土方と妙(と山崎)


一歩、前へ進むたびにあの家が近づく。道に咲いている花の色が鮮やかすぎて目に痛い。鳩尾あたりで暗いものが渦巻く感覚。注意力は散漫している。ただ目的地だけは明確だ。大丈夫、絶望的なことではない。暗い門をくぐった。この家はこんなにも重苦しかっただろうか、と妙に肩に力が入った。数えるほどしか訪ねてはいないが。

「あら、山崎さん」

庭の掃き掃除をしていたのだろう。ほうきを片手に彼女が言う。完璧な笑顔と正しい姿勢。何も変わりない凛としたいつもの彼女だ。 ああ、そうか。重苦しいのは自分の心境だ。山崎はどうにか口角をあげて返事をした。
こんにちは、姐さん。

「どうなさったんですか。珍しいですね」

穏やかに音を立てながら淹れられたお茶からはしろい湯気が立っている。きっとまだあつい。

「いえ、あの…ちょっとこっちに用があったもんで」
「そうですか。今は…確か皆さん、京の方に出張されているんですよね」
「ええ、思ったより長引いてしまって…」
「そう、お忙しいのね」

京の街。鴨鍋屋の薄明かり。耳慣れない方言とタバコの匂い。低い声が言った。命令だ。山崎、これは命令だ。

「お仕事の方は順調ですか」

社交辞令のように聞いた。あの綺麗な笑みがそこにある。

「…ええ、まあ。一応、みんな元気ですよ。近いうち近藤さんがこっちに戻ります」
「まあ、平和だったのに」
「ストーカーしてる暇もないから大丈夫ですよ」
「そんなに大変なんですか?」

どきり、と心臓が鼓動した。妙の声は少し硬くなったようにも、なにも変わらないようにも聞こえた。湯呑みの中にうつるのは頼りない男の顔。それを打ち消すように中身を啜った。喉はひとつも潤わなかった。

「…そうだわ。お菓子をね、いただいたんです。賞味期限がそろそろ切れるころだわ。いま持ってきますね。ちょっと待ってて…」

立ち上がろうとした彼女の着物の柄が歪んだように見えたのは気のせいだろうか。

「姐さん」

完璧なはずの笑顔が崩れたように見えたのは気のせいだろうか。

「姐さん、副長が行方知らずなんです」

三日前から。こんな事、本当は他言してはいけないんですけど。あの、単独で行動したきり、戻って来なくて。でも、きっと、すぐに帰ってきます。もう、すぐなんです。土方さんよく一人で行動するんです。その度に大物捕まえてけろりとした顔して帰ってくるんです。だから、あの人に限って、絶対、。

「これ姐さんに渡せって、命令、で…」

やっと内ポケットから出せた。呼吸が少し楽になった気がする。
土方がいない真選組はいつも以上に士気が高まっている。まるで不安事を掻き消すかのように。そして山崎はこの勢いがいつか崩れゆくのではないかと憂慮していた。たぶん、みんなそうだ。
彼女はゆっくりと手を差し出した。額の際にじわりと汗が滲む。華奢な手のひらにそれを置き、包んでいる浅葱色の手ぬぐいをつまんで広げた。

「…こ、れ…。覚えて…」

椿の絵をあしらった櫛だ。きれいな模様。あの人とはとても似つかわしくない。なにか約束でもしたのだろうか。まさかこの二人の間に約束事があったなんて、きっと誰も思わない。
命令はもう一つあった。言伝だ。

「…あ、の。…甲斐性なしにはつかまるなよ、…って言ってました」

それを聞いた瞬間、彼女は心底おどろいたように目を瞠った。こんな言葉、よくある忠告ではないか。なぜ彼はわざわざ部下に命令してまで伝えたのか。なぜ彼女は声も出せぬ程に驚いているのか。きっと自分には、いや他の誰にも知り得ない何かがあるのだろう。
そしてみるみるうちに彼女のその瞳には涙の膜が張っていった。まるで開けてはいけない箱を開けてしまったような表情だ。 ずっと知っていたはずなのにいま、初めて気づいたような、そんな。

「すきだったの」

山崎の目を見つめて言った。しかし彼女の瞳には俺なんか映っていない。そう思った。

「好きだったの、ずっと。…いまも、好きなの」

俺を突き抜けて、背景も取っ払って、彼女にはあの人の後ろ姿しか見えていない。

副長。
あんた、なに似合わないことしてるんですか。いつまで下らない連中に手こずってんですか。そう言ったら怒りますか。何発でも殴っていいからはやく帰ってきてください。この人を笑わせるの、副長、

「俺じゃ無理っすよ…」

ついに涙がその頬を、まるで糸で引かれたかのようにまっすぐに落ちた。



未完成な笑顔



ニーナ(2011/11/20)
修正(2014/11/20)



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