猿飛あやめ


銃声が聞こえた時、わたしは心臓が震える感覚をはじめて体験した。わたしに殺された人間達はいつもこんな感じだったのだろうか。
海のど真ん中に身体を落とされた。殺したのは名前も知らない中年男。殺し屋なのか警察なのかその他なのか何もわからない。ただ遠ざかるあの海面をもう二度と出ることがないのは確かだ。私はもう死んでるのだろうか。痛みも苦しみもないのだけれど。長い髪がゆれて、顔を覆う。気持ち良いと思った。ゆっくりと落ちてゆく体躯。遮断される思考。要らないものは剥がれて地上へ浮かんでいく。もしかすると私は海の生き物だったんじゃないだろうか。ぼんやり思う。もともと海で生きるべきだったのじゃないだろうか。だって地上は息苦しかった。とっても、生きにくかったもの。

『所詮お前は人殺しだよ』

軽蔑するような嘲るような笑いと共に吐き出された言葉。図々しくも泣き叫びたい衝動が、あの時わたしを襲った。泣き叫んで髪を掻きむしって顔を覆って思い切り憤りたかった。そうよ、ずっともがいてた。私はきっと酸素に溺れていたのだ。必要だったのは海水。風に吹かれるのではなく、波に揺られるべきだったの。気付くのが少し遅かった。海面がどんどんどんどん遠くなる。

『今更普通の人間みたいになれるわけないだろう?』

そういえばすごくすごく悲しい夜、よく海を眺めて泣いていた。引き寄せられるみたいで飛び降りそうになったことだってある。ばかだな。あの時飛び込めば良かったのよ。そうすればもっとはやくかえれたのに。
でも、もう殺さなくていい。もう誰も殺さなくても大丈夫。だってわたしはずっと探してた自分に還れる。トレードマークだった眼鏡が耳から離れていく。そうね、海の生き物に視力は要らないもの。だから私は目が悪かったのね。やっと還れるわ。あの冷たいナイフも、重い拳銃も、何も持たなくて大丈夫。

(つぎは、もっとやさしい生き物に生まれたいなあ)

いつから私は人を殺して生きていただろう。いったい何人の人を殺して生きてきただろう。すべては曖昧で、現実味を帯ないくせに確固たる事実だ。殺し屋なんてイマドキ流行らない。だけど依頼は絶えない。それでしか生きる術を知らない。ロクな死に方はしないと思ったけれど、思ったより良かったかもしれない。ああ、つぎはやさしい生き物に生まれたいなあ。
ほうら、身体がかるい。地上はとても重たいじゃない。もう息苦しくないし、痛くない。重力に縛られることもないし、誰も殺さなくていい。もう大丈夫。ありがとう、それでも嫌いになれなかった殺し屋のワタシ。さようなら、つぎはやさしい生き物になれれば嬉しいなあ。そうね、たとえば海の底でゆれる海草みたいになれれば。

そんな幸せな夢を見ながら、ひとりの女の生涯がおわる。


コバルトブルーに還る


ニーナ(2013/6/9)


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