その日は息を止めるみたいに一日を過ごした。夜が近づくにつれて空も見たくなくなる。はやく眠ってしまいたい。ぜんぶ遮断して、世界を切り離して、もう二度と目覚めることなどなければいいのに。帰ってこれなければいいのに。そう思って目蓋を開くと嫌味なほど世界は清々しく光ってる。おれはどこにも行けずにただ時間が過ぎるのを待つ。その、くりかえしだ。




chap5.
かぐら。





自慢の赤い髪の毛を、もう彼女は結ってはいない。だけど特徴である変な中国訛りは健在だし、相変わらず酢こんぶが好物だ。黒いワンピースを着て、細い身体に重いぐらいのコートを上から羽織っていた。銀ちゃん。怒ってるのか戸惑ってるのかわからない。神楽は笑わないまま、おれを呼んだ。

「すげー!久しぶりアル」
「卒業以来だろうが」
「あり?そっだったっけ」
「お前色んなとこ飛び回ってるし、急に休みだからっつって俺ンとこ来るじゃん」
「まあ何でもいいネ。わたしどこの席だったかなー!あ、このラクガキまだ残ってるー!」

苦労してんのはこっちだっつうの。珍しく訪ねてきた神楽は、俺を学校へ誘った。校舎を一通り周ろうとする彼女をつれて、食堂へ行く。ラーメンやらカツ丼やらを永遠に奢らされる前にコーヒーを彼女の前に置いた。砂糖を大量に入れるおれとは対象的にミルクだけを入れて、マドラーでくるくるかき混ぜている。

「ねえ、銀ちゃん」
「あー?」
「結婚しないの?」
「ああ?ほっとけや」
「だって昔からおっさんだったのに、今や本当におっさんアル。やばいアル」
「おい、暴言吐くな。泣くぞ」
「わたし銀ちゃんが孤独死したらって思うと不憫で」
「勝手に哀れむな。泣くぞ」
「もうかなりいい年ヨ。子供欲しくないアルか?」
「お前らが子供みたいなもんだろ」
「そうなの?」
「そーだよ」
「じゃあさ、」
「なに」

「じゃあ、アネゴも?」

言葉に詰まった。目線だけ神楽にやると、来たときみたいな顔でおれを見ていた。もうマドラーは回していない。怒ってるのか戸惑ってるのか困ってるのか怖がってるのか、よくわからない顔。

「銀ちゃん、まだ姉御を忘れられないの?」

ああ、悲しんでるのかもしれないな。神楽が卒業式以来、はじめてこの校舎にやって来た。

「だってそうでしょ?姉御のこと引っかかって、セキニンとか色々感じてるんでしょ?」
「何言ってんの、お前」
「だって」
「だってじゃねーよ。おら冷めるぞ」
「おかしいヨ。だって、生徒の命日に一度も墓参りしないなんて」
「忙しいんだよ」
「自分が担任のあいだに亡くなったのヨ?変だよ絶対。ねえ、一緒に姉御の顔見たでしょ?白くなって、冷たくなって、二度と」
「かぐら」
「銀ちゃん」
「やめろ」
「姉御は死んだよ」

充血した赤い目に涙が溜まってる。震えた手では、紙コップも持てない。コーヒーが冷めていく。

「だけどそれは銀ちゃんのせいじゃないよ」

新八がいつまでも撫でていた頬。神楽が惜しむように握っていた手。入れ替わりに何人も抱きついた身体。その冷たさを、俺は知らない。触ることが出来なかったから、最後まで。

「銀ちゃんはいつまでそこにいるの?」

なあ神楽。

「ずっと姉御に縛られつづけるの?」

置いていってくれよ。

「そんなの、誰も望んでない。誰も、姉御も」

置き去りにして、おれをこの世界から切り離してくれ。そして、あいつのところまでどうか飛ばしてくれないか。

「そうじゃない」
「え…?」
「そうじゃないんだ。神楽」

こぼれた涙の跡が頬にのこる。テーブルの上にあるティッシュをとって、神楽の顔に押し付けた。ごめん。声にせずにあやまった。
ごめん、かぐら。だけどそうじゃないんだ。

「銀ちゃんは、しあわせにならないといけないアル」
「ああ」
「じゃないと姉御が悲しむヨ。新八もみんなもワタシも。」
「わかってる」
「心配でおちおち成仏もできないネ」

コーヒーが冷めていく。
神楽の着る黒いワンピースは、賑わう街に不釣合いだった。花を供えた帰りなのだろう。寒いだろうに。手袋もせずに俺を訪ねた。もう三十になる彼女は、それでもまだ幼さを孕んでいる。12月25日がクリスマスでなくなった日から、彼女が絶えず墓前に花とアイスを供えるのを知っていた。花は仏花ではなく、なるべく明るい色のものだ。アイスはあいつが好きだったバニラ味。バカみたいに冷たい。涙も出てこない。神楽はやさしくて強い。昔から、変わっていない。 外はクリスマスにはしゃぐ人たちで溢れている。もうあいつはいないのに。そして俺はいつもと同じように息を止めるみたいに今日をやり過ごす。





ニーナ(2014/7/13)
修正(2014/10/28)



もどる
[TOP]









×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -