21歳にもなったのに、学生服を着なければいけない。まだいけますかね?冗談っぽく言えば、プロデューサーがグッと親指を立てる。まだまだピチピチだよ、と。学園もののドラマはもう何度目かわからない。去年行った歴史ものよりかは遥かに気が楽だ。

「ラッキーですよね。制服、人より着れるし」
「高校は?芸能コースだっけ」
「はい、一応」
「卒業式はちゃんと出れたの?売れっ子だったでしょ」
「そんなことないですよ。ちゃんと出れました」
「あ、もう二十歳超えてたよね?成人式は地元帰った?」
「いえ。地元って言っても東京なんですけど、その日は仕事で行けなかったんです」
「そうかぁ。忙しいもんね」
「ええ、まあ」
「ま、ドラマよろしく頼むよ。最近妙ちゃんの演技評判いいから」

若々しい中年のプロデューサーは、肩をポンと叩いて笑う。威張らない姿勢は好印象だ。女優を始めた頃、徹夜で覚えたセリフが飛んだり、泣くシーンで涙が出なかったり、気持ちがこもっていないと罵倒されたり。散々だったが演じる事は苦ではなかった。決められた事をするのは、易しくはないが、ある意味気楽だったのだ。プロデューサーの言葉に、妙は肩をすくめながら笑った。




とっておきのぶり大根




「こんばんは」
「ああ、いらっしゃい」

おすそ分けをしてもらった以来、妙はあの女将の小料理屋へ通うようになった。タッパを返すため。ご馳走になったお礼のため。そんな言い訳を重ねて暖簾をくぐる。だけど本音を言えば、またあのご飯が食べたいという気持ちが大きかった。店で出る料理は家庭的なものが中心で、食事会がある時や、夜遅くなる時以外はここで夕飯を済ますことが多くなっている。女将は登勢といい、いつも幾つかの会話を交わしては遠慮もなしに煙草を吸う。妙については気づいていないようだ。来る客も年配の方ばかりで最近の芸能には疎いらしく、誰も何も言わない。そのことも妙は嬉しく思っていた。一人で夕飯を食べなくて済む。それも人目を気にせず、何も考えずに。

「銀時ィ。あんた食べ終わったんなら皿下げな」

登勢は妙に料理を出したあと、荒々しく声を上げた。カウンターに座っていた妙は彼女の視線の先を追う。先客が居たとは気づかなかった。店の一番奥、背もたれに隠れてその人はいたらしい。

「うるせぇなあ。客だぞ」

ドキン、と胸が鳴る。
脱いだ帽子をもう一度被るのはさすがに不自然だ。妙はその客がこちらを向く前に頭を前に向ける。若い声だった。

「誰が客だよ。何年前からツケあると思ってんだい」
「そりゃもう時効だぜ」
「ないよそんな法律」

あー、もう。と苛ついた声で言う。立ち上がった様子の音と、食器が鳴る音。お登勢さん、あの人の名前呼んでたな。それに食器下げろなんて普通のお客さんに言わないよね。仲良いのかな。それか息子さん?平静を装いながら内心不安でいっぱいだった。足音が近づく。食器がカウンターへ置かれる。どうしよう、もしも気づかれたら。どうしてだろう。知られてしまうのがすごく嫌だった。妙は真横に立った彼をそろそろと横目で見上げる。

「え…っ」

白い髪。初めに目に入ってきたのはそれだった。白い髪。若そうな声なのに。次に垂れ気味の目。ダークグレーのスーツとゆるめたネクタイ。目が合った瞬間、彼は目を見開いた。あ、ヤバイ。そう思った。

「何だい?知り合いかい?」

驚いた様子の彼に、怪訝そうな登勢が言う。

「い、え…あの、わたし…」

妙は焦りながら目を逸らす。違う。何て言えばいい?お願い、気づかないで。男が口を開く。

「それ」
「へ?」
「それ、ぶり大根?」
「ぶ、…え、あ、はい」
「おいババア。俺にはないって言ったのに何で後から来たこの子には出すんだよ」
「この子のぶん除いたら売り切れだったんだよ」
「はァ?何だよそのえこひいき」
「黙んな。」
「あの、わたしのぶん置いてて下さったんですか?」

