最近視力の低下が著しい。
妙は文庫本から目を離して壁の時計を見た。長針と短針と数字がぼやけて見えにくい。そろそろ眼鏡が必要だろうか。眉間に手のひらを置いて目蓋を閉じた。テスト期間でもない放課後の図書室はあまり人がいない。読書には最適の場所だ。

「あ、志村さんじゃん」

頭上から声をかけられて、顔を上げる。同じクラスの坂田だった。

「坂田くん」
「何してんの?」
「本読んでる」
「はは、まんまだね」

苦笑しながら坂田は妙の前の席に座る。あまり話したことがないけれど自分とは違うタイプの人間だ。みんなの中心にいるような賑やかな人。だけど今日の、図書室に来た彼はいつもと違うようだった。その雰囲気に妙はおや、と思った。

「何読んでるの?」
「恋愛小説」
「ふうん」
「友達が絶対泣けるから読んでって」
「どう?泣けそう?」
「どうだろうね。わかんない。泣けるかどうかなんて人それぞれだし、内容が面白いなら泣けなくても全然いいんだけど」
「たしかに。はじめから泣けるとか笑えるって宣伝されると冷めちゃうよね」
「そうそう。ハードルあがっちゃうっていうかね。」

他愛ない話をしているとヴヴっと彼の携帯電話が短く鳴った。携帯を取り出して坂田は手早く操作する。そういえばどうして図書室なんか来たんだろう。誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。

「ねえ、志村さん本スキなの?なんかオススメあったら教えてよ。」
「え、」
「俺バカだからさ、漫画しか読まねえんだけどそろそろ活字にも慣れとかないとなーって思ってるわけですよ」
「そうなんだ。んー、オススメね」
「あっそういえば、このあいだ読書感想文かくために読んだやつが初めて面白いって思ったんだよなあ」
「なんて本?」
「えーっとね…」

一度机に置いた携帯を操作して何かを探している。恐らくどこかにその本の題名をメモしているのだろうと少し意外に思えて微笑ましかった。

「あ、これだ」

携帯のディスプレイを見ながら本の題名と作者の名前を読み上げる。えっ、と妙の口から声が出た。

「それ、私の一番すきな作家さんだ」
「マジ!?」
「わっちょ、坂田くん」
「あっ、ごめん」

驚いた彼が大声を出して立ち上がるので思わず制する。その驚き具合が思った以上だったので少し意外だ。だけど妙も自分の好きな作家を面白かったと言われて嬉しくなっていた。
しかも彼が挙げたその本は。

「それってシリーズものだよ」
「えっマジ?」
「うん」
「もしかしてその本持ってたりするの?」
「うん、持ってるよ」

推理小説だ。ぐるんとひっくり返されるようなどんでん返しだとか、気持ちいいほどの伏線の回収だとか、魅力的な登場人物だとかにいつも夢中にさせられる。

「良かったら貸そうか?」

迷惑にならないだろうか。少し心配しながら控えめに聞く。

「ホント?」
「読む?」
「読みたい」
「じゃあ明日持ってくるね」
「ありがとう。すっげえ嬉しい」
「大げさだよ。ねえ坂田くん」
「ん?」
「目悪いの?」
「え、あ…ああ。うん。うわ、眼鏡だったか今日。いつもはコンタクトなんだ。忘れてた」

ああ、だからいつもはかけていないのか。何故か恥ずかしげに眼鏡のフレームに触れる。あまり眼鏡姿は見られたくないのだろうか。

「わたしも最近視力落ちたんだ。眼鏡いるかな」
「ああ、そういえばよく目細めてるかも」
「え、そうかな」
「あ、うん。そんな、気がするだけだけど」

ははは、と坂田は決まり悪そうに笑った。だけどそのぎこちない笑い声はため息に変わった。深い深いため息に。

「あー…やっぱ、だめだ」
「え?」
「いや、嬉しすぎて変なこと口走りそう」

上体を机に預けるように突っ伏した。そんなに嬉しかったのだろうか。あの本を貸すことで喜んでもらえるなら私も嬉しいけれど、と妙は首を傾ぐ。

「同じやつ好きなのって奇跡なんだけどマジで」
「奇跡って、大げさだよ。坂田くん」
「大げさじゃないよ、俺は」

伏した顔を上げる。
ぎゅっと握った手で口元を隠しながら顔を背けた。

「ずっと喋りたかったんだ」
「え?」
「志村さんのことずっと見てた」

頬を赤くして絞り出すような声が掠れている。

彼の言った言葉の意味を理解するまで数秒を要して、きっとその時わたしの顔は色づいた紅葉よりも赤いはずだ。


読書の秋


ニーナ(2014/10/16)

back

[TOP]





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -