淡い光に照らし出された銀色は綺麗だった。 平和な世界で過ごしてきた千草には、この世界は不向きだ。それでも皆が優しくしてくれるお陰で辛くはなかった。何より銀時の存在があったからこそなのだ。 ーー傍にいたい。 彼の傍から離れたくない……帰りたくない……。 そう思ってしまった。 「なに?」 銀時が視線を寄越す。口許はゆるりと柔らかな笑みを浮かべてた。ただそれだけで胸がきゅっと締め付けられた。千草は妙に恥ずかしくなって「何でもない」と視線を反らした。 ◎ 銀時が千草を此処に連れて来たのは千草の為であった。本人は自覚していないだろうが戦が始まって慣れぬ忙しさで疲れた顔をしていたし、昼頃の出来事があって流石に精神的に少し辛いだろうと、以前坂本と酔い醒ましに散歩した時に見つけたこの場所を見て、少しでも気が休まるならという理由であった。むろん千草本人には理由は言えなかったが、千草は思っていた以上に喜んでいたので銀時は内心、ほっとしていた。 銀時は隣にいた千草を横目で見遣る。彼女の回りを無数の蛍が舞って、それを捕まえようとしているのか千草は四方八方一生懸命に腕を動かしていた。それが可笑しくて銀時は目を細めた。 千草はいつか元の世界に帰る時がくるはずだ。彼女が望むならことならそれで良いと思う傍ら、もっと自分の傍にいて欲しい千草を手放したくないと思ってしまった。そう思う自分が信じられなかった。 千草と目が合うが、気恥ずかしさのあまり思わず視線を反らした。 「そろそろ帰るか……」 「うん」 再び手を繋ぐと、二人は来た道を戻る。 お互い、自分の気持ちを自覚するのはまだ先の話。 prev list next |