沖田と神楽(現代)
授業をサボる時に選ぶ場所っていうのがある。なるべく誰にも見つからずに風通しの良い場所がいい。たまに学校すらも抜け出すこともある。校舎の裏山に良い場所があるのだ。汗だくで体育の授業をしているクラスメートの姿はなかなか良い眺めである。
(ハズレ)
ソーダ味のアイスはいつもハズレだ。あのボロボロの駄菓子屋は絶対アタリを抜いてるに決まってる。アイマスクを取り出して昼寝の準備を始めると、頭上から影が落ちた。
「だっさ。ハズレアルか」
「うるせー。またお前か」
「運のない男ネ」
「こんなちっぽけなことには運を使わないんでさァ」
見上げると木の枝に座った少女がいた。数ヶ月前から度々この場所で鉢合わせるのだ。見た目からして自分よりは年下と思われる。中学生くらいだろうか。赤い髪と青い瞳で、おかしな日本語を話した。そしていつも高い場所から遠くを見下ろしている。俺の高校のグラウンドよりも、もっともっと遠くを。
「強がりネ」
少女は馬鹿みたいに強い。どうにも馬が合わずに殴り合いになることが多々あるが(というかほぼ毎回だ)勝てた試しがない。もちろん負けたこともない。つまりは互角だ。その小さな身体のどこに馬鹿力を隠しているのだろう。そうだ、まるで人間ではない。
(人間ではない、か)
「まァたねずみと会話中か」
(あながち間違いでもねえか)
「鳥と会話中アル」
「今日も順調だな」
「なにが」
「不思議ちゃん」
「なにヨ。それ」
「不思議ちゃんがモテるのも一昔前までだぜィ。高校上がったら黒歴史になるから今のうち辞めといたほうがいい」
「言ってる意味わかんない。喋ってるだけアル」
ある日、例のごとくサボった裏山で、彼女がやけに大きい独り言をしているのを発見した。変だ変だとは思っていたが、本当に頭がどうにかなっているのだろうなと思った。聞くと、ねずみと話しているのだと言う。ほら、やっぱり頭がおかしい。
「鳥と何を話すってんだ」
「政治問題について」
「鳥が人間の政治に興味あんのか」
「最近まで永田町にいたらしいアル」
彼女は身軽な身体でくるんと一回転して地上に降り立った。
「でもハズレ男が来たから逃げちゃった。お前嫌われてるネ」
「変なあだ名つけんな」
「わたしはあのアイス、あそこの駄菓子屋で買ってるけどアタリしか出たことないヨ」
「んなわけねぇだろ。ああいうのはハズレしか入ってねえの」
「わかるのヨ。わたしアタリが見えるから」
「今度は電波かよ」
「なんだよさっきから」
「んで?動物と会話してアイスのアタリを掻っ攫って何が目的なわけ」
皮肉っぽく言うと、少女は一歩こちらに近づいた。あ、ヤバイ。
「そんなこと教えてやんない、ヨっ!」
細っこい足をひらりと操って回し蹴りをする。それを間一髪のところで両腕で防いだ。腕のあいだから青い瞳を細めて楽しそうに笑う少女が見えた。またな、ハズレ男。と言って風のように走っていく。
「いってー…怪力電波女が」
彼女が見えなくなる頃に、学校のチャイムが鳴った。
残暑厳しい今年はいつまでたっても汗が止まらない。ついに地球は温暖化で秋と冬が消滅したのではないか。呼び出された職員室には充分に冷房が効いていて教師の特権を恨んだ。
「あ、そうそう。お前これ以上サボると留年するよ」
パソコンをいじりながら担任の教師が言った宣告を、俺はぼんやり聞いていた。留年はマズイなあ。つーか腕、痛ェなあ。
「進級したけりゃ真面目に授業出るこったな」
それから、ゆっくりと気温は下がって去年と変わらない秋が来た。危惧していた温暖化の現象を飛び越えて季節は巡る。制服は半袖から長袖になり、毎日食べていたソーダ味のアイスはスナック菓子へと変わった。俺は担任の言うとおり毎日真面目に授業に出ていた。だって進級したいから。
そして、あの裏山には行かなくなっていた。
(さみぃ)
その間、俺はあの少女のことを思い出さなかった。秋が去って、彩りをなくした木々が震える冬が来た。
吐く息が白くなり、放課後ふと見上げた裏山を見て気まぐれに向かった。片手に持つのはスナック菓子から肉まんに変わる頃だ。
「あ、」
定位置の昼寝場所に着くと、ちゃんと少女がそこにいた。赤い髪に青い瞳。夏の日と同じように高い木の枝に立って遠くを見ている。
「よぉ。久しぶりだな」
声をかけると少女はこちらを振り向いた。
