「新ちゃん!みて!ぼく試験で満点だった!」

戸を引いて自宅に入ると、待ち侘びていたかのように軽い足音が近づいてきた。愛らしいその音に自然と笑みがこぼれてしまう。

「ほんと?すごいじゃないか」
「新ちゃんが教えてくれた」
「うん、また一緒に勉強しようね」

えへへ。と嬉しそうに笑った甥っ子は身内ながらべらぼうに可愛い。可愛いすぎる。姉の遺伝子を存分に受け継いだ瞳がこちらを見た。その目にいつも少しだけドキリとするのだ。子どもの頃の姉に見つめられているようで。

「ねえ、ぼく、遊園地に行きたいよ」
「遊園地?」
「うん。寺子屋のみんな、なつ休みに行くんだってぇ。ぼく、みんなで遊園地に行きたいよ、ねえ新ちゃん」

小さな手で僕の腕を掴んで揺らす。甘え上手だ。末恐ろしい。そうして結局いつもその甘えに答えてしまうんだから。

「うん、行こう。みんなでね」

そういうと、とろけるような笑顔を見せた。女の子みたいだなあ、と思う。

「新ちゃん、いい加減なこと言っちゃダメよ。夏休みっていったら万事屋の稼ぎ時でしょ?」
「ああ、姉上。大丈夫ですよ、善が言うならみんな無理矢理でも休み作りますから」
「まったくみんなして甘やかして。この子に廃業に追い込まれますよ」
「しょうがないですよ、みんな善が可愛いんですから。ねえ?ぜんちゃん」
「…かわいいくないよ、ぼく」
「ん?どうして?」
「ふふ、新ちゃんダメよ。善は男の子だから可愛いじゃないのよね」
「ぼく女の子じゃないもん」
「ああ、そういう事。ごめんごめん、そうだよね。男の子だもんねえ」

コク、とひとつうなづいてこちらを見上げる。一人前に男を意識してるという事すらやっぱり可愛いんだけどなあ、と苦笑した。

「ぜんは大きくなったらどんな男の子になりたいの?」
「えーっとね、あのね、つよい男の子」
「へえー偉いなあ」
「でね、あとね、お金もち!」
「えっ」
「まあ、ぜんちゃん!よく言えたわねえ。えらいえらい。いい子いい子」
「ちょっ…姉上!」
「あら、どうしたの?」
「せ、洗脳はいけませんよ!この子の将来はこの子のもの!」
「まあ新ちゃん急になあに?洗脳?実体験からのアドバイスをしているだけよ」
「は、はは」
「そうだわ、羊羹いただいたのよ。いま用意してきますからね〜」

機嫌の良い姉は、そのまま善の頭をなでて台所へと行った。チリン。昔から夏になると必ず聞こえてくる風鈴の音がした。

「まあ、銀さんが父親だったら反面教師で自然と堅実になるか」
「はんめんきょうし?」
「んー?善はパパみたいにならないってこと」
「どうして?」
「困るでしょ?銀さんみたいになったら」
「どうして?父上はつよい男の子だよ?ぼくがほんものじゃないから父上みたいになれないの?」
「本物?」
「ねえ、新ちゃん」

善がちらりと台所を振り返り、僕との距離を埋めた。あのね。そう言って先程とは違う声色で話しかける。まるで向こうにいる母親に聞かれまいとするように。

「どうしたの?」
「うん」
「ん?」
「…ううん、やっぱりなんでもない」

もじもじと何か言いたげにしていたのに首をふって、またさっきの笑顔に戻った。

「ははうえ!ぼく、お手つだいする」
「あっ、ぜん…」

小さな足で大きな音を立てながら母親の元へ向かった。何か言いたいことがあったんじゃないだろうか。僕はその背中を見つめた。姉は昔から我慢強く、それを隠すのもうまかったけれど、息子の善はそれをあまり受け継いでいない。すぐに言いたいことを言うし、甘え上手で素直だ。そんな彼が少しでも何かを抱え込んでいるのではと思うと、胸が軋む。些細な、悩みにもならない小さなことならいい。そうであってほしい。そう願うのは自分勝手だろうか。しかし、あの小さな身体に、胸に、心にある、得体の知れないしこりは誰も共有出来ない。彼だけのものだ。両親が早くに亡くなった自分の悲しみは姉と分け合うことができたけれど、まだきちんと認識もしていないだろう苦しみは、彼だけのものなのだ。そんな比べ方をしても意味がないのはわかってるけれど。



”それはアンタのエゴだろ!!!”



本気で怒鳴ったときのことが蘇る。その言葉を義兄は静かに聞いていた。まだ幼い子供に事実を語ると聞かされた時のことだ。ああ、エゴだよ。と銀さんは言って、僕の目を見た。その手は震えていた。

(正しい答えなんか分かんねえ。…ただ、)

このまま知らずにいた方がいいじゃないか。そんな忌まわしく残酷な事実は消してしまえばいいだろう。なのに、あなたは何故。

(ただ、俺はあいつと生きていきたいんだ。守るつって言い訳して蚊帳の外に置いたりせず、一緒に悩んで、ちゃんと家族でいたいんだよ)

思わず面食らった。そう言いながらも不安そうに震える銀さんを、僕は見たことがなかった。本気だったのだ。彼は、初めから本気であの子を愛していた。
甥は可愛いくてしょうがない。だけど、その感情が真に純粋なものなのかがわからなくなる。僕は昔、この子を殺そうと思った。まだこの世に生まれる前に。姉のお腹にいるあいだに。それが一番姉のためになると思ったし、そうすべきだと思った。消えてくれ。心の底からそう願ったのだ。どれだけ彼を可愛がっても、そのことは消せない。僕は本当にあの子を愛しているのだろうか。あの頃抱いた黒い気持ちを消すために必死で可愛がっているだけじゃないのか。

それでも、たぶんあの子は僕に笑いかけてくれる。小さな背中が、滲んで見えた。


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