辰五郎と綾乃


旦那かい?そうだねェ…適当な男だったよ。岡っ引きだってのにチンピラと仲良かったり。まァ奴のいいところっつったら顔が広いことぐらいだったからねェ。結婚する時だって急でさァ、酔っぱらっていきなり家に来たかと思ったら今から役所行くぞなんて言ってね。終いにゃ次の日になったら全部忘れて唸ってたよ、ほんといい加減な男だった。まったく…あたしは振り回されてばっかりさ。
え?ああまあ…そうだね、悪くはなかったよ。

「のろけかい、お登勢さんよ。いいねェ。」

ニヤニヤといやらしく笑う中年の男はその言葉を最後に酒瓶を抱いて眠った。

「あんたが聞いたんだろ」

キセルから出た煙が天井に向かって登るのを目で追いかけた。もう何十年も前のことを、私は鮮明に思い出す事ができる。勝手に何度も人の夢枕に立ったりするからだ。おかげで再婚も出来ずに晩年までひとりじゃないか。あの男は本当に適当でいい加減で無責任で、嘘つきだったのだ。

”任せとけ、苦労はさせねえ"

あれは初めから期待してなかったけれど。正反対だ、苦労ばかりした。

"お前はババアんなっても綺麗だよ。皺なんか一つもなくてさ"

あれも外れた。どっからどうみてもババアじゃないのさ。

"子供はたくさん作ろう。大家族だ。"

これも違う。大家族どころか独り身になっちまった。

"老後はよォ、年金でラクして旅行しまくろうぜ"

あたしゃ今も働かなきゃやってけないってのに。

"俺たちはずーっと、一緒だ"

これもあっさり破られた。

"ぜったいに生きて帰ってくる"

これも、

"お前をひとりにはさせない"

これも。

「とんだホラ吹きだよ」

"あやの"

ああ、だけど

"もしも、俺が死んでも、たとえば身は朽ちたとしても、必ず帰ってくるから"

だけど、

"次郎長の髪にくっ付いて、お前の簪に潜んで、あの部屋の畳に浸み込んで、江戸に生まれてくる子供たちになって、歌舞伎町に流れ着く奴等になって"

適当でいい加減なあの人は、

"春は桜に乗って、夏はお天道様の光に混じって、秋は紅葉の赤になって、冬は木枯らしに巻かれて"

ひとつだけ、

"お前のそばにいる。いつも、いつまでも"

本当のことを言った。



ガラガラ
店の戸が引かれて外気が入り込んできた。しん、と静まり籠っていた空間がはじける。

「あー寒いアル!」
「こんばんは、お登勢さん」
「おーい、飯くれババア」

自然と上がる口角を苦笑いで誤魔化した。

「お登勢さま、外の掃除が終わりました。キャサリンさまを奥へ連れていきます」
「何言ッテンノ?私、酔ッテナイカラネ。マダマダイケルカラネ…」
「わかりました、奥へ行きましょう」

最後に、ひとつだけ。

「バカ、貧乏が偉そうにしてんじゃないよ」

"お前は、一生、おれが幸せにする"


彼が残した、たったひとつの真実


ニーナ(2011/11/22)
修正(2014/11/20)



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