「またハズレたアルか」
「ハズレ?ああ、もうさすがにアイスは食ってねえよ。」
「そうなの?軟弱ネ」
「うっせーな。」
ふっと笑ってまた視線を遠くへやる。彼女の吐く息は何故か白くならない気がした。どうしてだろう。
「おまえ」
彼女はとても遠くを見る。俺の高校の校舎よりも隣町の駅よりもずっとずっと遠くを。
「何見てんだ」
彼女がまぶたを閉じる。青い瞳を閉じ込めて、大きく息を吸った。
「生き別れた家族に交信中ネ」
「また不思議発言か」
「でも見つからない」
「テレパシー出来んじゃねえの」
「出来ないヨ」
冬になって当然の如く日が短くなった。夕方になればすぐに夜がくる。今日もすでに日が沈んで辺りは薄暗く、星が瞬いていた。
「人の心は聞こえない」
いつの間にかこちらを見ていた少女の細い身体がふわりと地面に降り立つ。
「ワタシこの星が好きヨ」
一歩こちらに近づいて、だけど回し蹴りはしなかった。街でも国でもなく、彼女は星と言った。それではまるでこの星の生き物ではないみたいだ。馬鹿。そんなことあるわけねぇだろ。
「大切な人が誰も死んでないこの場所が好き」
「どういう意味」
「知ってるアルか?人間以外の動物たちはみんな言葉が通じるのヨ。犬も猫も鳥も魚も。人間だけが仲間はずれ。なのに自分たちが一番賢いと思い上がってる。可哀想な生き物」
「なに。何の話」
「ハズレもアタリも見破れないくせに、冬は寒いと嘆く弱い生き物のくせに自分たちが一番強いと信じてる」
彼女は生い茂る雑草を気まぐれに撫でた。
「だけどネ、そんな人間とこの星が」
まるで猫をあやすように優しく撫でた。
「ワタシはずっと好きだったの」
それまでの緩やかな動きとは正反対に、少女が素早く駆け寄る。軽く打った拳を右手で受け止めた。こいつの攻撃はいつも脈略がない。
「いつか乗っ取るから覚悟しとけヨ。地球人」
至近距離で俺を見上げた瞳は恐ろしく美しかった。そうだまるでこの世のものではないみたいに。まるでこの星の生き物ではないみたいに。だけど何故そんなに泣きそうな顔をしているのだろう。彼女が亡くした大切な人とは、一体だれなのだろう。
「…っおい!」
少女の拳が右手から離れる。身を翻してトントンっと木に登った。もうすっかり人間らしくないその背中に声をかけるのがやっとで、最後に振り向いた彼女の瞳が背後の星とおなじように輝いていた。
「また会えるヨ。沖田総悟」
そう言って、少女は高い高い木の枝から飛び降りる。空がその姿を隠すように紺色を濃くした。俺は夢でも見ている気分になっていた。
「名前、なんで…」
”大切な人が誰も死んでないこの星が”
「なんで?」
”いつか、乗っ取るから”
それはまるでこの星の者ではないような言い方で、だけど彼女の大切な人はここにいるような言い方だった。彼女の世界では死んでしまった大切な人が。俺は突っ立ったまま、右手を見た。痺れる感覚が、今あったことの事実を証明している。頭上の星はいつまでも強く輝いて、裏山の道を照らしつづけていた。
「なんだァ?沖田。最近やけに気合入ってるじゃねえか」
「うっす」
その日から俺は、部活動の剣道に打ち込んだ。それから勉強もきちんとした。もともとやれば出来る子だと言われていたのでどちらも成績はぐんぐん伸びた。無事に進級だってした。何故なら奴はとてつもなく強いから、日々の鍛錬を怠っては負けてしまう。それに電波で人の脳波を操るかもしれない。化学兵器を使って襲ってくるかもしれない。来るべき侵略者を迎え撃つために準備をしているのだ。
”また会えるヨ”
時折、あの宇宙人の声が頭の中でよみがえった。個人情報を勝手に読み取って名前を呼んだあの声。
”沖田総悟”
今でも部活と勉強の合間に時々裏山へ行くことがある。だけど、あの少女はどこにもいない。彼女がいた木の枝に登ってみると眼下で街が生き物のように動いていた。侵略者はきっとあの宝石のような瞳で人間たちを洗脳するに違いないのだ。息を大きく吸ってアイスの棒を空に翳す。アタリの文字が鈍く光った。あの日の輝く瞳が思い出される。ならば俺は、と苦笑を漏らした。とっくに洗脳されちまったな。
そうして、また夏が来る。
いつか地球を侵略する少女
ニーナ(2015/7/19)
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