ぶり大根から登勢へと視線を変える。そういえばこの間、ぶり大根が好きだと話した。ぶり大根と、それから麻婆茄子と揚げ出し豆腐とたまごやき。何気なく出た会話だった。覚えていたのだろうか。わたしが来るかどうかもわからないのに。登勢はすこし眉を上げて言う。

「こいつにやるくらいなら、あんたに置いておいてあげようと思っただけだよ」

妙はもう一度視線をぶり大根に移す。白ご飯とぶり大根となすの味噌汁と少しの漬物がそこにあった。

「ありがとう…ございます」

別に、わたしのためだけに作られたものではない。だけど彼女がわたしの言葉を覚えていてくれたことが嬉しい。たったそれだけが妙はとても嬉しかった。

「わたし、ぶり大根とっても好きなの」
「ああ、知ってるよ。冷めないうちに食べな」
「はい。いただきます」

小さく頭を下げて箸を取る。その様子を登勢は薄く笑って見ていた。

「ほら、銀時。突っ立ってないで皿洗い」
「はあ?!ふざけんな、俺疲れて…」
「あんたあたしに借金あるの忘れたのかい」
「喜んで皿洗いさせていただきます」

ふふっ、と笑みがこぼれる。二人のやりとりを見ていた妙のものだった。

「あの、お登勢さんの息子さん、ですか?」

んなわけないだろ。二人揃って返事が来る。

「こんな馬鹿息子産んだ覚えはないよ」
「こっちこそこんなクソババアに育てられた覚えはねえ」
「大家なんだよ。こいつこの店の上に住んでてね。最近まで転勤で関西のほう行ってたからいなかったけどまた戻って来やがってさ」
「来やがってってなんだ。戻って来てやったんだろ」
「馬鹿言うんじゃないよ。こいつ昔はずっとフラフラ遊んでばっかで大変だったのさ。まあ今もいい加減でちゃらんぽらんだけどね」
「おいババア。人の個人情報ぺらぺら喋ってんじゃねえぞ」
「あんたの情報なんざ一銭にもならないよ」

軽快なやりとりを、妙は笑いながら聞いている。先ほどの正体がバレるのではという心配は杞憂に終わった。正体、なんてまるで殺人犯のようだ。安心と僅かな切なさをごちゃ混ぜにしながら食を進める。今日もとても美味しかったけれど、目の前のふたりの会話も手伝って余計に賑やかな夕食となった。

「銀時、送ってってやりな」

妙がお勘定をして席を立つと、登勢が短く男に指示をした。慌てて首を振る。

「大丈夫ですよ。すぐそこだし、いつも一人だし」
「いつもより時間遅いだろ。だいたい若い女が夜遅くに一人で帰すのはあたしが嫌なんだよ」
「でも、」
「あんたいつも一番最後に帰るしねェ。何もないとは思うけどあんなんでも男がいるんだから甘えときな」
「本当に大丈夫なのに」
「あいつ、もう外に出てるから」
「え、あっ、いつの間に…」
「男手が必要になったらあいつに頼むといいよ。口は減らないが何だかんだ手伝うから。あんた、一人なんだろ?」
「はい…ありがとうございます」
「あたしは何にもしてないよ」
「お登勢さん」
「ん?」
「ごちそうさまでした」

妙の声に、登勢は静かな笑みで返事をした。戸を引くと冷気が鼻に触れる。既に出ていた男がコートのポケットに手を突っ込んで待っていた。わざわざすみません。申し訳なく思って謝り、その隣を歩き出す。彼は眠そうな瞳を空に向けて白い息を吐き出した。

「あした」
「え?」
「晴れだな」

脈略のない言葉だった。妙も彼と同じように空を見上げる。

「ええ。…星が、きれいですもんね」

濃紺の、澄んだ空だった。
誰かとゆっくり歩くなんて久しぶりだ。空を見て明日の天気を想うのも久しぶりだ。目深に被った帽子が夜空を狭く切り取る。

それが、今ある視野のすべてだった。

ニーナ(2015/2/4)


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